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27歳最後の日、晩酌と共にver.

月曜日からお仕事遅くまでお疲れ様です。
あとはゆっくり休んじゃいましょう==b

今日は自分ごとではありますが、明日が誕生日なもので
今の心境を書き残しておきたく、更新させてもらいます。

いやぁ正直な話、中学生の頃とかに
ぼんやり自分ってどんな大人になるんだろう。 とか
そもそも大人になることが信じられなかったりしませんか?

当時(14歳くらい)の私の場合は、
28歳はもう立派な大人のお姉さんで、もしかしたら子供とか産まれていたらどうしよう。そんな未来自分に来るのかなって思ってた気がします。


実際は子供の前に結婚すらしていないし、
する予定もありません。
ただ、年だけカウントアップされていくだけで特に変わり映えのない日々
を送ってます。

もともと人生計画があって、それを実現させていくようなストーリーを描いていた訳でもないので落胆こそしませんが
なんとなく「これでいいのかなぁ、大人子供のままやん。」
という気持ちで何かしら答えのないものに、生き苦しさと焦燥感を感じる次第です。

この焦燥感というのがまた厄介で、
なぜか自分の中に何歳までにこんな風になっていたいと思ってたことが
出来そうじゃないことがうっすら分かるから苦しいんだと思うんですよね。

自分に自信があるとかではなく、自分に課していたデッドラインを越えられない感じ、自分で決めたことだから誰に責められるでもないけど
自分で自分が許せない気持ちと、
それでもその時々でベストまたは納得のいく選択をしてきたことも事実で
後悔はしてないけどただ重苦しい重圧。そんなアラサーです。

自分の場合だと、大学生の時に心に決めてた
30歳までに某国にもう一度戻る
(生活の基盤を移すという意味合いで)
*なぜ30かと言うとワーホリでなんの制約もなく渡航できる有効期限で、それまでに自力でワーキングビザ取れるようになりたいからギリギリまで日本で足掻いてますけどww

と誓っていました。し今もそれを実現するためにライフプランやキャリアを考えています。

でもこれってなかなか他人には受け入れ難いんですよね。
ライフイベントだって、自分の意図とは別軸で起こるしね(家族のこととか)
会社に入って、社会人も8年目っていう時に、
やっと一端に仕事ができるようになって育ててくれた人達に
「じゃっ海外行くっす!さーした〜っ」っていうようなもんだし

お付き合いしている人にも
「付いてくるかこないかは君の判断だぜ!俺は言ったからねっ将来の事とか、自分の生活で手一杯だから面倒は見れんから好きにしてちょ〜。それでもいいなら俺は君のことは好きだぜ( ̄+ー ̄)!」

なんて自分が相手だったら「こいつ、なん?」となってしまうようなことを
言っちゃってる訳で(嘘つきたくない)
でも本当に今周りにいる人達に恵まれているし、
感謝もしているし、ほんとうに好きなんだけど….
でも
それでも先延ばしにしてきたけど(本当は何回か実際にその機会はあったのに、いつも行ききれなかった、周りに迷惑かけたくなくて、悲しませたくなくて行かない事を選んできた)

やっぱ変えられないんだよなぁ、こればっかりは。
決めちゃってたからね。
ごめんなさいだよね、本当に。

そんなことを振り返りながら
28歳の年をどう過ごすかですよ、問題は。


そうだなぁ。
もう「迷いなく生きたい」よね

なんか最近聞いたんですよ
「悩んでるって言うときの人間の脳は実は悩んでない。選択することを先延ばしにして、脳死している状態だ」って

確かにって感じですよね。
だって決まってんだもん、出来ない言い訳をひたすらしているに過ぎないんよな結局ね。酒でも飲みながらね

自分の中にある、性悪な根性に向き合いつつ
でも周りの人間に誠心誠意、真心を持って接することで
できるか分からないけどいつか、こうしたいって思っていることを
打ち明けて、受け止めてもらいたいから
そうなるように行動しなきゃだよね。

人間アラサーにもなってくれば
綺麗な部分だけではいられないし、自分の中の嫌な自分にも気が付くし
それでもどんな努力、行動、態度で日々過ごしていくかは選べるからね。

大人になるって言うのは、お酒が飲めるだけがいい事ではなくて
お酒を飲みながら、いろいろ語れるだけの経験を積んでいくって事なのかもね

うめぇお酒呑める、28歳女盛りで、今年も頑張るでありんす!


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