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【日記】12/7

 文章が書けなくなった。特に長いものを。

 書けなくなったと言うと何か今まで上手くいっていた物がそうでなくなったニュアンスがある、しかし残念なことにそうではない。

 元々遅筆だった私が無理ない程度に書く速度とアウトプット経験の少なさを改善しようとしたのがこのnoteであり日記なのだが、一週間日記に挑戦したところで理解したことがある。

 「私、日記向いてね〜(笑)」

 冗談ではなく、本当に笑ってしまうくらい向いていない。日常の中の取り留めのない要素を拾うまではいいのだ。何も無ければ部屋を出ない私に常に劇的な人生を求めても無駄なのでそこは諦めている。

 ただ、それを基に書くことを一日で整理して言いたいことまで上手く纏めあげるとなると途端に私の未熟が馬脚を表す。

 自分の思考の浅瀬には同じようなものばかりが漂っていて大体の帰結がそこに通じる。元々自分の人生そのものに価値や興味を見出せる人間ではないこともこれに拍車をかけていると思う。どうでもいいことについて急ごしらえで書いた文章が面白いハズもない。

 帰宅と課題の整理の後の数時間で仕上げなければという言い訳がこれらを後押しして憚らない私の根の部分の怠惰も遠因と言えよう。

 全て同じ内容になってしまうならば日記というフォーマットを取って冗長に流すよりも長い話を一個を作る方が簡潔でいい。

 そして、私には特段書くこともないことを絞り出した執筆の後に更に長編を仕立てるだけの体力が無かった。投稿を終えると共に体が何かを成した気になって動きを止めるのが分かる。

 文章を書くのは好きだ。ただ、それは私の生活の上澄みの部分で余力を残した状態でやるから好きなのだと気付かされた。

 やらなければならない事、やった方がいい事などの濁った澱の部分を綺麗に処理した上で(あるいは綺麗に無視した上で)生まれる澄んだ時間で創作をするのが私の幸せであり、ノルマをこなすように淡々と日常に織り込まれる創作の形は私には不向きだった。

 自分の人生をどうでもいいとしつつ不向きや苦手からはきちんと背を向けるほどには幸せというものに興味がある。つくづく自分は、とまで書いてこういうことをやらないと言うための文章を書いていることに気付いた。

 うだうだとここまで十数分で書いたのは全て、仮にも自分でやると決めた日記をやめるための言い訳なのだが、ただそれだけの内容で千字が過ぎようとしている。気持ちが乗り過ぎていて気持ち悪い。これなら一生書ける気がする。定期的に何かをやめたりする方が向いているかもしれない。

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