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NVCの前提「人は元来与えることを喜ぶ」を問う。そこにある抵抗とは?


NVCの主な前提としてこういうものがあります。

人間は(元来)与えるのが好きである。

今日の問い

私は「人は元来、与えることが好きである」というNVCの前提をどれくらい信じているだろう(もしくはしていないだろう)どれくらいそこに挑戦しているだろうか?その挑戦に抵抗するものがあるとしたら、そこにどんな声があるだろう?

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この問いのきっかけとなったお話

ある朝、彼女は仕事に行く前にコーヒーが飲みたくて、行きつけのカフェに行ったところ、行列になっている様子を見て、コーヒーを買うことを諦めようとしました。

「私は黒人女性という、アメリカでも立場が弱い存在だから、きっと並んでいる人が順番を譲ってくれるはずがない。」と思ったからです。

が、その直後、彼女はふと立ち止まって、「私はどんなストーリーを生きたいんだっただろうか?と問い直しました。

NVCの奥底にある前提にある「人は元来誰かの喜びに貢献することを喜ぶもの」ということを信じ、そのように生きたいことを思い出した彼女は

1人ずつ、並んでいる人に事情を話し始めました。時間がない中でも、コーヒーを飲んでリラックスし、仕事に集中することがどれだけ自分にとって大事なのかということを話し、もしよかったら順番を譲ってくれないかとお願いしたのです。

結果的には、全員が譲ってくれることとなり、彼女は一番にコーヒーが買えた、というお話でした。

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このお話を聞いて

皆さんはどんなことを思ったでしょうか?私は、自分自身が「人は与えることを喜ぶ」ということを信じきれていないのだ、と思いました。

まさか、自分がお願いごとをした人が、「人の喜びに貢献できることを嬉しく思う」なんて思えないのでは、と思ったのです。だって、みんな忙しくて、余裕がなかったり、自分のことで精一杯だったりするのだから。

しかし、同時に「いや、私はそれを喜ぶ時もある。人に貢献できること、人に与えることで最上の喜びを感じることがあった」と思いました。


この前提に対して懐疑的な自分を聴く
  
お願い事をされる時、妥協の気持ちを混じり合わせながら承諾してきたこと。時間がなかったり、もう疲れ果てていて余裕がないのに、自分を奮い立たせて、時には無理やり笑顔を作って誰かのお願いを聞いてきたこと。しかもそれが結果その人の役に立ったのか確かめられず、自分がなけなしの力を振り絞ったことの意味がなかったのではないかと落胆することがあった。



そこに耳を傾けていくと、こんな願いを声にしてくれました

・今までどれだけ無意識に「自分を犠牲にして、人に貢献する」ことを選んできたのかに、ちゃんと目を向けてほしい。

・誰かのために、と思う時に、その意識の中に自分の必要を含んでもらうことを本当に大事にして欲しい。

・妥協する感覚で、人に与えようとする時に、結局自分の不誠実さを感じていること。これらの感覚とともに、悲しさや寂しさを抱えていることを知って欲しい。


ここから聞こえてくる、生き生きしたものは

今までの痛みをちゃんと見てもらうこと
「聴かれにくい」声にも、ちゃんと気づき光を当て、含んで欲しいこと。
そうして、大事にされていることを信頼したいこと。
自分と相手にとって誠実であること。


自分へのリクエスト

こんな道を経て、今私が自分自身に対して願っていることは
「与える喜びを噛みしめるために」も、自分と相手と深く繋がり、自覚的な選択をするための、資源や力を蓄えること。

特に、『与えることがいいことだ』と思い込んでいることによって、無意識にも「与える」ことに力を注ごうとしてしまうことに気づくこと。本当に自分と相手に誠実であるために、そこにある声や望みを微細に表現すること。

例えば、私自身に、与えるための資源(時間や余裕)がない時には、そのことを諦めることなく、その人の願いにもケアがあることを表現すること。

それを選んでも大丈夫だという信頼や安心の器を自分の中に蓄えること。

「私のなかで、今こんなことが起きていて、あなたのお願いをきくことがどうにも難しいのだけれども、それでもあなたのことが大事で、気にかけているから、他の人にお願いしてみてくれないかしら?」


もう一つのリクエストは、

与えること(お願いに答えること)によってどんなものが満たされるんだろうか?また同時に、満たされにくいものがあるだろうか?ということを聴くこと。

言い換えると、

誰かの喜びに貢献したいと思う時に、それによって、犠牲になるものがあるかを聴き、その代償を支払う覚悟を持って、自覚的に選んで欲しい、ということ。

 
と、ここまで考え、資料を読み返すとこんな風に補足されていました。

私たちは、自分や他者のニーズと繋がりをもち、与えることを自らの選択として行なっているという実感がもてる時に、人に貢献することに本質的な喜びを感じます。(2017 IITの資料より)


め、めちゃくちゃシンプルに本質が書いてある〜〜!
ここまでぐちゃぐちゃ考えてたことはなんだったんや〜〜!


とは言いつつ、きっとこの歩みを伴って、この文章の深みを感じられるようになったので、よしとしましょう。

最後に参考情報

こんな風に「リクエストと妥協」がもたらす悲劇や、「ギフトとしてのリクエストと、重荷としてのリクエスト」という意識の違いなどについて、今このYoutubeをみながら、理解を深めています。

お茶目でユーモアがあって、とってもわかりやすい。
しかも、なんと日本語訳があります!
(私の理解では、仲間聡子さんが尽力してくれたおかげです・・!)

「お願い」を表現したり、それを受け取るときの葛藤があるならば、とっても役にたつと思うので、ぜひご覧あれ〜〜

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