私にとって料理とは
実は料理好き
結婚するまで実家暮らしだった。
たまに思いついて何かを作ることがなかったわけではないが
基本的に生活の全般を祖母が切り盛りしていた。
結婚して、家を出て
さぁ何からしていいか分からない。米びつって必要?
そんなレベルからスタートした私が料理好きを自認したのはいつ頃だったんだろう。
基本的に食べることは好き。
ばあちゃんの影響で手作り信仰みたいのも根付いていて
結婚後は必死で料理していたと思う。
2つのきっかけ
一つ目は、結婚祝いに友人に贈ってもらったストウブの鍋。
もらってすぐは全くその価値が分からず、やたら重いなと思って半年以上寝かせた。
別の友人から、ストウブのよさを説かれるタイミングがあり、
使い始めると、魔法の鍋だった。
スープ、煮物は、もはや別次元の美味しさで、自分が料理が上手くなったと錯覚したのが良かった。
二つ目は、復職。
3年半の育休を経て、復職するとなった数年前の4月。
「どうやって回していこう」と悩んだ末に手を出したつくりおき。
日曜日に買い出しに行き、16時頃から2時間かけて
・ブロッコリーを茹でる
・緑の野菜(オクラ、ほうれん草など)を茹でる
・ポトフを煮る
・主菜を1品、副菜を2品くらいつくる
明確に決めたわけじゃないけど、大体こんな感じでつくる。
明確に決めたのは「週末には高くてもブロッコリーを2株買う」と決めたこと。
決めてしまえば1株270円でもたじろがない。
でも、流石に去年320円だったときは震えて1株にした。
意外とこのつくりおきが今も続いている。
なんでも飽きっぽく続かない私にとって6年以上続けてるというのは快挙だと思う。
ちなみに復職したてのときは1週間のメニューはほぼ固定で
・ポトフ ・カレー ・ハンバーグ ・焼き魚か煮魚
と茹で野菜と副菜をつくっていて。
水曜日にはほぼなくなってしまうので、木曜日は冷凍餃子の日にしていたのだけど、冷凍餃子は1か月(4回目)くらいで受けつけなくなった。
他のメニューは大丈夫だったのに。
「絶対にこの味と分かっているもの」は意外と食べ続けられないのだと知った。
いまだに冷凍餃子は苦手。
意外と料理好きだと自覚してから、
特に煮物は、自分にとって癒し効果があることも分かった。
疲れてるときは具沢山のスープとか
煮豚とか
ミートソースとか
そんなのを作りたくなる。
ボルシチのレシピを検索して謎の食材を買いに行ったこともある。
料理が苦痛なとき
ここ最近、料理が楽しいときと苦しいときがはっきり区別されていると感じる。
「何つくろうかな」から始まり、「これを入れたら美味しくなるに違いない」
の発想の余地が十分にあるときの料理は、私にとって楽しい活動であり
自己表現に近い感覚がある。
じゃあ逆に料理が苦しいとき、
タスクの要素が強すぎるとき。
例えば、週末、つくりおいたおかずはもうなくなっており
冷蔵庫の中の食材も貧困。
でも子どもたちに夕飯を作らねば。金曜なら多少ダラダラできるけど木曜日とかがしんどい。明日の朝のスケジュールを考えると逆算して今から20分で夕飯提供しなきゃ…しかも息子が「えーー」とか文句を言ってくる。
「じゃあもう母さんは晩御飯つくりません!!!!!!」とか酷い喧嘩に発展。
…あるある。
時間的な余裕があって初めて表現活動は展開されるんだよなぁ。。
とか考えつつ、仕事との時間配分がいまだに上手くいかない週後半なのであった。
ちなみに土曜日は1日中すごい手抜きをしている。
今日やらなかったこと
・大学院の授業用パワポ7割の完成度のままプレゼンした
・クリーニングに出そうと思ってた服を家で洗濯した
どちらも大丈夫だった。