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mucchu art blog No.28 何のために考えられる人になってほしいのか。

mucchu art blog No.28
何のために考えられる人になってほしいのか。

娘がモネの睡蓮を見て「カエルさんがいる!」と言った!本当に驚いた。

「はい、撮りますよ〜。パシャ」

 最近、娘がcameraに興味をもっていて、よく撮ってくれる。

 チェキ持って散歩に行ったのがよかったのかな?

 3歳が撮る写真は本当に魅力的で、視点や構図が大人には撮れないことをしてくれる。

 きっと自分自身も、小さな頃はこうだったかな?

 娘の"アート思考"をずっと大切にしたい。共にその思考力を高めていこう。

 ピカソも言っているように、もともと人はアート思考を持っているはず。忘れてしまっているだけ。

 もう一度呼び覚まそう!

 写真好きな娘に何枚でもどうぞ!としてあげたいが、チェキのフィルムって安くはないですよね?

 デジカメや一眼レフもいいけど、重いのと機能性とを考えると・・・。

 「う〜ん!何がいいかな〜。」とひたすら考え、試行錯誤を繰り返すこと2日。

 「よし!画用紙カメラだ!」となりました。無限想像film。最高です!

 それをon iPadにするとリアルな撮影も可能に!

 これだーーー!となった。

 ここで大切だな。と思ったことが、

 「う〜ん!何がいいかな〜。」と考えている時の自分と。

 「よし!これだー。」と完成した後、娘と夢中に遊んでいる時の自分。

 どっちの時間も最高だな。と思ったこと。

 人はメーカーであるし、新しいクリエイティビティーを育むため、教育現場に様々な手法や教育観が溢れかってきている。

 でも、その本質として、なぜメーカーやクリエイティブな人材の育成に注目が集まっているのか。

 図工科から、それに向かうためのSTEAM教育や環境設定としてレッジョ・エミリアの視点を大切にしているが、それができることが決して目的ではないということ。

 言うまらば、その先にあることをねらいたいのだ。

 それがきっと上記の通り、自身が感じたことなのだと思う。

 考えられる人・作れる人であることは通過点で、その先の楽しめる人という視点が絶対的に好きである。

 でも、この考えられる・作れるという過程がものすごく大事で、1から自分たちにしかないものを、自分たちにちょうどいいものを生み出すことが本当に楽しいと、そのあとは自然と楽しいのだと思う。

 そんな作る前から、作っているときから、それを使っているときも、そのあとも楽しめる人になってほしい。

 そんな願いをもって、また図工の楽しい時間を考えたいと思う金曜日の夜。

https://mucchuartlife.hatenablog.com/