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闇鍋……

 暮れも押し詰まり、ばたばた忙しくなる前に忘年会をしよう、という話が出た。
「いまからだと、予約がなかなか取れないかもしれないね」わたしが言う。
「そうですねえ。誰かの家でやりましょうか? 各自、具材を持ち寄って」そう提案したのは志茂田ともるだった。
「だったらよ、『闇鍋』ってのやらねえ? おれ、1度もやったことないんだ」桑田孝夫が目をきらきらと輝かせる。
「それ、いいかも。あたしんちでやろうよ。大きめの土鍋あるから、みんなしてコタツに入って、楽しくやろう」
 中谷美枝子の申し出で、計画は確定となった。
「あらかじめ言っておきますよ」志茂田が釘を刺す。「食べられる物にしてくださいね」

 晩、それぞれが手にレジ袋や紙袋を持ってやって来る。お互い、中に何が入っているのかわからなかった。鍋が始まってからのお楽しみ、というわけである。
 玄関のチャイムを鳴らすと、「鍵開いてるから、入ってきて」という中谷の声が応対した。
「おじゃましまーす」わたしを先頭に、ぞろぞろと入る。奥の居間では、すでに火のかかった土鍋が、ぐつぐつと音を立てていた。もちろん、中にはまだ湯しか入っていない。
「座って、座って」中谷は、イヤフォンを外すと、聴いていたiPodをコタツの上に置いた。「スイッチに1番近い人は、電気消してきてね」
 わたしは冷たくなった手をコタツの中に突っ込んで揉みほぐす。真向かいに桑田が腰を下ろた。「うーっ、さみいっ」と言いながら、肩までコタツ布団をめくり上げる。
「桑田君、それじゃあ熱が逃げて、ほかの人まで寒くなりますよ」志茂田は笑いながら注意し、そのついでに自分の座る場所を確かめると、部屋の電気を消した。
 カートリッジ式のガスコンロの火だけが、青白く燃えている。

 目が慣れてくると、それぞれの顔がぼーっと浮かび上がってきた。左の席で、中谷が厳かに口を開く。
「さあ、みんな。今年も残すところ、あと少し。色々あったよね。来年もまた、いい1年になるといいな。感謝と願いを込めて、ここに闇鍋を始めたいと思います」
 口々に、「よいお年をっ」とかけ合いながら、持ち寄った食材をがそごそ、手探りで取り出した。
「じゃあ、まずはあたしから」場所を提供してくれた中谷が先陣を切る。「ふっふっふ。これは旨いぞお。夕方の特売で買ったんだけど、それでも高かったんだから」
 中谷が鍋に具材を入れる仕草が、闇の中でかすかにうかがえた。ザブン、と湯の中で何かがはねる。うーん、何だろう。肉かなぁ、それともキノコかも。まさか、ニンジンだったりして。
「ニンジンだけはやめてね」わたしは懇願した。
「ばかね、ニンジンが高級食材のわけないでしょ」中谷は言う。

「では、次はわたしが」志茂田が、バサバサッと放り込んだ。ああ、これは明らかに野菜だな。キャベツか、それともほうれん草か、あるいはクレソンという可能性もある。
 なんにしても、志茂田のなら安心だ。味はもちろん、品質にもこだわっていそう。きっと、各人の持ってきそうなものを推測して、釣り合いの取れた具材が入れられたのに違いない。 
「おれのはこれだ」桑田が袋ごと鍋にぶちまける。実を言えば、1番心配なのがこの人だった。考えなしだから、何を入れるかわかったものじゃない。
「食べ物だろうねっ?」つい、わたしは聞いた。
「その声はむぅにぃだなっ? 当たり前だろ、ばか。おれだって、自分でつつくんだからな」
 それもそうだ。自分も食べなくてはならないのだから、むやみな物は入れないか。

 いよいよわたしの番だ。
「これ、なんだかわかるかなぁ」わたしはチーズとカレーのルウ、それに余り物のタマネギやジャガイモを刻んで持ってきていた。
 まずは、カレーのルウ。ポキッと折って、次々に投げ入れる。
「おっ、この香りは――」志茂田が鼻をすんすんと鳴らした。
「あら、甘い匂いがしてきた」中谷の声もする。
「チョコレートなんか入れやがって」桑田が文句を言った。
「えー、そんなはずは」わたしは慌てて言う。けれど、ほかの者が言うとおり、間違えようのないミルク・チョコレートの匂いだった。
 スーパーで、カレーと一緒に買った板チョコのことを思い出す。そう言えば、袋が一緒だったっけ。
「チョコレートは、香りだけでなく、味付けにもなるのですよ。いいじゃありませんか」志茂田がそうフォローしてくれる。
「そうなのか? 甘ったるくなるだけじゃねえのかなあ」桑田は不満そうにブツブツと続けた。
「いいじゃん、これこそ闇鍋じゃん」わたしは開き直って言い返す。

 具がだいぶ煮えてきて、鍋からは言いようのない不思議な匂いが立ち込めていた。
「そろそろ、いいんじゃない?」中谷が促す。
「そうですね、いただきましょうか」志茂田は小皿に取って、食べ始めた。「うーん……これはワンタンでしょうか。味が染みていますね……。ただ、その、なんというか、食感がこれまでに体験したことのないものです……」
「おいしいの? それとも、おいしくないの?」志茂田としてははっきりしない物言いに、不安が込み上げた。
「まずくは……いえいえ、おいしいですとも」ゴクン、と喉を鳴らして、その何かを飲み込む音が聞こえる。
「この高野豆腐、やたらと弾力がある。ブヨブヨっとした感じ、どこかで覚えがあるんだけどなあ。さっきも流しで……ううん、そんなはずないよね」いっぽう、中谷は食べ慣れない食材に苦戦しているらしかった。

 わたしも、ドキドキ半分、ワクワク半分で、箸を手に取る。
 最初につかんだのは、長い紐状のもの。噛んでみると、これまたずいぶんコシの強いうどんだった。
「しかもこれ、めちゃくちゃ伸びるよっ」歯にくわえ、箸で引っ張るけれど、どこまでも伸びていく。
 つるんっ、と箸から滑り、うどんが勢いよく顔に戻ってきた。
「痛っ! まるで、ゴム紐じゃん」
 向かいでは、桑田がボリボリと大きな音を立てて、何かに齧り付いている。
「固いな、こりゃ。リンゴ味の餅菓子か?」
「途中ですが、いったん電気をつけてみましょう。どうも、様子がおかしいですよ」志茂田は立ち上がって、部屋のスイッチを入れた。

 志茂田の座っていた前には、「居酒屋あかちょうちん」と書かれたポケット・ティッシュのビニールが置かれている。中身は、食べたように空っぽだった。
「中谷、何をくわえてるのさっ」わたしはびっくりして指さす。「それ、台所のスポンジじゃん」
「うえっ、ぺっぺっ! そういうあんたこそ、何だってパンツのゴムなんか食べてるわけ?」
 言われて、わたしは慌てて吐き出した。誰? こんなもの入れたのは!
「桑田君、あなた、そんなものを食べているとおなかを壊しますよ」志茂田が言った。
「え?」ぽかんと開いたその口からは、イヤフォンがだらんと垂れ下がっている。
「あーっ、それあたしのiPod! 何、勝手に人の物食べてんのよ」中谷は桑田の口からイヤフォンを引き抜いた。iPodは、半分ばかり食べられてしまっている。
「いや、テーブルの上に置いてあったから、てっきり具材だと思って鍋へ……」桑田は頭をかいた。

「もう、あなたがたと闇鍋をするのは、まっぴらですよ」志茂田は、ティッシュの入っていたビニールをにらみつけながら言う。   
「あたしだって」食べかけのiPodを握りしめ、中谷も同意した。
 2人の意見に、わたしもうなずく。もう、絶体に闇鍋などするものか。
 口の中に残ったiPodのかけらをもぐもぐとさせながら、桑田だけは来年の忘年会もぜひ、と期待に目を輝かせていた。

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