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真夜中の恐竜

 わたしの住む街で、近ごろ妙な噂が広がっていた。
 人が寝静まった真夜中に、アパトサウルスが歩き回るというのである。
「3丁目の佐々木さん、あの人の旦那さんがトイレに立ったとき、窓から見たんですってよ」スーパーで主婦が立ち話をしているのを、わたしはたまたま聞いた。
「まあ、怖い。恐竜って、人を食べたりするんでしょう?」
「いいえ、奥さん。アパ……なんとかっていうのは、草食だっていうから、それはないんじゃないかしら。それよりも、寝ている間に家ごと踏みつぶされるんじゃないかって、それが心配で心配で」

 3丁目といえば、うちからも近い。そんなところをアパトサウルスなんかがのっしのっとうろついていれば、きっと凄まじい足音がするに違いなかった。いくらわたしが寝つきがいいほうだからといって、振動で目を醒まさないはずがない。
「また、おかしな都市伝説がはやり始めたなぁ」わたしは胸の中でつぶやいた。
 
 帰宅すると、置きっ放しのスマホに着信があった。友人の志茂田ともるからだ。
 すぐにリダイアルする。
「もしもし、むぅにぃだけど。何かご用?」
「わざわざ、かけ直してくださってありがとうございます、むぅにぃ君」志茂田の声が返ってきた。「昨晩、奇っ怪な体験をしましてね。まあ、寝ぼけていたか、夢でも見たのでしょうけれど、あんまりリアルなのでつい気になって、誰かに話したくなったのですよ」
 もしや、と思う。
「ひょっとして、アパトサウルスを見たとか?」
 一瞬の沈黙があった。
「なぜ、それを? そうなんですよ。寝室の窓から何気なく外を見るとですね、あろうことか見えたのです、恐竜らしき影を。アーケードの向こう側を移動していき、ビルの間に消えていきました。遠くから影を見ただけですが、むぅにぃ君、あなたのいう通り、アパトサウルスだとわたしも思いました」

 わたしは志茂田に、町で流れている噂話を話して聞かせた。
「ほう、そんな噂がねえ。どうやら、わたしの目の錯覚ではなかったようですね」
「でも、変だよね。アパトサウルスって、超重量級だよね? なんで誰も目を醒まさなかったんだろう。ドシン、ドシン、と大きな音がするはずなのに」わたしは素朴な疑問を投げかける。
「うーん、いわれてみればおかしいですね。わたし自身、物音を聞いた覚えがないのですよ」志茂田も不思議そうに同意する。
「ねえ、志茂田。今夜、調べに行かない? 何かわかるかも」
「そうですね。いいでしょう、確かめましょう。桑田君にも声をかけておきますよ。人数は多いほうがいいですからね」
 今晩0時、噴水公園の前で待つことになった。

 真夜中の噴水公園に、志茂田と桑田孝夫の姿を見つける。
「おう、むぅにぃ。クビナガリュウが出没するんだってな。捕まえて、見世物にでもするか。きっと、儲かるぜ」開口一番、桑田のつまらない冗談で迎えられた。
「桑田君、クビナガリュウじゃありませんよ。アパトサウルスです。いいですか、プレシオサウルスのようにヒレがあって、水の中に住むものがクビナガリュウなのです。連中は恐竜ではありませんよ」志茂田がすかさず訂正する。
「どっちも、首が長いじゃねえか……」ぼそっと言い返す桑田。内心、わたしも同感だった。
「では、参りましょうか。昨晩見たのは、国道沿いでした。おそらく、同じ場所に現れるでしょう」
 わたし達は公園を後にする。

 片側2車線の国道は日中こそクルマ通りも激しいが、この時間、しんと静まり返っている。
「ここにほんとに来るのか、クビナガ……いや、恐竜は」桑田は疑わしそうに、辺りをきょろきょろと見回した。
「ここって、役所の近くだよね。住民登録でもしに来たのかな。だったら、昼間じゃないとね」気の利いたことを言ったつもりだったが、2人はくすりとすもしない。
「そろそろ、夕べと同じ時間です。どうか現れてくださいよ。正体がなんなのか、突き止めてやります」志茂田は拳を固く握りしめた。

 ふいに、背後で気配を感じ振り返る。
「わっ、あれ、あれっ……」わたしは思わず尻餅をついてしまった。
「どうした、そんなに慌てて」桑田も、わたしの指差すほうを見て、うおっと声をあげる。
「出ましたね、ついに」志茂田はデジカメを構えて、何度もシャッターを切った。「やはり、アパトサウルスですよ。それにしたって、でかい。こんなにも大きいとはっ!」
 肩までの高さが、傍らのアーケードの屋根ほどもある。伸ばした首の先は、夜の闇に飲まれてしまっていた。
 恐竜は、ゆっくりと音もなく脚を運ぶ。1歩で、10メートルも遠ざかってしまう。

「みなさん、追いますよっ」志茂田が号令をかけた。
 アパトサウルスはのんびり歩いているつもりかもしれないが、わたし達は全速力で駆けないと追いつくことさえできない。
「はぁはぁ、なんだよあの野郎。まるで、滑るようにどんどん行っちまう」桑田が喘ぎながら言う。
「ほんと、まるで幻でも見てるみたい」わたしも息が苦しくなってきた。
「なるほど……。そういうことですか」志茂田は何かに気づいたらしい。
 アパトサウルスはビル街に入り込んだ。
「路地を曲がったよ。ビルの陰に隠れちゃった!」わたしは叫ぶ。
「なぁに、あんなデカブツだ。見失ったりはしねえ」桑田は請け負ったが、3人が角を折れたときは、恐竜の姿はどこにもなかった。
 その先は行き止まりで、あるのは博物館だけだ。

「どうなってる? あいつめ、どこへ消えちまった?」桑田が悔しそうに言う。
「どうやら、アパトサウルスは実体ではなかったようですね」志茂田は考え深げに正面の博物館を見つめた。
「どういうこと?」わたしは聞く。
「この博物館には何がありましたっけ?」反対に志茂田が質問を出した。
「化石だとか、骨格標本じゃなかったか?」と桑田。
 わたしも何度か来たことがある。
「そうそう、たしか恐竜の骨格標本があったよね」

「それですよ、みなさん」志茂田はうなずいた。「1階の大広間に鎮座まします、あの骨格標本。それがアパトサウルスだったことを、わたしは失念していました。さっき、わたし達が見ていたもの、それは標本の生前の姿、つまり恐竜の幽霊だったのですよ」

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