『色彩休暇』 #3 警告色の節足動物

立花が勤務する大手ゲーム会社「株式会社ビヨンド」。
その最上階に位置する第一開発室の中央には、内側に湾曲した8本の柱が円形に設置された装置が設置されている。
隣接した小柄な操作パネルの電源を入れ、それを起動する実原。
ネックレスを外し、パネルの中央から伸びる台座上で浮遊する。
「実原くん珍しいですね、残業ですか」
語尾が少し擦れる、低めのその声にハッとして振り向く実原。
ダークネイビーのセットアップスーツに身を包んだ男が、革靴と床との接触音をわざとらしく響かせ、近づく。
「少し調整しなきゃいけいないバグを見つけたから」
「それくらい僕がやっておきますよ。せっかくリリースできたんですから、少しは休んでください」
それを無視して装置を起動する実原。
一面のガラス窓から差し込む月明かりが、男の白髪を照らす。
男はパネルの端に位置する、大きめのボタンを押す。
「遠慮しないでください。それとも、あちらに急用でも?」
ぎゅうんと大げさな機械音を響かせて、
装置の電源と浮遊していたネックレスが落ちる。

18:58。
「立花さん、今日このあと空いてたりしませんか?」
そう言ってなんの了承も無く私のデスクに両手をついて見つめてくる彼は、隔週で全く同じ文言を同じ時刻に放ってくる。
「なんでですか?」
私は隔週で全く同じ返事を同じ時刻に放つ。
「もし何も無かったら、これから一緒にご飯とかどうかなと思いまして」
(この”コ”詰められたら断れないタイプだと思うんだけど、意外とガード固いよな。会社では清楚系で静かだけど、夜は意外と積極的とかギャップあったらかなり”アリ”なんだけどな。)
私の脳内になんの了承も無く垂れ流される彼の思考。
「すみません!今日はちょっと、予定があるので...」
自分よりもひとつふたつ年下の彼は、一緒に仕事をする分には好青年という印象だが、脳みそが下半身に付いていることは他の男性とやはり違いがないらしい。断りを入れられた後の後味の悪そうな彼の背中から、視線を斜め向かいの席の上司に移した。

19:01。
まず確認するのは、マウスのクリック音は収まっているか、そして鞄のファスナーをスライドさせる音が聞こえるか。そしてローラー付きの業務用チェアを引く音が聞こえたのを合図に、私はPCのシャットダウンボタンを押す。

19:30。
グラフィックデザイナーという仕事は、会社に属していたとしても人と接することが比較的少ない。ビジネス用メッセージングアプリを使用したやり取りでも充分なくらいだ。しかし先の疫病渦で散々発達した、他者と接触することを避けるための技術はいくらでもあるにも関わらず、社長の方針により、私たちは出社を強制されている。
何事にも求めているのは統合ではなく、選択の自由だというのに。
そんなどうしようもない不満を脳内でスレッドのように積み重ねながら、
エレベーターホールを行き来する人々を眺める。
人間の色彩感覚は、他者の感情を読み解くために発達したのだという。
羞恥心を抱くと顔を赤らめたり、気分が落ち込むと青紫がかったり。
感情によって変化する肌の血量と酸素飽和度を、
無意識に見極めているのだそうだ。
たしかに自分では自身の唾液の味、鼻の中の匂い、
肌の熱は知覚できないが、他のヒトの発熱した肌に触れると熱があるとわかるように、自分と他者を隔たるもの、区別する要素として「熱」は重要なのかもしれない。

実原先輩はまだ来ない。
他人の感情が色のついたオーラとして"見える"人が極たまにいるらしいが、それはきっと、色彩感覚がとてつもなく優れていて、肌の血量と酸素飽和度の変化を過敏に察知しているか、
スピリチュアルビジネスのいずれかだろう。
メッセージの受信履歴を確認しようと実原先輩に手渡されたビヨンドグラスに触れた瞬間、視界が一瞬にしてモノクロになり、ビルの最上階に米粒程の赤い人影を認めた。
エレベーターホールにベルが鳴り響くのを合図に、私は昇降機に乗り込む。

ハチだ。
ミツバチが8階のボタンにピッタリと止まっている。
恐る恐る最上階のボタンを押そうとすると、
同乗したそいつは私の手の甲に向かって針を刺した。
慌ててはたき落とすが、そのミツバチは平気そうに飛び去っていき、
窓ガラスに向かって一定のリズムを崩さず逆さまに体当たりを続けている。すると徐々にその体の警告色が、
水に垂らした水彩絵の具のようにガラスに溶け出した。
その様子につい見惚れていると、エレベーターは最上階に到着、扉が開く。
一帯に無色透明でシャボン玉のように反射をする煙が立ち込めている。
煙の切れ間から巨大なシルエットが浮かび上がり、
無意識に「閉めるボタン」を連打。
すると次第に壁や服など、身の回りの色がそのシルエットに吸収されていき、鮮やかにその輪郭を浮かび上がらせた。
水槽に貯めた水の中にアクリル絵の具を一滴垂らしたかのように、
空気中に飽和しながら流れる色。
あたり一体がモノクロになった時、
私はやっとそれが”感情”であることに気づく。
なにも感じない。
そして自分の意図とは関係なく、私はその巨大なカメレオンに手を伸ばす。
そのカメレオンの口が大きく開き、舌が伸びてくる。
その瞬間、視界の奥から人影が飛び出し、大きく何かを振りかぶると、
その巨体は投げ飛ばされた。
飛ばされたそいつの口から色が漏れるが、辺りは無色のままだ。
目の前で綺麗な着地を決める、
橙色の作業着を着た三つ編みの女性を視界に認める。
すると奥から、大型犬ほどの大きさの黒光りしたウーパールーパーが大量に地を張って迫ってくる。
「今度は自分の身は自分で守りい」
関西弁の彼女は私に、あの巨体をぶん投げた巨大なレンチを投げ渡す。
1匹のウーパールーパーが尻尾をバネにして立花に飛び掛かり、噛み付く。
痛すぎる。
レンチを何度も突き刺して肩についた異物を振り落とす。
彼女にそれを気付かれるが、私は強がってOKサインを出した。
すると人差し指と親指でつくった円の中から覗いた視界には、
色があることに気づく。
私は思わずフリーズし、レンチを落とす。
すかさず彼女は私の手を引いて、狭苦しい回線ルームに逃げ込んだ。
あのウーパールーパーの血なのか、粘性のある液体で彼女のグローブは黒に染まっている。
「なんなんですかあれ!」
彼女はポケットから布切れを取り出し私の肩の負傷を止血する。
そしてその布をぎゅっと結ぶ。
「説明はあと!ひとまずコインを見つけなあかんから」
「コイン?」
「オマエそんなことも知らずにここにいるんか」
彼女の背後からぴょっこりとなにかが飛び出し、右肩に収まった。
「さっきの大きいカメレオンの体内のどっかにある透明なコインを見つけ出して、ゲームをスタートさせないと、このゲームは終わらんのや」
「そのエセ関西弁どこで覚えてきてん。爬虫類のくせに」
「両生類や」
すあまのような桜色の頭から生える6本のヒレは、
それぞれがゲーミングPCさながらに七色に光り続けている。
「うちは新菜。ほんでこのコはテクノウーパー。カラーディメンションの中にいる時だけ、データム・エーペックスによって私たちがコロルフォビアになることから守ってくれんで。片時も離れん方がええ」

頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされたと同時に、
扉の外からコピー機の稼働音が聞こえてくる。
恐る恐る扉を開けると、廊下の真ん中にポツンと置かれたコピー機が、
モノクロの文書をひたすらに排出している。
本体に手をついて印刷が終わるのを待つ人影。
「あれ、人間じゃない?」
すみませーん、と声の張る限り呼びかけてみたが、新菜に口をふさがれる。
外から流れる風に運ばれて印刷物が新菜の足元に届く。
それを拾い上げると、びっしりと敷き詰められた文字。
所々が黒く塗り潰されている。
「点と点をなぞると、ほら、見えてくるだろう?」
人影が目線を変えずに呟く。
「耳に入れたらあかんで」
そう言うと新菜は勢いよく飛び出し、いつの間にか片手に持っていたモップで攻撃をしかけるが、未だコピー機に視線が張り付いた影は、
新菜をノールックではたき倒す。
「私はね、君の想像力に生かされてるなあっていつも感じてるよ」
視線を立花に向ける影、倒れた新菜を踏みつける。
「でもね......君のその想像力はいつかきっと命取りになる」
私は足元に落ちていたレンチを拾い上げ、扉を大きく開ける。
その影は徐々に大きく膨らんでゆき、
黒々とした大きなカメレオンに姿を変える。
そしてヤツはゆっくりと大きな口を開け、立花に飛び掛かる。
親指と人差し指でつくった輪の中に、ヤツを捉える立花。
レントゲンでスキャンしたかのようにくっきりと、
その体内に無色透明なコインが見え、立花は大きく開いた口に飛び込んだ。
その瞬間、立花の視界から光が消える。
閉じ込められた音も反響しない空間。
そこで片手に握ったレンチを上部に突き刺し捻り込む。
カチン。
立花を包んでいたそれは一瞬にしてペンキのように液状化し、爆発。
レンチを掲げたまま思わず立ちすむ立花。
レンチに挟んだものは、
実原がいつも首にかけていたネックレスのコインだった。
しかし、立花が触れると火花を上げて弾け飛ぶ。
それを回収する新菜。
「投げんなや。ただのコインやないんやから」
彼女がなぜ現場にいたのか、コインとは一体なんなのか、実原について何か知っていることはないかなど、立花は次々と湧き出る疑問への処理が追いつかないでいた。
質問攻めにしてくる立花を突っぱねながら、
新菜はエレベーターのボタンを押すが、反応がない。
立花はセキュリティカードをかざして、下へのボタンを押す。
エレベーターの扉が開く。
立花はほくそ笑んだ表情で新菜を横目に昇降機に乗り込む。
「嫌味なやっちゃな」

ゲームセンターの地下に位置する対戦型格闘ゲームに100円玉を投入する立花と新菜のふたり。
「これでうちに勝ったら教えてやらんでもない」
約3時間にも及ぶ画面内のストリートファイトはこの一言から始まったにも関わらず、立花がKOすることは一度もなかった。
「1,000円かしてくれたりせえへん?」
カートゥーンアニメのようにわざとらしく眉を顰める立花。
「明日から個展やんねん」
ポストカードを渡す新菜。
「来てくれたら返すから。な?」
「え〜、明日仕事だしな〜。ここに書いてある時間には間に合わないかもだし〜」
と言って1,000円札をちらつかせる立花。
「あと、アクキーも1個付けたる」
「それはいらない」
「なんやねん!知ってる事全部教えてほしいゆうからそうしたる言うてんのに」
「だったら今言えばいいでしょ」
新菜は目線を泳がせ、先程の戦いで拾ったコインのネックレスを立花の目の前にぶら下げる。
「もうええ。これは預かっとくわ」
新菜はそう言い捨てると、そそくさと出口へと繋がる階段を登る。
立花はすぐさま追いかけるが、彼女は既にネオンが照らす街の喧騒に消えていた。

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

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