# 3 エゴを溶かすのは愛 4. 自分を知る - やる気が起きない編 -
ウーラの愛の訴え
前回の続き
結局、隣の部屋への移動は
強制的に移動させられることなく
自ら移動することになりました。
あんなにゴネていた私を
すんなり移動させたのは
ウーラの一言でした。
ある日、いつものように
奥の部屋に腰を据えていた
私のところへ
ウーラが隣からやってきて
強めに移動を促し始めた。
この日は声を張り上げて
叱ってくる。
私はまたなんとかやり過ごそうと
言い訳をたくさん並べまくったので
ウーラの口調は激しさを増していきます。
なんとなく
いつもとどこか違う
雰囲気を感じた時
急にウーラは
「いい加減意して!」と
叫びだしました。
びっくりして
ウーラの方をふと見たとき
ウーラは涙を浮かべていた。
なぜ泣くのーー?と
つい口をついてしまった。
私は
あわわ、あわわと混乱中。
ウーラは言います。
「みんながあんたのためにいっぱい
メッセージくれてるのに、、」
「なぜ、みんなの気持ちを無視するの、、」と。
泣きながら訴えてきたウーラ。
ガーンと頭を叩かれました。
目が覚めたともいう。
この時のウーラの言葉は
紛れもない純真だった。
私自身が”変わりたい”と
望んだことなのに
自己中なエゴを撒き散らし
好意を踏み躙るような酷いことを
ずっと繰り返してきていたのだと
この上ない背徳感が
襲いかかってきました。
ウーラの純粋な訴えを目の当たりにして
ようやく自分を恥じました。
ウーラはずっと苛立ちがあったことでしょうし
パソコンなどの仕事道具一式を
強制的に移動させることもできたはずですが
力ずくで変えようとすることは
相手のためではなく
早く変わってほしいという自身のエゴですし
それでは何も意味をなさない。
ウーラの自由意志を尊重するスタイルは
もともとの性質として備わっているのですが
高次元とつながってからは特に
人それぞれのベストな方法が
クリアに感じ取れるようになってしまったようで
だまって自由意志とかの場合ではなく
ヤキモキどころではなかったでしょうから
気が付いた時にはもう
物申すスタイルにシストしていました。
でもやはり苛立ちつつも
時間をかけて
私の意思は尊重してくれていたということです。
と、いうことで
すんなり隣に移動した私は
寒い部屋にストーブを持ち込んだり
ストールをかけたりと
移動しない言い訳を全部改善していき
なんとか日常的に仕事をすることができたのです。
同時に、私の「重い波動」が
少しだけですが、軽い波動に
変わったということでもあります。
重いものは引っ張られますから
また気を抜くと持ってかれてしまうのですが
この頃としては大きな変化でした。
人は○○で変わる
私はこの事件をきっかけに
人が変わることができるは
「愛」なんだなと実感。
昔から私は先生や両親などから
キツめに叱られることが多かった。
自己欺瞞で自分を偽っていた私は
なんでもできると勘違いしていたことで
ちょっと人を見下している節があったようで
傲慢のエゴエゴ人間でしたから
その辺りを叩き直すというか
他人に怒鳴られることも多々あったのです。
エルと出会ってからも
私のハイヤーセルフからも
やはり指摘は厳しいものがあり
なぜ自分だけ、、
とふてくされたりしたともありました。
しかしコーチングを経て
少し自分を客観的にみられるように
なってからですが
厳しく指摘されることで
安心感を得るようにもなっていました。
マゾ的な感覚ではないですよ。
天使さんとか
誰かが乗り移って喝を入れてくれていた可能性も
出てきましたし
※嫌いな人などその人にとって
ネガティブな人が近くにいる場合は
天使さんや神様が乗り移って
メッセージをくれているらしい。
気づきなさい的なことでしょう。
優しくされているうちは本当に耳を貸さないですし
頑固で融通がきかない私に人の話は入ってきませんから
ありがたいことだったんだなと
ウーラに対しても両親に対しても
感謝をするようになったからです。
それも愛情だったんだなと。
今思えば
この、コーチング当初に起きた
高次元の存在たちの愛を
蔑ろにしていた私にさえ
愛を持って気づきをくれた
ウーラの純真な訴えが
愛を知るきっかけだったかもしれません。
今の私には
はっきりと言えます。
この世は
愛がすべてです。
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