音楽を自己流で学ぶという事
私はもともと作曲でプロになった訳ですがそれまで
音楽は感性あればいい!
と、こんなくそバカな事を本気で思ってました。。。
しかしプロの現場に行っていやというほど思い知らされたのは
基礎理論がいいかげんだと修正が出来ない。
依頼があって納品したとします。
先方から微調整や修正が入る、たとえば
・もう少し悲しい感じにして欲しい
・予告CMで流すために、あと1.2秒短いバージョンを今日中に
・このテーマ曲のモチーフでアレンジ違いを20個3日以内に出して
最初「ふざけんな!」とか思いましたが周りの作家さんたちは
すぐ出来るしそういう修正なんて日常茶飯事、つまり出来て当たり前。
じゃなんで私は出来ないかと言うと、基礎理論を知らないから。
そのとき、いやというほど思い知らされたのは
自分の作品はメチャクチャに積み上げただけの積み木、
なにかひとつ部品をずらせばすぐに壊れる、まるで土台の無い
インチキな建築物、それを「感性」という魔法の言葉で
ごまかしていただけだった。
理論なんて必要ない、これは勉強したくないだけのいい訳だった。
他の人(プロ)はみんな当たり前に知ってる、出来る、
自分だけが出来ない、それは
自分の能力が劣っている事に他ならない。
仮にそこでいくら言い訳して言い張っても
あいつ仕事遅い
修正出来ない
能力低い
となれば依頼がこない、ではプロ廃業、
なのでそこから死にものぐるいで勉強しました。
移動中の電車が自分の勉強部屋。
ぶあつい作曲理論書をいつもかかえ
電車の中で譜面書きまくって
(なぜか電車で譜面読んでたり書いてたりすると
多くの人が神妙な顔で覗き込むのは謎・・・)
そして基礎理論から編曲、管弦楽アレンジから
オーケストラ指揮法などとにかく勉強しまくり
いつしかクラッシック系の専門学校でも
作曲を教えるようになりました、が
学生君たちの
僕にはセンスがあるから
私は私の感性でやって行きたい
この言い分は本当に良くわかる、そして同時に
それはたんなる言い訳でしかない、ということも。
音楽を独学で学ぶ、これは本気でやるとすれば
なんと愚か、か。
それは時間がかかる、ということ。
学生君たちに、先の私の体験談を話し
そしてよく言っていたのは
「君らの言いたい事はわかる、でも独学は死ぬほど大変でその理由は
なにより聞ける人がいない。
今の君らは周りに先生がいる、それはわからないことがあれば
即座に正しい答えを出す人がいる、ということ。
もし君らがここの学生でなければただで質問に答えてくれる人なんて
いない。今、考え学び、そしてわからないことがあったらそれを
即座に解決してくれる人がいる、その環境を利用しない方が
どうかしてるとおもわないか?
今2年頑張って基礎の土台を作ればそれは一生の柱になる。
既成の理論なんて壊していい、しかし理論知らなければ
壊しようもないだろう?
土台を作って柱が出来たらその後スキなようにやればいい、しかし
その土台がなくてスキなようにやってもそれはゴミくず。
少なくともプロになりたいなら依頼を出す人があなたの作品が欲しい、
それにいくらいくら出す、という存在いなければ成り立たない。
どれだけ感性溢れてても誰もお金払おうとしない作品、それは
プロの世界で言えばゴミクズ。それでいいなら遊びの趣味でやれ。
本当にそれでいいなら一人自己完結してればいい。しかし
基礎の柱があればそれが絶対、本当の自分らしさ(感性)の世界に
導いてくれる。」
音楽にはルールがある。そしてそれは数学のように
かなり厳密で精緻。
しかしそれを知るほどに、面白いように壊せる。
自分の好きなようにやりたいように。
音楽で自分が自由になれる、そのためには正しいルールを一度は
徹底的に学ばなければ。
そこが、「ただの騒音」と「作品の境目になる」
なんてことを良く言っていたな、
とふと思い出しましたw
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