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黒歴史にした瞬間に人間らしさが埋没する

こんにちは、高校時代日本史学年ワースト1だったムーディです。世界史はワースト3だったのでセーフ。

そんな歴史の神様に愛された(?)私は今回の週1noteで密かにテーマにしていたものがありました。

そんな週1note(vol.5)も今回で5週目ですが、過去4週分のリンクを貼りたいと思います。

「高校時代にくさいポエムを作っていた話」

「自分だけの主人公を考えていた話」

「自分をモデルにした小説を961ページ書いていた話」

「現実にいない彼女`竜崎`を作り出した話」

などなど。

これらのnoteを書いたあと、現実世界で

「過去のそういうことをさらけ出せるってすごいなぁ」

と言われたりしました。

実は私は他人からみて「うわっ」と思われるような自己の体験を中心にnoteを書きました。世間一般でいう「黒歴史」というものです。

黒歴史(くろれきし)とは、アニメ作品『∀ガンダム』に登場した用語。物語中では、太古に封印された宇宙戦争の歴史のことを指す。
転じて、なかったことにしたい、あるいはなかったことにされている過去の事象を指すインターネット用語として用いられることもある。

ウィキペディア(Wikipedia)から引用。

なかったことにしたい、あるいはなかったことにされている過去の事象を「黒歴史」という。

みんなから黒歴史といわれるだろうなぁと思いながらnoteを書き、「黒歴史」というタグ付けもした。

そんなことをしといてなんだが、私は人の歴史に対して黒歴史ということはあまり好きではない。「歴史」と呼んだらいいものをあえて「黒歴史」と呼ぶことが嫌いなのである。

なかったことにしたい自身の「歴史」。それはなぜなかったことにしたいのか、を考えたときにふとモヤモヤする。なかったことにすることは可能なのか?それは確かに誰にも知られずに墓場まで持って行くことが出来ると思う。でも、どこか人間らしさが埋没してしまいそうな感じがする。

なかったことにして蓋をする。しかし、その歴史は確かに今の自分を形成している大事な要素であり、私の経験上、「人の黒歴史」といわれるものには良くも悪くも人間らしさがたくさんつまっていることが多い。

過去に彼女がいたことないのに、彼女いたアピールをしていなければ、今の私はいない。どや顔でくさいポエムを世界中に発信してなければ、今の私はいない。

小さい頃からイケてる、イケてないという評価軸に置かれ、流行に敏感にならざるえなくなり、高級な車にのりたくなる。同窓会で自慢できるようなネームバリューある企業に行きたくなる。

ある意味で人間らしさを現わしているのかもしれない。これも素晴らしい。けど、一方でとある人間らしさが埋没している気もする。

「悪いところではなく、いいところに目を向けようよ!」

という言葉は自身の身をおく障害者福祉の世界にいるとよく聞く言葉である。ある意味でこの言葉は「良い、悪いという何かしらの一つの評価軸で人を評価している」と見ることもできるが、あえてこの言葉にのっかるのであれば、

私は悪いところを含めてその人であると思う。駄目なところ(具体的には自分の価値観にあわないこと)も含めて。人間誰しも悪いところはあり、それを含めて人である。

いいところだけみて、人を好きになるのはどこか気持ちが悪い。

その人自身が好きなのでなく、「その人のいいところ」が好きなだけなような気がするからである。

だからこそ、私は他人の弱さや欠点の話を聞くのが好きだったりする。その人の全体像がより見えてくる感じがする。弱さを見せる人には自分の弱さも安心して見せることができる。過去に(現在も)人の評価を気にしていきてきた私は、そういう人といる方が気取らなくても、かっこつけなくてもいいと思うから、気も楽。

と言いつつ。

今回、黒歴史と言われるものをカミングアウトして書いてきた私だが、実は書けないもの、つまりカミングアウトできない事柄も複数あった。カミングアウトできる事柄とカミングアウトできない事柄。この境界線には何があるだろうか。

次回の週1note(vol.5)の最終週にはそれを記して終わりたい。

グッバイオンザビーチ。

#週1note  #黒歴史 #人

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