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あの日のあのこを、絵とことばで。



「自己中心的なところがあります」
小学1年生の通知表にそう記されていた。


子どもの世界のまん中は自分だ。
自分のスキなものはよくわかるし、
探しに行けばすぐに見つけられた。
そうして大切なものをたくさん集めて、
自分のスキで作ったお城で、
気分よく暮らしている。


自分のスキをあつめて



ところがあるとき、
お城の外に目を向けて気づくのだ。
自分ではない、ほかの誰かのスキは
ちっともわからない。
キライなものもわからない。
それどころか、
ほかの誰かは何がスキで何がキライかなんて、
考えもしていなかった。


ミンナト
ナカヨク
シマショウ
のやり方なんてわからなかった。


ほかの誰かのスキは




大人になったら、
ムーミンママみたいになりたいと思った。


お気に入りの小さな黒いバッグを、
頑なにそばに置いている。

家族と、家族でないお客も同じく大切にもてなす。

子どもの見た目の姿が変わってしまっても、
ちゃんと見抜くことができる。

必要とあらばキケンかもしれない冒険へも
まるでピクニックに行くみたいに
子どもたちを送りだす。


ムーミンママは、
自分を大事にする正直さと
ほかの誰かを思いやるやさしさ、
子どもを信じる勇気にあふれていながら、
楽しそうに軽やかに笑って
壁に絵を描いたり
赤いベリーのジャムを煮詰めている。





必要なのは、
想像力だろうか。
自分ではないほかの誰かのキモチは、
想像力が足りなければ気づけない。


自分とはちがう年齢、ちがう立場、
ちがう国籍、ちがう境遇の、誰かの思い。
すっかりわかるなんてことはできないけれど、
それでも想像して、
少しだけでも近づこうとするのが
大人というものだ。


この時代に生きている自分と、
同じ時を生きているほかの誰かに。


想像力をもって




残された時間で、
あといくつの新しい景色や
キレイな空や雲の色を
眺められるのだろう。


知らない国、
知らない町、
あといくつのとびきりのパン屋さんと
あこがれのカフェに行けるのだろう。


あと何度、
降りしきるまっしろな雪や
桜の花びらをあびられるのだろう。


はじめての歌に胸を震わせ、
リストに載せたたくさんの映画を
どのくらい観終えることができるのだろう。


あと何人の
見知らぬ誰かと出会い、
話しかけたいと願い、
心を通わせられるのだろう。




子どものときも、
大人になっても、
ずっと言葉のそばで
絵を描いていた。


「キミの絵はしずかであたたかく
 やさしさに包まれるようだ」


そんなふうに言われて、
自分の中に
もしかしたらほかの誰かを思いやる
想像力があるのかもしれないと、
少しだけ期待した。


日々、
近くにいる人が
ちゃんと眠れているかを気にかけてみる。
ごはんを食べているか、声をかけてみる。


そして、
また言葉の近くで
絵を描く。


もしその絵の中に
いくらかのあたたかさとやさしさがあったならば、
あの日のあのこを
そっと抱きしめることができるだろうか。


自分のスキを集めたお城の門を出たところで
ひとりでしゃがみこんでいる、
あの日の幼い自分のことも。


絵と、ことばで。





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