見出し画像

雑談#15 アムロ・レイのキラキラした青春を夢みて

 今になって、こうして「機動戦士ガンダム」の二次創作小説を書いている私ですが、実はファーストガンダムの劇場三部作が公開された後、ブームがガンプラへ、そして富野アニメ(イデオン、ザブングル、ダンバイン、エルガイム)とマクロスへ移っていくにしたがい、私の関心は他へ向かっていき、アニメそのものから離れていったので、1985年に放映されたガンダムの続編「機動戦士Zガンダム」のことは、知りませんでした。大学の同級生が続編やってるよ、と教えてくれた気がしますが、さして興味もなく、そのまま見ることなく月日を過ごしていたのです。そして他の題材にハマっていきました。二輪、F1、そしてベトナム戦争です。

 その続編を見るきっかけになったのが、インターネットでした。1990年代の終わり頃、実家もプロバイダーに加入したので、当時大流行したカラフルなiMacを購入し、自分の部屋でネットが見られるようになったのです。iMacにはPageMillというホームページ作成ソフトが付属しており、ちょうど仕事でもホームページビルダーの使い方を教えてもらったりしていたので、ふと自分のホームページを作ってみようと思い立ちました。その「ネタ」にしようと思ったのが、かつて大好きだったアニメ、ガンダムでした。インターネットで、その後続編が多々制作されていることを知り、この続編を見て感想を書いたりしたいな、と考えたのです。
 それで、ファーストから順番に、レンタルビデオ(当時はまだレンタルはビデオだった!)で借りてきて視聴を楽しみました。

 さて、ところで私が知らなかった続編のZガンダムについて、私の見解に触れておくことにします。

 最初に見た印象では、話がさっぱりわかりませんでした。キャラクターに思い入れもできず、前作キャラの扱いにも不満があり、うーん、なんでこうなった? という感想しかありませんでした。
 しかし今になってみると、それは致し方ないことだったのかなと思います。

 続編ということにはなっていますが、「機動戦士Zガンダム」は、前作のキャラクター数人が成長して登場するという形で辛うじてつながっているだけの、別の世界の作品だと今は感じています。当時は今と違って、放映が終わったテレビアニメを再視聴するのは、再放送の機会のほかには、なかなかありませんでした。視聴者層も数年たてば入れ替わることが前提で、ファーストガンダムにはまった層より下を狙っていかねばなりません。なにしろ前作終了から4年たっていましたから、いくら映画があったとはいえ、若者の興味関心はすぐにうつりすぎてゆくのです。だから、前作を知らなくても一から入っていける話として、作られたのだと思っています。(一説によれば、富野由悠季監督の前作「重戦機エルガイム」と非常にストーリー展開が似ているという話です)

 続編が制作されシリーズ化した人気作、といえば当時はなんと言っても「宇宙戦艦ヤマト」でした。

 「宇宙戦艦ヤマト」は、なんで毎回地球が宇宙人に狙われるんだというツッコミはありながらも、主人公は古代進、乗る船はヤマト、敵は異星人、そして前作キャラ(とくにデスラー)ががっつり絡んでくる、というシリーズの心柱みたいなものがありました。そして続編というのは、そういうものだと思っていました。おそらく一番大きな不満となったのは、そこだったと思います。主人公がアムロでなくなっていたことは、残念でした。自分が、それほど物語の中では重要ではないと思っていたニュータイプとの出会い(男女に限る)がメインになり、しかもオカルト的に表現されていたのも、なんか違うと思いました。しかし、Zガンダムの成功により、ガンダムの続編にあるべき要素は宇宙世紀の年号とガンダムの名がつくモビルスーツ、そしてニュータイプの三要素ということが決定づけられました。

 主人公がアムロではなかったことはともかくとして、続編のZガンダムで描かれた一年戦争後の彼の境遇には、とってもがっかりした覚えがあります。戦後一時期は英雄視されていたのに、そのニュータイプ論や能力が危険視されて軟禁状態、というのです。もっとも、そうした理由は明確に作品の中で語られていたわけではなかったのですが、補完のため読んだ小説版ではそういうふうに書かれていたと思います。さらに付け加えるなら、週に1回娼婦があてがわれていたとか、そんな話もありました。本編を見てがっかりし、小説版を読んでさらにがっかり度が増す、というわけです。

 ただ、一つだけ、そんなアムロの描き方で、すごいなと思うところがありました。それは、彼が軟禁状態から脱出を図りクワトロらと合流したあと、はじめてモビルスーツに乗ろうとして乗れない、宇宙に出るのが怖い、と怯える描写です。

機動戦士Zガンダム第15話「カツの出撃」より、フラッシュバックに襲われるアムロ
機動戦士Zガンダム第15話「カツの出撃」より、
戦いの恐怖に体がすくみ、モビルスーツに乗れないアムロ。


 自分の中でガンダムのブームが去ったあと、映画「プラトーン」に衝撃を受けてベトナム戦争にはまった私にとって、これはすごいと思える描写でした。今では広く知られるようになったPTSDですが、この症状が知られるようになったのはアメリカではベトナム戦争の帰還兵によって、日本では1995年の阪神淡路大震災によってです。アムロはPTSDによるフラッシュバックを起こしていたのです。まだ、そうした症状についての知見が広まってはいなかった1985年に、よくこういう描写ができたなあと、そこにはとても関心しました。
 このアムロの人物像には、一番説得力がありました。なぜ、アムロが続編の主人公になれなかったのかを考えると、やはり、この描写を見て納得せざるを得なかったからです。

 最後にアムロは1988年の「逆襲のシャア」で主人公としてカムバックします。Zガンダムでは途中退場、その続編のZZには登場しなかったため、その後どういう経緯で、反政府側武装勢力について戦っていた彼が正規軍に復帰したのかは謎ですが、ここでは一転、押しも押されもせぬエースパイロットとして登場し、しかもブライトとタメ口をきく大人っぽい姿を見せてくれて、1アニメキャラクターが成長して大人になったということに、感動しました。

 しかし、振り返ってみると、ガンダムはヤマトと違い、続編ごとに主人公がチェンジしてしまうので、一人のキャラクターの人生の歩みを描いたシリーズとして楽しむには、いろいろと難があります。逆にいうと、空白を埋めたり、もしこうだったら、と空想する楽しみ方ができる、ということはあると思います。

 公式シリーズのZガンダムでは軟禁状態に置かれていたアムロですが、彼が主人公だったなら、本来人生で一番キラキラしている10代後半から20代前半という時期なのです。PTSDに苦しみながらも自分の人生を取り戻そうと、新しい友情を育んだり、恋したり、自分の内側に新たな自分を発見したりしているはずです。「あの」ガンダムの主人公だったからこそ味わわなければならなかった辛苦から、何を得て何を捨てるのか。そういう物語を、本当は見たかった。その結果として、あの大人になった「逆襲のシャア」のアムロがあると考えれば、自分の中で、ようやくガンダムが完結する。そんな気がします。

 続編であるZガンダムのことは横に置き、自分の夢想した「機動戦士ガンダム」のその後を書いているのは、そんな思いがあるからです。

 最後に一つ、そんな私の小説の中から、こちらをご紹介します。

 シャアとアムロ、それぞれが戦後に味わった空虚感と苦しみを描いた短編です。B'zの名曲「LOVE PHANTOM」から着想したお話です。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。 ぜひ、スキやシェアで応援いただければ幸いです。 よろしければ、サポートをお願いします。 いただいたサポートは、noteでの活動のために使わせていただきます。 よろしくお願いいたします。