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ステーキを奢ってもらう

 桑田孝夫がステーキを奢ってくれると言う。
「珍しいこともあるものですね。今夜あたり、大雪でも降るんじゃありませんか?」志茂田ともるは目を丸くした。
「お前、ほんと失礼な奴だな。おれって、そんなにケチかよ?」気分を害した桑田が言い返す。「なっ、むぅにぃ。おれ、けっこう人に奢ってるよな」
「そうだっけ?」わたしはそらっとぼけた。どちらかと言えば、こっちが立て替えているほうが多い。
「そら、ごらんなさい」志茂田がすかさず口を入れるのだった。
「だったら、もういい。おれ1人で、お前らの分まで食ってやるっ」とうとう癇癪を起こしてしまう。
「まあまあ、そう怒らないで下さい。ちょっと、びっくりしたのですよ。何しろ、ステーキだ、などとおっしゃるのですからねえ」言い過ぎたと思ったのか、志茂田は口調を丸めてなだめた。
「そうそう。それに、ほら。桑田の連れて行ってくれる店って、おしゃれだし、おいしいところ多いよね」わたしも、必死になって持ち上げる。

「そ、そうかあ? まあ、確かに、おれはうまいもんにはうるさいからなあ」単純なので、おだてたらたちまち機嫌が直った。「ビックリボーイのつもりだったが、よっしゃあ、奮発して『ステーキ・管』に行くぞっ。サーロインでもフィレでも、好きなもん食ってくれ!」
「やったぁ、さすが桑田。太っ腹」わたしは本心からそう言う。
「これはこれは! いやはや、お見それしました。ありがたく、お相伴に預かります。桑田さまさま、と申しましょうか」志茂田も、今度ばかりは茶々を入れなかった。
「じゃあ、行くか。うまいステーキを食いにっ」
 桑田を先頭に、志茂田とわたしは、まるで太鼓持ちのような格好であとに続く。
 自分の懐を痛めずご馳走が食べられるなんて、これ以上に結構なことはなかった。太鼓持ちだろうが、腰巾着だろうが、そんなことはどうでもいい。
 
 「ステーキ・管」は、なかなかいい雰囲気の店だった。
「わたしも、ここは初めて入りますが、それにしても高そうですねえ」テーブルに着くなり、志茂田が言う。暗に、お金は足りるんでしょうね、そう聞いているのだ。
「心配すんなって」わたし達の不安を察してか、桑田はドンッと胸を叩いた。「実は、おととい運試しで買った馬券が大当たりしてな。いま、けっこう潤ってんだ」
「桑田って、そういうの意外と強いんだよね」わたしはこれまでのことを思い返し、うんうんとうなずく。
「まあな。給料1ヶ月分は儲けたな。てなわけだから、遠慮しなくっていいんだぞ」
 志茂田もわたしも、それを聞いてすっかり安心し、ようやくメニューを開いて中を見る気になった。

「わたし、これを頼もうかと思うのですが」志茂田はメニューを指さしながら、ちらっと桑田をのぞき見る。
「どれどれ……サーロインの300グラムか。いいんじゃねえ?」桑田のお墨付きがもらえた。
「そんなら、志茂田と同じのにする」わたしも便乗した。
「お前、食えるのか? 300グラムっていやあ、かなりなもんだぞ」ばかにしたような目をくれる。
「そうですよ、むぅにぃ君。180グラムのにしときなさい」志茂田までも口を揃えるのだった。
「……じゃあ、180グラムのにする」すこすごと引き下がる。ぺろっと平らげて、お代わりをしてやるぞと心に誓った。

 ウエイターがやって来て注文を取る。
「焼き加減はいかがいたしましょうか?」
「ウェルダン」桑田が即答する。
「わたしはブルーレアでお願いしますよ」これは志茂田だ。
 わたしはどれがどんな焼き方なのかよくわかってなかったので、
「あの、『ふつう』で」と答えた。
「『ミディアム』でございますね? かしこまりました」さりげなく、言い直されてしまう。自分が教養のない、貧民窟の出のように思えて、耳まで熱くなった。
 ウエイターが去ったあと、恥かきついでで、志茂田に聞く。
「ねえ、志茂田。ブルーレアってどんなの?」
「ブルーとレアの中間、ということですよ。さっと焙っただけですね。いい肉は、できるだけ生に近い素材を楽しみたいではありませんか」そう、教えてくれた。

 食欲をそそる、ジュウジュウという音を立てながら、ワゴンがやって来る。香辛料と脂の混じった、なんとも言えないいい匂いが鼻をくすぐった。
 わたしと桑田の肉は、大きさこそだいぶ違うものの、焼き加減にさほど変わりない。けれど、志茂田の前にでんと置かれたそれは、ほとんど生肉だった。まさに、血も滴るような赤いステーキである。
「ほお、これは旨そうですねえ」そう言って目を細める志茂田だったが、わたしは内心、ウゲーッと思った。
「アメリカじゃ、こうやって食うんだってよ」桑田は、ナイフでステーキをザックザックと切り分けていく。「最初にみんな切っちまえば、あとが楽だもんな。さすが、合理的な連中だぜ」
 わたしは、試しに端のほうを少しだけ切り落とし、フォークで刺して口へ運んでみた。
「あ……口の中で溶けてく感じ」ふだん食べている筋っぽい肉とは大違いだ。

「では、わたしも1つ」志茂田はナイフを手に取ると、まるで外科医師が手術でもするように、すうーっと滑らせた。半生なのに、きれいに切れる。ナイフがいいのか、それとも肉が上等なのか。
 口に入れ、もぐっと噛んだとたん、微妙な顔つきになる。
「おいしくないの?」わたしは聞いた。
「見ろ、もっとちゃんと焼かねえから」桑田がそう冷やかす。
「いえ、そうではないのです」志茂田は首を振った。「これは、本当に牛肉ですか?」
 おかしなことを言う。ビーフじゃなければなんだというのだろう。まさか、ポークだとでも?
「さすがに、これは豚じゃないよ。口貧乏だけど、それくらいはわかる」わたしは反論した。

「もちろん、豚じゃありません。全然違いますよ、むぅにぃ君。ですが、牛でもありませんね。確かに、似てはいるのですが……」
「じゃあ、なんの肉だって言うんだ?」桑田が気色ばむ。無理もない、せっかく奮発した店なのだから。
「これは――」志茂田はさらに2口、3口、放り込み、じっくり味わう。「ああ、思い出しました。もう、何年も前になりますが、1度だけ食べたことがありますよ。南米を旅したとき、現地の村でご馳走になりました」
「なんていう動物だったのさ」
「動物の名ですか? えーとですね、『ゾンド・クラコエ・ヴィン・バルバルンガァ』と呼ばれていましたっけ」
「なんだ、そりゃ? 怪獣みてえな名前だな、おい」桑田も、フォークを宙に浮かせたまま、ポカンとした。
「まさに!」志茂田はわが意を得たり、とばかりに大きくうなずく。「そうなのです、みなさん。あの姿は忘れようにも忘れられません。それはもう、言葉では言い表せないほどのおぞましさ……」

「でも、そんなはずないじゃん。ここって、ステーキハウスだよ。それも、この辺りじゃ1番高い店なんだしさ」わたしにはとうてい信じられなかった。
「そうだぞ、志茂田。なんなら、店長呼んで、聞いてみるか?」
「どうぞ、どうぞ、お呼び下さい。真偽を確かめてみようじゃありませんか」志茂田は、すっかりそう信じ込んでいるらしい。
 桑田は大声で店長を呼んだ。
「店長、ちょっといいかなっ」
 カウンターの奥から、太っちょの店長がひょいっと顔を出す。
「はい、なんでしょうか?」
「連れが、この肉は牛肉じゃない、なんて言い出すんだ。ばかげてんだろ?」
 一瞬、店長はギクッとした表情をした。

「あはは、何を言い出すかと思えば――」
「店長、ウソはいけませんねえ」刺すような口調で志茂田が問い詰める。「『ゾンド・クラコエ・ヴィン・バルバルンガァ』なのでしょう、この肉は?」
 店長は真っ青になってうつむいた。額からは、それこそ滝のような汗が、だくだくと流れ落ちている。

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