見出し画像

どんなところへもいってみていいとわかった2023年展覧会「new born 荒井良二」

待ちきれなくて、はじまってすぐその展覧会に行った。
片道3時間の美術館へ。
7月、夏らしくない雲り空だった。
今年をふり返り、この展覧会が自分にとって大切なものだったことを思い出した。




展覧会「new born 荒井良二 いつもしらないところへたびするきぶんだった」


荒井良二さんの絵本では「きょうはそらにまるいつき」「たいようオルガン」「ぼくのキュートナ」がとくに好き。
絵と同じくらい、文字も好きだ。
鮮やかな色彩とあふれる物語を感じる、かわいらしくもありながら少し不思議な形の生き物や建物、そしてほとんどはハッピーな気持ちになるのだが、ときおり悲しくもなる作品たち。

展覧会は、この展示が作り上げられる前のメモや構想からはじまる。メモが、作品が、親しげに話しかけてくるようだ。

ーじっと眺めたあと、しばらく隣りにいていい?
ー少しだけ、触れてもいい?
ついそんなことを思ってしまう原画の数々と、絵が立体に立ちあがったり、新しく創られた世界に囲まれて迷ってしまうくらいの、広くて深い数多くの作品に会える。

横須賀美術館へは、乗り慣れない方面の電車とバスを乗り継いで3時間かかる。
秋冬に巡回する千葉市美術館の展示を待てばもう少し距離は近いのだが、待てない理由があった。
すぐにでも、背中をおしてもらう必要があったのだ。

ペパーミントグリーンのガラス箱のような横長の建物、
横須賀美術館へ到着。
朝早く出発したのにもうすぐお昼の時間。
ふり返ると、海!
路線バスからも見えていた観音崎公園の海辺で、
しばし無言で立ちつくす。
心の中では、海だーー!とはしゃいでいたけど。



背中をおしてもらうために


大げさにいえば、20年ほどの長い年月を家や常識や日常に囚われ、ひたすら自分以外の者のために過ごしてきた。
子どもたちも大きくなり、なくしていた時間をまた手にしたことで、放ったらかしだった自分の人生を見つめた。
そして忘れていた、捨ててはいけない感情を探しあて、それをようやく取り戻したのが2023年だったといえる。

ずっと気になっているカフェやパン屋さんに行くこと。
降りたことのない駅で降りて散歩したり、地図を見ながら好みの雑貨屋さんをたずねること。
自分の親に会いに行くこと。
そんなささやかなことが、とても遠かった。

お目当ての映画は公開日の金曜日に映画館へ出かけることにした。
夜ごはんを作るのを休んで、部屋でも映画とドラマを観まくった。韓国ドラマを観てからはアプリで韓国語の学習もはじめた。
あちこちの美術館や絵本原画展に行った。
noteをはじめた。
ペールブルーのペンダントライトと、天板に白いタイルが敷き詰められたワゴンを自分のために買った。
懐かしい友人と再会して何時間も話した。

たくさん好きなことをして、どんどん満たされた。
心が栄養を吸収するというのはこういうことだと実感した。
もともとボランティア精神が希薄な方ではないかと思える自分が、家族のために精一杯の日々を長いこと暮らしてきて、カラッカラに乾いていたことも認識した。

ひと通りやりたいことをして過ごしたのち、すっかり忘れていたことがポンとあらわれた。
ーまだ、絵が描きたかったんだっけ。
家族や時間がないことを言い訳に、思い通りに描ける自信がないこともこっそり隠していた。
でも、今は取り戻した時間がある。
それなら、描けばいいじゃないか!と、背中をおしてもらいたかった。
「いつもしらないところへたびするきぶんだった」とうたう展覧会の世界を全身で味わうことは、
「どんなところへもいってみていいのだ」と自分に気づかせるために必要だったのだ。


はじめの一歩


この展覧会で勇気をもらい、また3時間かけて帰ってくるとすぐ、世界堂で画材を買い揃えた。
もう、使えるものは手もとにほとんどなかったから。
愛用していたメーカーのカラーインクは廃番になっていた。そんなことも知らないでいたなんて。
新しくターレンスのカラーインクをどきどきしながら大人買いした。

まずはじめは、小さな絵から描いてみた。
それでも大切な一歩。
ほんのちょっぴりだけど、前進したと胸をはろう。

2023年は今までとちがう。
つぶれるまで履き古した靴を、新しいお気に入りの靴に履きかえたようだ。

どんなところへも、いってみていいのだ!



展覧会「new born荒井良二」は2024年、愛知県の刈谷市美術館と福島県のいわき市立美術館に巡回する。
やさしくてハッピーな気持ちになりたいときにはぜひ。


ここまで読んでいただき
thank you so much♡



#今年のふり返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?