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学術分野間で学術用語の意味は正しく共有されているか

 「学術分野」について分類を試みる場合、方法や基準は無数にあります。概要について様子を見るということなら、例えば科学研究費補助金の申請区分大分類の一覧表を参考としてみてもよいかもしれません。特定基準での分類ではあるものの、多くの学術分野が存在することがわかります。ひとことで学術分野と表現されてはいるものの、それらは研究対象も方向性も全く異なるものであり、共通点は頭脳労働であることのみとも言えるかもしれません。これら多くの学術分野が、広く学問等とひとことで語られたり、大学や研究機関等で同居していたりするのは、考えてみれば驚くべきことです。実は、それ程自然に一からげにはできないのではないか、そういった疑問について、本稿では学術的に使われている言葉を軸に、少し考えてみています。現実には、多くの用語が学術分野を超えて一見共通に使われています。しかし、語彙として同一であることが、同一の意味で通用することの保証となっていると、そう考えてよいのでしょうか。ざっくばらんに触れてみたいと思います。

学術分野ごとの学術語に関する「方言」

 本稿内では、「よく耳にする研究・教育関係の言葉」をあまり厳密でなく、「学術語」等と表現したいと思います。おおざっぱな取り決めなのであり、表記ゆれの様なものも生じるかもしれませんが、ご容赦ください。
 筆者は、非常に「そこそこ」で残念ながらあまり誇れはしないものの、いくばくかの教育・研究歴を持つ者です。本来は限られた専門性へのこだわりと深堀が研究者としての真価であり、そういうキャリアパスを歩むべきであるところ、筆者のケースでは、興味の変遷や手持ちの技術の活用上の理由で、自己の能力的な売りとなるひとつの土台に頼りつつ、所属としてはいくつかの異なった学術的分野を研究対象とする組織で禄を食む、そういったいささか広範な、少し変わった経歴を辿っている所です。
 それ自体については幸か不幸かは定かでありませんが、それでも所属が変わるごとに筆者の研究対象等とは独立に各分野の古典的・伝統的な「文化」に触れることができて、後から考えるとそれは想像以上に興味深く、それそのものを、いささかメタ的ではあるものの、文化人類学的とも言える様な研究対象にしてもよいのではと思える程です。
 そういった視点でひとつの例を挙げると、学術語に関する分野毎の言わば「方言」の存在が、少し興味深く感じられます。
 最初の例として「科学研究費補助金」の略称を挙げます。これは文科省やその外郭団体である日本学術振興会が主管して研究者や研究グループに対して配分される、最も著名な公的資金による競争的研究経費です。これは、正式には上述の通り科学研究費補助金という名称で、金額の規模に応じて基盤研究(A)であるとか、そういった申請区分があり、また、学術分野毎の申請区分もあるようなものです。
 筆者が直接知る範囲では、科学研究費補助金を口頭で省略する言い回しについて、ある学術分野ではこれを「科研費(かけんひ)」と言い、またべつの学術分野では主として「科研(かけん)」と言っているのを、自分の耳で聞き、知っています。
 口頭や仲間内で使用する簡便な表現ではありますが、科研費と科研、少しだけ、そして確実に異なっているのです。ただし、厳密な違いというわけでもなく、両略語はそれらの文化圏相互に前提無しに当然通じますし、単なる言い回しの変化として、殆どの方が違和感すら覚えないのではないでしょうか。しかし、会話等で自然に無意識に第一に発せられる語、という観点では、おそらく「科研費」と「科研」の明確に異なるグループが存在する、そういう仮説を筆者は持ちます。
 また別の例では、「博士論文」の略称についても、似たような方言があるかもしれません。
 これも筆者の個人的経験で恐縮ですが、ある学術分野では主に「D論(でぃーろん)」と略し、また別の学術分野では「博論(はくろん)」と言ったりします。こちらについても科研費の例と同様に、おそらく相互にあまり違和感はないでしょう。とは言え、会話等で相互の影響による無意識の変化が生じる前の最初の段階でまずどちらを用いるかの遍在は、恐らくは存在すると、筆者は考えます。

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