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雑談#20 ガンダムに導かれ‥‥ベトナム戦争の世界に触れて、知ったこと

「雑談#15 アムロ・レイのキラキラした青春を夢みて」の冒頭で、私はこんなふうに書きました。

 ‥‥1985年に放映されたガンダムの続編「機動戦士Zガンダム」のことは、知りませんでした。大学の同級生が続編やってるよ、と教えてくれた気がしますが、さして興味もなく、そのまま見ることなく月日を過ごしていたのです。そして他の題材にハマっていきました。二輪、F1、そしてベトナム戦争です。

 そこで今回は、どういう経緯で「ベトナム戦争」というテーマにハマっていったのかを、書いておこうと思います。実は自分の中では、ガンダムとつながっており、ガンダムを知らなかったらこんなにも興味を持つことはなかっただろうと思うからです。

 ベトナム戦争という戦争があったことは、もちろん知っていました。私が生まれる前からすでに始まっており、子供のころには現在進行形の戦争で、よくテレビのニュースでも報道されていました。ただ、一体どういう戦争なのか、どういう経緯で始まり、なぜ終わらないのか、など、よくわかりませんでした。

 その戦争について、興味を持ったきっかけは1986年の映画「プラトーン」です。監督のオリバー・ストーンは、ベトナム戦争で従軍し、実際に前線に出て戦った経験があります。その体験をベースに、その戦場がどんな場所で、どんな戦闘が行われ、そこで何を体験したか、ということを一本の映画にしました。チャーリー・シーンが演じた主人公のテイラーは、おそらくオリバー・ストーン自身を投影していると思います。

 その映画については、ここでは詳しく紹介しませんが、映画の冒頭に、このような言葉が掲げられます。

 若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。

 昔見た時、この言葉の意味がよくわかりませんでした。映画に登場する兵士たちは、みな若者です。これから戦地で戦闘と村人の虐殺、レイプが行われる、というとき、それを「楽しめ」ってどういうこと? と感じる人もいたことでしょう。しかし、これはオリバー・ストーン自身の言葉ではなく、聖書の一節からとられた言葉で、続きがあります。

あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。

旧約聖書 伝道の書11:9 

 この聖句の冒頭部分だけを示したのは、その後の言葉、とくに「そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ」ということが、映画を通して描きたかったことだからではないかと、私は思っています。そして、この「若い者」という言葉で、単に戦地へ行った兵士たち、ということではなく、第二次世界大戦の勝利に酔いしれ、絶好調の50年代を過ごし、再びの勝利、そして英雄になることを夢見たアメリカという国を、オリバー・ストーンはさし示したかったのでは、と。

 私は、この映画を通してベトナム戦争を知るまで、戦争というものは、プロの軍人とプロの兵士がやるものだと思っていました。ガンダムでは若者、それも10代の若者たちが戦っていましたが、それはフィクションだからね、とどこかで思っていたんです。でも、現実の戦争はそうではなかった。

 プラトーンとは、10〜30人程度の小隊のことです。この小隊を率いる小隊長が、映画「プラトーン」ではウォルフ中尉でした。また、同様に従軍経験をもとに書かれた小説「本当の戦争の話をしよう」で、著者のティム・オブライエンが所属した小隊の小隊長はジミー・クロス中尉でした。そして、この小隊長はどちらも、大学生だったんです。22、3歳というところでしょうか。ウォルフ中尉については、映画の中で言及はされていなかったけれども、カレッジのTシャツを着ていることで、それを示していたと思います。
 ウォルフ中尉は、敵と遭遇した際、その地点を空爆するよう要請するのですが、地点の指示を間違えてしまい、敵陣ではなく自分の小隊がいるところが友軍に空爆されてしまいます。ジミー・クロス中尉は、行軍中、恋人の写真を思い浮かべながら歩いている最中、味方の一人がトラップにかかって死んでしまいます。また後方にいる上官から指示された場所で野営することになったとき、地元民が「そこはだめだ」という意味がわからず、雨で川の水が溢れて野営地がのまれたとき、そこが地元民の便所だったことを知り、その糞溜めに兵士が一人飲み込まれ、結果的に死なせてしまいます。
 大学を出るか、あるいは在学途中で軍に入り、数ヶ月の訓練で小隊を指揮する立場になる、って、こういうことなのです。その小隊の10数名の命を背負うことなど、できるでしょうか。たかだか20年ばかり生きてきただけの若者に。

 ガンダムで、ホワイトベースの指揮官となるのは、19歳のブライト・ノアでした。彼はおそらく士官候補生で、上記のような若い小隊長と同じように、学生から軍に入ったのだと思います。あれで19歳? そんなばかな、とずっと思っていました。でも、あり得る話なんです。
 そう思ったとき、私にとって戦争というのが、ものすごく、すぐそばにあって誰もが経験する可能性のあるもの、と思えるようになったのです。そして、それがどれほどの苦悩をもたらすものなのか、ということを知りました。

 「ジャングル・クルーズにうってつけの日 ヴェトナム戦争の文化とイメージ(生井英考著)」という本を通して、先にあげたティム・オブライエンの小説のことを知りました。そのときはまだ、邦訳されていませんでしたが、しばらくして、村上春樹さんの翻訳により「本当の戦争の話をしよう」が出版され、飛びつくようにして読みました。

 私たちは、どこか戦争に「美しい自己犠牲」という英雄的行為を期待し、それを消費することで満足を得たい、という欲望を持っているのではないでしょうか。それはフィクションの世界において実現され、たとえば「さらば宇宙戦艦ヤマト」で特攻する古代進、「逆襲のシャア」で地球へ落下する隕石を止めようとするアムロ・レイ、「永遠の0」で不敵な笑みを浮かべながら米軍の戦艦に特攻する宮部、というキャラクターを生みました。
 でも、本当に戦争を体験した人が描く兵士は、そういうものではなりません。そこには、英雄的な姿はみじんもなく、汚く、みじめで、考えられないほどあっけなく、何の意味も、名誉もないまま死んでしまうのです。私はベトナム戦争の一端を知ることで、自分がエンターテイメントを通して知ったつもりになっていた戦争と、現実の戦争とがいかにかけ離れたものであるかを感じ、それゆえに、ベトナム戦争に興味を持った、と思います。

 ところで、もちろん私たちの国も、戦争をしました。そのときのことは、どうでしょうか。その後、私は自国の戦争についても、それがどれほどみじめなものだったかを学びました。特攻隊など、一部に光があたりその行為が英雄視され続けていますが、そういうところにとどまり続けていては、いけないと思います。

 ジャングルで彷徨する兵士の物語として、ベトナム戦争では「本当の戦争の話をしよう」を取り上げましたが、太平洋戦争の物語として、最近、大岡昇平の「野火」を読みました。ベトナム戦争の米軍の兵士でさえ、あれほどに惨めだったのに、でも、あの小隊には、まだ兵士どうしの間に、絆と呼べるものがありました。でも、太平洋戦争時、レイテ島のジャングルで置いてけぼりにされるという「野火」の兵士たちの間には、もはや兵士の間にある絆のようなものはまったくなく、そこにあったのは「経済」(食料をやりくりして生きていくため)であり、「おれのここ(腕)を食ってもいいぜ」という‥‥究極の自己犠牲でした。その圧倒的な惨めさを、そういう状況に兵士たちを追いやった、という現実を知らないまま、いつまでも、戦争をエンタメとして消費するだけであっては、いけないんじゃないかと、自らを時折振り返っています。

 そして、優れたエンタメであり、最初にブームになった当時「戦争を賛美している」と的外れな非難を浴びたにもかかわらず、「機動戦士ガンダム」という作品から導かれて、現実の戦争を知るきっかけを得ることになったのは、作り手が、作品を通して知ってほしい「現実」を持っていたからにほかならない、と思っています。

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