『色彩休暇』 #6 漆黒のバブル

私と新菜は駐車場に車を止め、
ただ黙々と静寂が馴染みきった住宅街を進む。
住みやすそうな場所だね、家までは歩いてどのくらいなの、など、
この沈黙を埋める他愛もない話題を振ることはできたはずだ。
しかし彼女の綺麗に伸び切った背中は、
そんな沈黙など微塵も気にも留めていないように見えた。
中野駅から程近い住宅街に位置する3階建てのマンション。
キッチンが備え付けられた廊下を抜けた先にある6畳ほどの洋室。
よくあるタイプの間取りだが、そこには所狭しと様々な年代の機械部品などの”ジャンク”が散らばっている。
新菜はデスクの引き出しから、ウェブカメラが接続されたGAME BOY pocketを取り出すと、自分の負傷した掌をカメラの画角に収め、160×144ピクセルの本体画面に映し出される。
画面内のドットのサイズが膨張し、それが徐々に元の大きさに収縮すると、そこには20代の艶やかな肌がピクセル表示されており、
目線を新菜の掌に移すと、彼女の傷が完治していた。
「バグなら、直せばええ」
立花は頭を抱え、デスクに手をつく。
そこに無造作に広げられていた紙に立花の手が触れると、
そこに描かれていたメカデザインのイラストが、
立花との接触部分からじわじわと着色される。
すると次第に大きなペンキの気泡が生まれ、
スイカ程の大きさになったところで爆発する。
ペンキにまみれた紙からは、イラストが消えている。
「なにこれ!」
「知らんて!なんやのその能力」
「違くて!これ!」
「ジェットブーツ。見たら分かるやろ」
にやける立花、ジェットブーツを持ち、新菜を見つめる。
ため息をつく新菜、片手で頭を抱える。

新菜は立花を脇に抱えて夜空へ浮き上がる。
重力に逆らえる推進力を得る代わりに、
息もできぬ程の強風がふたりの顔面を叩き続ける。

新宿パークタワーの頂上に着地すると、立花は靴を脱いで揃える。
縁に座り込むふたり。
立花、息を整えながら、
「これ、人生初めてのわがままかも」
振り向く新菜。
「後出しの方が楽なんだよね。いつの間にか自分の考えていることをそのまま伝えるのが怖くなってて、嫌われないように、異物だと思われないようにすることが癖みたいになって。皆ひとりひとりに合わせた自分を作って演じてきたけど、どれも本当の自分じゃないみたい。でも、先輩は......」
人は自分の唾液の味、鼻の匂いはもちろん、
肌の熱を知覚することができない。
しかし発熱した他人の肌に触れると熱があるかどうか分かるように、
他者がいて初めて「違い」は生まれ、同時に自己を認識する。
自己の”色”をコロコロと変えることで空気を読み、その場に溶け込む。
いつしかそんなコミュニケーションしかしなくなった立花に、
その色の多さを肯定してくれた存在が実原だった。
新菜、立花の顔面に一枚の紙を押し当てる。
「はうっ」
紙を奪い取る立花、
そこには炭酸の缶が接続されたビデオカメラが描かれている。
「なにこれ」
「ええから」
その紙に触れる立花、描かれたスケッチが実体化する。
「それで当ててみ」
戸惑う立花をよそに、ビルの淵からジャンプして重力に身を任せる新菜、
しばらくしてブーツについたジェット噴射で上昇する。
見上げる立花、その歪な炭酸カメラ銃の照準を新菜に合わせる。
新菜に向けて引き金を引く立花、それをさらりとかわす新菜。
挑発する新菜に向かって、立花は数発連続で発射する。
レンズから放たれた光は直進し、触れた空気をモノクロに変える。
その光は一定時間直進すると、空中で花火のように爆散する。
新菜、立花の元に戻ってくるが、風にあおられ淵でバランスを崩す。
ぐらつく新菜の腕を引く立花。
腕を取り合うふたりの後ろでモノクロの花火が散る。

「あいつ、ついに始めおったで!」
二人の間に割って入ったテクノウーパー、
首の辺りから生えた6本のエラは7色に光続けている。
規則正しく建てられた高層ビル群の中で、
一際鋭利な輪郭を示している「株式会社ビヨンド」。
その最上階から、まるで視認できる電磁波のような、
モノクロの波が不定期に押し寄せている。
ポケットからA4のコピー用紙を取り出し、
鉛筆の黒鉛で何かを殴り書きする新菜。
それを描き終えると、四つ折りにして立花に手渡す。

「株式会社ビヨンド」の最上階、第一開発室。
小柄な操作パネルの電源を入れ、それを起動する白髪の男。
パネルの中央から伸びる台座上では、
複数のコインが繋がれたチェーンが浮遊している。
そこに男が手をかざすと、中央に設置された8本の柱が発光。
円を描くように配置された柱の中央からは、大量の漆黒のバブルが、
発生と破裂を繰り返している。
最初は小さかったバブルは、それぞれが接触することで癒着し、
一つの大きな塊となる。
男がそれに手を伸ばした瞬間、全面ガラス張りの窓の破砕音が室内に響く。

ジェットブーツの推進力を得た新菜は、
立花を抱えて粉砕されたガラス片の上を飛び越える。
着地するなり男に向かってダッシュする新菜、
彼に息を吐かせる隙も与えず接近し、
ジェットブーツの噴射を利用して蹴り飛ばす。
壁にめり込む男。
「立花!場所は!」
立花は指で輪っかを作ってその中に男を捉えるが、何も見えない。
「どこにも!」
新菜、立花の方を振り返り、「なんやて!」
「新菜!前!」
どこからともなく現れた黒々とした巨大なカメレオンが、
尻尾で新菜を弾き飛ばす。
それは素早く舌を伸ばし、新菜の腕に巻き付く。
腕を引き、そいつを宙に浮かせて引きつけ、天井に蹴り上げる。
カメレオン、天井に張り付き新菜に飛び掛かる。
シュル、装置を起動する。
立花はそれを横目に、男に向かって銃を構え、一発放つ。
それが彼が装着しているマスクに擦り、ひびが入る。
マスクを外す男。
「え、なんで」
月光に照らされる男の輪郭。
「先生…」
「すまない立花。これは娘との約束なんだ。そのために、実原くんにも協力してもらおうと思ったんだけどね。なかなか理解が得られなくて」
「先生がやったんですか…先輩をどこにやったんですか…」
「安心して、あれは彼女の自由意志だ」
一歩後ずさる六花、足元に落ちていたビヨンドグラスを踏みつけ、割れる。
「そもそも、それを僕が何のために作ったと思う」
「え…ちがう。これは実原先輩が」
「勘違いさせてしまっているようだね。あんなことがあった直後にここに異動させられた君が、男性不振に陥るのは特別変な事ではない。ただ、それでもまだ学んでいないようだね」
立花「は......なに言って」
森本は鼻で笑い、
「実原くんの最後も同じ目をしていたな」
立花の目からピクセルドットが漏れ出す。
「立花!あかん!最初からそいつは!」
「カラーディメンションでは、色彩休暇が発生した瞬間に生まれた者しか存在できない。自分の色を持たない、カラーレスチャイルド。必要なんだ。立花、色彩休暇を起こした君のその目が」

その瞬間、その空間一帯がモノクロに変わる。
カメレオンが黒に滲み、消える。
「なんやそれ」
「君はまるで私の感情を読んでいるかのように、私の望む通りの振る舞いをしてきた。立花、君のその目は、他者の感情の色を見ることができる」
「デタラメ言うなや!」
新菜、森本に飛び掛かるが跳ね除けられる。
「バグは黙っていろ」
新菜、飛び散った窓ガラスに反射する立花の顔が目に入る。
「疑いようもない。このモノクロの空間で唯一、君のその片目だけが色を放っているんだ」
テクノウーパーが浮遊しながら立花に囁く。
「それなら立花が新菜のおかんを殺したっちゅうことになるわいな?」
立花「え…」
「他人が何を考えているかなんて知るのにはもう疲れただろう。特に、自分の意思を持たない君には。さぁ、私と一緒に来てくれ。私なら、君のその目を治してあげることができる」
立花に手を差し伸べる森本。
炭酸カメラ銃の銃口を森本に向ける立花。
森本は差し伸べた手を翻し、立花の目から色を吸収する。
立花、銃を落とし、両手で目を押さえる。
もがく立花、色がついていた片目から血が流れる。
モノクロの空間に色が戻り、森本の結晶による武装が朽ちる。
実原が溢れ続けるバブルの中から現れる。
「先輩!」
「ありがとう立花、良い目印になった」
実原の両頬に紋様が浮かび上がり、
バブルから森本に向かって光の蔦が伸びる。
それらを切り落として抵抗をする森本だが、即座に拘束される。
すると森本に色収差が起こり、彼の色が吸収されていく。
森本の口がテクノウーパーの口と連動し、
テクノウーパーが新菜の耳元で囁く。
「僕をここで殺せば、君は2度と母親とは会えなくなる。これまでの犠牲を、無駄にしたくはないだろう」
両手を広げ、劣化したグローブを見つめる新菜。

実原は立花に近づき、一本のフィルムロールを手渡す。
「これ…私があの時渡せなかった…なんで持ってるんですか」
実原、微笑む。
その瞬間、森本は実原を背後から結晶でひと突きにする。
次第に実原に色収差が起こり、森本に吸収されてゆく。
「え、先輩?」
実原の輪郭が、空気中に色移りして消え去る。
膝から崩れ落ちる立花。
バブルの前に立つ森本、ひび割れたマスクを装着している。
「これで、ここになんの未練も無くなったね。向こうで待っているよ」
森本はバブルの中に飛び込み、彼を包んだバブルは跡形もなく弾け飛ぶ。
「立花、ごめ...」
「楽でいいよね、そうやって自分のことばっか考えて生きてる人はさ。そうだよね、あなたは結局母親に会えればそれでいいんだもんね。それが先生......いや、あの男の手助けになるとしても。そのために戦ってきたんだから。私と一緒にいたのだって、この目の能力を利用したかっただけなんでしょ」
「なに言うてんの。そんなんちゃうから」
「じゃあなんで!......色彩休暇だか何だか知らないけどさ、私は普通に、ただ平凡に生活したいだけなの。なんの波風も立てずに」
「うちだってあいつに全部奪われてんねんで!?テクノウーパーも全部嘘やった。今すぐ向こうに行かんともっとあかん事に...」
「もういいって!面倒なんだって、争うこと全部。疲れたの。だから、あなたの争いにこれ以上巻き込まないで」
「じゃあ、先輩はどうなんねん!」
立花は先ほどまで実原がいた場所に目線を落としながら、新菜に向けて炭酸カメラ銃の引き金を引く。
吹き飛ばされる新菜、倒れ込む。
立花はその銃を投げ捨て、エレベーターへ向かう。

「いらっしゃい!」
新菜は暖簾をくぐると、厨房から最も近い席へ座る。
「あぁ、あんたか。またそんな汚い格好で。いつも掃除が大変なんだけど」
「きたなうまい店でやってんやからええやろ」
新菜の腕から滴る血が、床に落ちる。
席に座る新菜の目の前に医療キットの箱と
酢豚が盛られた皿を置く女性店員。
「パイナップル入っとらんやん」
「ねえ、ニナちゃん、なんで私がいつもメニューにもない酢豚にわざわざパイナップル入れて出してると思う?」
「そりゃあ、うちが美味しそうに食べる姿が愛くるしいからやろ?え、メニューにないん」
新菜はメニュー表に目をやると、酢豚が書かれていたであろう部分が、
マジックペンで塗りつぶされている。
「お姉……あんたのおかんと私がまだ高校生だった時はまだおとんがいてな、仕事でほとんど家にはいなかったんだけど、休みの日かつ機嫌が良いって条件が揃った時にだけよく酢豚を作ってくれてたの。いつもは口も聞かない程仲の悪かった私たちでも、その時だけは同じテーブルに座ってその酢豚をつついてた。でもお姉はいつも、そこに入ったパイナップルだけ残してたんだよね。だからある時私は、良かれと思ってお姉が席に着く前に先に食べてあげたんだけど、それを見たお姉は私の髪をグワッーって引っ張ってさ。そこから大喧嘩。口で言えばいいのにね」
「それは勝手に食べる方が悪いやろ」
「でもな、本当はそれは残してたんじゃなくて……」
包帯を巻く手を止める新菜。
「なんだったっけ」
ため息を吐く新菜。
「要はね、相手がなにを望んでいるのかを想像することが、対話だってこと。あんなメガネひとつで目の前の人がなにを考えてるのか一瞬で分かって、それが勝手に文字を送信し合ってる世の中でも、その分からないことの尊さは失われない。自分の都合のいいように相手を捻じ曲げちゃだめ」
包帯を巻き終える新菜、酢豚を一口食べる。
「見つけてん、やっと。おかんを殺したやつを。きっとあいつを倒しても、また同じようなやつが入れ替わるだけかもしれへん。でもな、今度は自分じゃなくて、誰かのために最後まで足掻いてみたい。うちのこの殺意は、人を生かすために使われるべきだって、おかんも言っとったしな」

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

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