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みなさん、こんばんは!

今日、友人と食事をした中で、もっとコミュニケーションをとることができれば良いのに。。。や、コミュニケーションはやっぱり大事だ!という話がでてきました。

今回は、それを受けて改めて自分の中で思い返したこと、無性に湧き出てきた想いを、ここに書き留められればと思い綴ることにします。


ちょうど一年前の今日、タイから日本に帰ってきました。
私にとって、それは初めての海外旅行でした。

タイでは、10日間の間、大学や孤児院で現地の人たちとふれあう機会がありました。
中でも、特に強く印象に残っているのは、初めて訪問した孤児院の子供達でした。
タイ語が分からない私たちと、日本語が分からない彼ら。上手に交流を図ることができるのか、コミュニケーションを取れるのかとても不安でした。

しかし、そんな不安はただの杞憂でしかありませんでした。

彼らは屈託のない笑顔で、私たちを迎え入れてくれました。手遊びをしたり、一緒に踊ったりする中で、目と目、顔と顔でお互い心から楽しんでいるということがすぐにわかりました。

言葉は交わせずとも、ふれあうことで、また同じ時間を共有することで、気持ちが通じることがとても嬉しく感じるのでした。
私は、この時、笑顔は世界の共通言語になり得るのだと思いました。

そして今日、友人と食事をしていて、件の話となりました。

私たちは言葉が通じるのに、なぜ、コミュニケーションの不足を感じることがあるのでしょうか。
※当然、コミュニケーションの手段が言葉だけではないからというのもあるのでしょうが。。。

帰路、このことについて考えていましたが、言葉が通じるからこそ、ほかのことが疎かになってしまうことがあるのではないかと感じました。
例えば、職場で、”後輩が話しかけてもパソコンを見ながら返事をする先輩”を見かけることがありますが、これは会話は成立しても、コミュニケーションは成立していないように思います。

言葉がわからなければ、相手の顔を伺うなり、身振り手振りを確認するなりして相手を理解しようとします。(すべて理解できるというわけではありませんが。。)
ただ言葉を返すだけではなく、目と目、顔と顔を合わせて言葉を返す。そんな小さな積み重ねがコミュニケーションにつながっていくのではないでしょうか。

私は、日ごろ、人間は”人の間”で生きているから人間なのだと考えています。人の間ということは、私以外の第三者がいるわけです。”私”という言葉も”あなた”がいるから生まれたのであって、”あなた”という言葉も”私”がいるから生まれたのだと勝手に思っています。

人は一人では決して生きていけません。というよりも、一人だったら生まれてくることもできません。

きっと、みんなそんなことは知っていながら生きているのだと思います。でも、そこを蔑ろにしたら、コミュニケーション不足はどんどん広がっていくのではないでしょうか。

私自身も含め、今一度、立ち止まって考えたいなと気づかされました。
いろいろと考えるきっかけをくれた友人に感謝です。


さて、なかなか取り留めなく、読み返すと何を言っているのかわかりづらい文章になってしまいました。しかし、文章化することでちょっとモヤモヤが晴れた気がするので、次回以降、また防災について考えていきたいと思います。


最後までご覧いただきありがとうございます!

ではまた!

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