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あの日のあのこを、絵とことばで。
「自己中心的なところがあります」
小学1年生の通知表にそう記されていた。
子どもの世界のまん中は自分だ。
自分のスキなものはよくわかるし、
探しに行けばすぐに見つけられた。
そうして大切なものをたくさん集めて、
自分のスキで作ったお城で、
気分よく暮らしている。
![](https://assets.st-note.com/img/1716908446357-WrCu3gzVur.jpg?width=800)
ところがあるとき、
お城の外に目を向けて気づくのだ。
自分ではない、ほかの誰かのスキは
ちっともわからない。
キライなものもわからない。
それどころか、
ほかの誰かは何がスキで何がキライかなんて、
考えもしていなかった。
ミンナト
ナカヨク
シマショウ
のやり方なんてわからなかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1716908477714-J6NfXbcafX.jpg?width=800)
大人になったら、
ムーミンママみたいになりたいと思った。
お気に入りの小さな黒いバッグを、
頑なにそばに置いている。
家族と、家族でないお客も同じく大切にもてなす。
子どもの見た目の姿が変わってしまっても、
ちゃんと見抜くことができる。
必要とあらばキケンかもしれない冒険へも
まるでピクニックに行くみたいに
子どもたちを送りだす。
ムーミンママは、
自分を大事にする正直さと
ほかの誰かを思いやるやさしさ、
子どもを信じる勇気にあふれていながら、
楽しそうに軽やかに笑って
壁に絵を描いたり
赤いベリーのジャムを煮詰めている。
![](https://assets.st-note.com/img/1716690787092-LFUiKgtKEn.jpg?width=800)
必要なのは、
想像力だろうか。
自分ではないほかの誰かのキモチは、
想像力が足りなければ気づけない。
自分とはちがう年齢、ちがう立場、
ちがう国籍、ちがう境遇の、誰かの思い。
すっかりわかるなんてことはできないけれど、
それでも想像して、
少しだけでも近づこうとするのが
大人というものだ。
この時代に生きている自分と、
同じ時を生きているほかの誰かに。
![](https://assets.st-note.com/img/1716908529475-ss2CqRO5ve.jpg?width=800)
残された時間で、
あといくつの新しい景色や
キレイな空や雲の色を
眺められるのだろう。
知らない国、
知らない町、
あといくつのとびきりのパン屋さんと
あこがれのカフェに行けるのだろう。
あと何度、
降りしきるまっしろな雪や
桜の花びらをあびられるのだろう。
はじめての歌に胸を震わせ、
リストに載せたたくさんの映画を
どのくらい観終えることができるのだろう。
あと何人の
見知らぬ誰かと出会い、
話しかけたいと願い、
心を通わせられるのだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1716690599016-m8tDA7eXLs.jpg?width=800)
子どものときも、
大人になっても、
ずっと言葉のそばで
絵を描いていた。
「キミの絵はしずかであたたかく
やさしさに包まれるようだ」
そんなふうに言われて、
自分の中に
もしかしたらほかの誰かを思いやる
想像力があるのかもしれないと、
少しだけ期待した。
日々、
近くにいる人が
ちゃんと眠れているかを気にかけてみる。
ごはんを食べているか、声をかけてみる。
そして、
また言葉の近くで
絵を描く。
もしその絵の中に
いくらかのあたたかさとやさしさがあったならば、
あの日のあのこを
そっと抱きしめることができるだろうか。
自分のスキを集めたお城の門を出たところで
ひとりでしゃがみこんでいる、
あの日の幼い自分のことも。
![](https://assets.st-note.com/img/1716908565275-LrZywUIE5y.jpg?width=800)
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