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フリーマーケット

 公園でフリーマーケットをやっていた。
「『自由の市場』かぁ。面白そうだから、ちょっと寄ってみよう」わたしは広場を見て歩く。
 普段は一面に青く芝が茂っているのだが、どこもかしこも、レジャー・シートが広げられ、草1本見えない。
 近所や隣町からも人が集まり、思い思いの品を所狭しと並べていた。
「そろそろ涼しくなってくるから、暖かそうなトップスで掘り出し物でもないかな」きょろきょろと見回しながら探す。衣類はたくさん出品されていたが、秋冬ものはまだまだ少なかった。しまい忘れた、夏の薄手のものばかり並んでいる。
「きっと、衣替えであぶれてしまった服なんだろうな。捨てるくらいなら、フリマで売っちゃえ、ってことだろうね」胸の内でくすっとするのは、わが身にも思い当たる節があるからだ。

 本を売りに出している人も多かった。コミックス、雑誌、文庫、ハードカバーなど、様々である。
 売り物を眺めていると、その人が日頃何を読んでいるのかが丸わかりで興味深い。
 一見穏やかそうな男性の前に積んであるのは、「京都殺人紀行」だの「湯けむりに消えたOL」など、ぶっそうなタイトルの本ばかり。 
 そのはす向かいの主婦らしい女性の売り物は、ページの角が色褪せたペーパーバックだった。ハーレクイン・ロマンスやシルエット・ロマンスなど、懐かしい読み物が平積みされている。
 少女時代、さぞ夢中になって読みふけったのに違いない。1冊読めば、あとはどれも同じような内容なのだけれど、なぜ、あんなにときめいたのだろう。

 とある区画では、アクセサリーや家具を展示していた。
 その中で、1軒の慎ましい店に気を惹かれた。小さな木のテーブルに、数えるほどの品が載っただけという、本当にささやかな売り場だ。
 背を丸めて丸イスにちょこんと座るのは、銀色の髪をした上品そうなおばあさんだった。膝掛けの上に両手を重ね、まるで彼女自身が置物であるかのよう。
 テーブルの宝石箱に目が行った。上蓋に赤いのバラのレリーフが施されていた。

「どうぞ、手に取ってごらん下さい」わたしが見とれているのに気付き、おばあさんはそう促した。
 わたしは箱を手にする。見た目より、ずっしりと重たかった。傾けると、中でカラン、カラン、と音がする。
「何か、入ってますね」わたしは聞くともなく、そう言った。
「ええ。開けてみるといいですよ」
 わたしは蓋を開ける。虹色に光沢を放つ玉が入っていた。
「わぁ、真珠……」中珠だろうか。色形、ともに申し分ない。ただ、よくよく見ると、針の先で突いたような、ごく小さな穴が空いていた。
「この真珠、とても小さな穴がありますね」わたしは言った。
「そうでしょう? それが不思議な穴でしてね、じっと覗き込んでいると、おかしなものが見えてくるんですよ」

 本当かなあ。わたしは穴を覗いてみた。
 集中して見つめているうちに、穴がだんだんと大きくなっていく。気がつくと、窓のようにぽっかりと開いた口から、顔を突っ込んでいた。
 そこは宇宙だった。どこまでも暗く、どこまでも深い、果てしない広がりを持った空間である。
 はるか遠くに、赤いモヤモヤが見えた。次第に大きくなってくる。それとも、わたしの方でそちらへ近づいているのだろうか。
「ああ、あれはバラ星雲だ」わたしは気付いた。いつか宇宙図鑑で見た、あの美しい散光星雲に違いない。「これは箱の中? それとも、幻でも見てるのだろうか」

 バラ星雲はさらに広がっていく。わたしは花芯へ向かって吸い込まれているらしい。
 漆黒に咲く真紅の大輪。その中央にぽっかりと口を開けた、ほの暗い花芯。怖いような、それでいて言いがたい陶酔を覚えた。
 花芯に飲まれるほんの一瞬、わたしは確かにバラの香りを感じた。甘くて切なくて、それなのにもっと強く、と求めてしまうあのバラの香り。
 けれど、つかみ取ろうと手を伸ばすと、いつの間にかはかなく消えてしまうのだった。

 ハッと気がつくと、わたしはまだ真珠に空いた小さな穴を見ていた。
「あんなに小さいと思っていたのに、自分こそ、ずっと小さかったんだなぁ」わたしはそうつぶやいた。「この真珠の穴は、それこそノミの目ほどしかないけれど、例え小さくたって、見ている世界は変わらない。もし、ノミに生まれ変わったとしても、バラはバラのままなんだ」
 人生の意味が少しだけわかった気がした。
「この宝石箱、買いたいのですが」わたしは言った。
「次に箱を開くのは、きっとわたし位になってからだと思いますよ。それでもよければ、お持ちなさい」おばあさんは優しく答える。
 忠告されるまでもなく、わたしにはわかっていた。自然と浮かぶ微笑みを押さえられず、わたしはうなずく。
 その日が来たら、今度はわたしが「蚤の市」に座ります、そう心の中で言いながら。

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