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2022年 年間ベストアルバム・EP

 2022年リリースの音楽作品の中から、12月現在、特にカッコいいと思うアルバム・EPを27枚選びました(27枚という数字は、3×3でジャケットをコラージュした画像を3枚と作品名をテキストで書いた画像1枚でツイートしたいから、という理由で、特に深い意味はありません)。

 作品個別の詳しいレビューは全て毎月のnoteに書いているのでここでは省きますが、改めてリストを見直したり聴き直したりしてみて思った横断的な感想や、シーン全体の印象、個人的な思い入れなどもテキストにまとめたので掲載いたします。リストの後に続いているので(読み辛くてすみません)、暇つぶしに併せて読んでくれたら嬉しいです!


The 1975 - Being Funny in Foreign Language
Alien Book Club - Desecration of the Whispering Salamander
ASIAN KUNG-FU GENERATION - プラネットフォークス
Avantdale Bowling Club - TREES
Beyoncé - RENAISSANCE
birds fear death - livestream death compilation
brakence - hypochondriac
Counterparts - Eurogy For Those Still Here
Crestfallen Dusk - Crestfallen Dusk


Daniela Lalita - Trececerotres
KAIRUI - 海の名前
King Garbage - Heavy Metal Greasy Love
lyrical school - L.S.
Memento. - A Chorus of Distress
mizuirono_inu - TOKYO VIRUS LOVE STORY
moreru - 山田花子
NEUPINK - melt yourself into the flesh of midnight
Pyrithe - Monuments to Impermanence


Ringwanderung - synchrotron
SAKA-SAMA - 万祝
Strawberry Hospital - Date.Viscera
Uztama - 風が凪ぐ
Wormrot - Hiss
明日の叙景 - アイランド
宇多田ヒカル - BADモード
サニーデイ・サービス - DOKI DOKI
代代代 - MAYBE PERFECT


※太字が年間ベストに選んだ作品

■今年一番印象に残った作品は、なんといってもbirds fear death「livestream death compilation」。僕の「Spotifyまとめ」でもトップソング上位5曲がこのEPの収録曲にそのまま独占されてしまったし、ただ繰り返し聴いたというだけでなく、自分の嗜好に大きな影響を与えてくれたように思う。
 実際、2022年はとにかく、Lo-Fi/ノイズポップ/ノイズロック要素のある作品に強く惹きつけられ続けた一年だった。激情スクリーモと残響系ギターロックと神聖かまってちゃんを精液臭いノイズで接続したmoreru「山田花子」、直線的なパンクのポジティビティをファズギターに叫ばせるNEUPINK「melt yourself into the flesh of midnight」、ブリットポップ譲りのブリリアントなメロディーが過剰なウォール・オブ・サウンドと手を繋ぎ躍るDazy「OUTOFBODY」、恐怖の表現をその不明瞭なサウンドに託し死臭を漂わせるCabinet「Claustrophobic Dysentery」、心地良いリスニング体験を生贄にハードコア・パンクの可能性を強制拡張したCANDY「Heaven is Here」、ブレイクコアの鋭い切っ先をドリーム・ポップのまどろみの中に隠すflorelle「flying colours」...などなど、具体例は枚挙に暇がない。
 もしこの個人的なノイズ・バブルが、僕の興味の変化だけで説明できないとするならば。例えば、この大FOMO時代における、情報の洪水やそれに晒される我々の感情の洪水を描写するのに最適な音像として、ノイズを選ばれているのかもしれない。あるいは、新たな時代を切り拓こうとする「はみ出しもの」達によるHyperpopのシーンで、結局は手先の器用な奴が(というかDTMが上手い奴が)上手く立ち回ることで成功していくことへのアンチテーゼとして、粗暴なノイズが反撃の武器になっているのかもしれない。
 答えはない。が、ノイズが孕む再現不可能性の中に、今この瞬間を映す何かを見出したくなる。

宇多田ヒカル「BADモード」から幕を開けた2022年は、そのラストを飾る約12分のアシッド・ハウス「Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー」の衝撃を、シームレスにBeyoncé「RENAISSANCE」のハウス讃歌へと繋げた。ハウスリバイバルといえば、ドレイクの新譜もメインストリームにインパクトを残しただろう。ラテンエレクトロの歌姫として、Rosalíaのアルバムは大きな話題を呼んだが、個人的にはIsabella Lovestory「Amor Hardcore」のレゲトンのビートが強烈に耳に残った。LustSickPuppy「AS HARD AS YOU CAN」のガバキックと怒り狂った叫びも、脳裏にこびりついて拭えない。
 とにかく踊り続けられる音楽を。世界中の誰もが世界と隔絶された時間を過ごした末に、パンデミックは霧散しつつある。孤独を知った我々は、孤独なまま人と繋がっていられるクラブのダンスフロアを、単なる「自粛疲れ」からの解放手段や、非日常的なレジャー体験としてではなく、切実な居場所として、以前に増して必要としている。

■ボカロや「歌ってみた」に熱を上げていた自身の中学時代を黒歴史だなんて言うつもりは毛頭ないが、とはいえ、2022年になってまた、ボーカロイドが紡ぐ音楽に夢中になるとは正直予想していなかった。でも、僕を惹きつけたのは、バンドメンバーに恵まれなかった不遇の音楽家を慰めるための単なるボーカリストの“代用品"でもなければ、音声合成ソフトに肉付けされた設定を戯画化したキャラクター(そのために、おおよそ人間離れした早口や高音を要求される)でもない。
 本来コントロール不可能なものであるべき水音や波音が電子音との完璧な調和を織り成すKAIRUI「海の名前」で、初音ミクの歌唱は確かな生命力を持って響き、作品世界における自然-人為、有機-無機、生-死という区別をボヤけさせる。Strawberry Hospital「Data.Viscera」で、獰猛なトランスコアとアンビエンスの自然な融合を達成し、アイデンティティ・クライシスを描くのに最適なサウンドスケープを実現させたのは、性やトラウマや怒りから声色を切り離せるボーカロイドの力でもあるだろう。yanagamiyuki「私たちは生命への冒涜でしたか」は、高速ラップの主語を現実世界のコンポーザーからも仮想空間の初音ミクからも引き剥がし、メタバース時代の先にある、肉体を超越した新たな倫理を想像させる。
 エクスペリメンタルな試みの中で、ボーカロイドが「歌」や「キャラクター」の枠組みに囚われない無限の可能性を有していることに気付けたのは、2022年の大きな収穫だった。

■ヤなことそっとミュートから全員脱退、lyrical schoolからminan以外全員脱退、フィロソフィーのダンスからオリジナルメンバーである十束おとは脱退。いずれもそのラストステージを目の前で見届けて、それはもう本当にハッキリと、俺のアイドルオタク人生、完!! と思った(僕のことを知っている人ならヤナミューにどれだけ熱を入れていたかはわかると思いますが...ヤナミュー現体制終了はアイドルオタク人生っていうか僕の人生そのものに多大な影響を与えた出来事でした。ぶっちゃけそれきっかけに仕事辞めたし(これは僕にとって完全に良いことだったので感謝しています)。それと、不思議なことに、終了発表以降、音楽自体聴く時間が極端に減りました。ヤナミューという「軸」があったことが、リスナーとしての僕を形作っていたんだと思う)。
 でも、アイドルの音楽はこれからも聴き続けると思います。なぜなら。6人の集大成としてアイドルラップの完成形を提示してみせたlyrical school「L.S.」、アヴァンギャルドなエレクトロポップでなんでもありのシーンをさらに破壊する代代代「MAYBE PERFECT」、等身大の言葉とハーモニーがウェルメイドなインディー・ポップの上で弾けるSAKA-SAMA「万祝」、ボカロ以降的譜割りのロックでグループが(市場で)成長するための大衆性と(表現者として)成長するための技巧や先進性の両方を掴まんとするRingwanderung「synchrotron」...ジャンルも方向性も違うグループが同じシーンでひしめき合う、こんなにも面白い界隈を、音楽好きとして無視する理由はないでしょう。

■何もかもがインスタントに消費されていく世界の中で、時間をかけて作られたものや、長く続いているものへの軽視が失わせる何かについて、思いを馳せることが多くなった。暴力的な開発によって作られた、打ちっ放しの建物の味気なさ。街中にやたらと増えた、ネオンを使った同じような内装の居酒屋の冷たさ。下品で煽情的なショート動画。ファスト映画。ファスト教養。
 暗い話は一旦やめよう。デビュー以来一度も立ち止まることなく辿り着いた10枚目のオリジナルアルバム・ASIAN KUNG-FU GENERATION「プラネットフォークス」と、紆余曲折がありながら結成30周年を迎えリリースされたサニーデイ・サービス「DOKI DOKI」は、いずれも聴いているだけで風通しの良さが伝わってくるような気持ちの良いロックサウンドが印象的だった。ゴッチが、曽我部恵一が、彼らを信じたメンバー達が、長い間音楽に真摯に向き合った末に今この状況に至ったことに、愛おしさに近いような感情を覚える。ART-SCHOOL「Just Kids .ep」では、立ち止まって何かを失いかけかけた木下理樹がそれでも帰って来れる場所として、彼自身が長年かけて作り上げてきたART-SCHOOLという、絶望や破滅願望ばかりを歌ってきたバンドが在ることの皮肉めいた美しさに胸を打たれた。
 時の経過が齎すものは、エヴァーグリーンな輝きや感動的なドラマだけではない。結成16年にして2作目であるmizuirono_inu「TOKYO VIRUS LOVE STORY」は、長年に渡る葛藤や停滞の日々の中で溜まった膿を一挙にほじくり出すような衝撃の一枚だった。そのグロテスクな塊は、50分弱のリスニングであっさりと飲み込めるほどヘルシーなものではないが、同時に何かで代用できるほど浅い表現でもない。
 時間をかけて作られたものに時間をかけて向き合い、長く続いているものがこれからも続くことの尊さを感じ取ることは、決して大袈裟ではなく、人と人とが正しく繋がって生きていくために絶対に必要なものだと、そう強く思う。

■英米でのポップパンク・リバイバルの流れにも落ち着きが見えてきた今日この頃だが、そんなブームとは無関係の方向からも、アーティスト達はある時代への憧れを追い続ける。Galileo GalileiをFuture Bassのテクスチャで再解釈するようなUztama「風が凪ぐ」をはじめ、いわゆる「邦ロック」や「ロキノン系」(懐かしっ)を一歩引いた目線から見つめるような作品を、国内シーンで耳にすることが増えたような気がする(前述のように、moreru「山田花子」には残響系ギターロックや神聖かまってちゃんのエッセンスを嗅ぎ取れるし、BBBBBBB「Victory Hardcore」における大胆な凛として時雨のサンプリングには、単なる悪ふざけとも言い切れない眼差しを感じた)。国外では、00年前後のメタルコアをその後の経過をスキップして空気感ごと現代に蘇生するMemento.「A Chorus of Distress」や、王道90s Emoにメタリックハードコアのザラつきを塗したStateside「Bitter Spring」を繰り返し聴いた。Y2Kファッションを消費する市場を横目に、オシャレじゃない懐古をする彼らは、やたらと背筋が伸びて見える。

■ポップ・スクリーモ流れのポスト・ハードコア〜メタルコアから出発した僕のメタル趣味は、10年近い時をかけてようやく近年、デスメタルやブラックメタルといったエクストリームな領域に踏み込み始めている。煌びやかな夏への憧憬を原動力に、バンドを大きく開けた世界へと導いた明日の叙景「アイランド」や、ブルースとブラックメタルの珍奇な、だけど自然で効果的な融合を果たしたCrestfallen Dusk「Crestfallen Dusk」といった作品達は、改めてブラックメタルというジャンルの可能性を実感させてくれた。
 しかし、まだまだその楽しみ方をインストールできていないサブジャンルも数多くある。グラインドコアもその一つだった。「なんか速くて忙しなくてうるさいやつ」「Napalm Deathの短いアレ」程度の知識しかない無学なにわかメタラーの心を動かしたのは、Wormrot「Hiss」とCloud Rat「Threshold」。どちらも、それこそブラッケンドな質感を湛えながら、殺傷力の高いリフを立て続けに繰り出し、マスコアに通ずる狂気的なエモ表現で強烈なカタルシスを迎える。「短く速い」のはイメージ通りなのだが、それ故にその一瞬に詰め込むアイデアの発想力が問われるクリエイティヴなジャンルであるということを知った。
 スラッジメタルも、最近になってようやく理解が及んだサウンドスタイルだ。話題作・Chat Pile「God's Country」や名盤・Eyehategod「Dopesick」(こちらは旧譜ですが)によって僕の目の前に開かれた汚泥の世界への門戸から、異邦人を引きずりこもうと手を伸ばしてきたのはPyrithe「Monuments to Impermanence」。怪しく蠢く粘性の有機体が時間を自由自在に伸縮させる、その重苦しくも美しい音世界に魅了された。

■ごくごく個人的な話ではあるが、今年は特に入れ込んで応援しているアーティストの新譜リリースが多くて嬉しかった。多くのリスナーを唸らせた音楽的実験の果てに最大の武器であるポップネスに立ち返ったThe 1975「Being Funny in Foreign Language」、シーンの帝王がパーソナルな死や別れに向き合うメランコリックな叙情ハードコアCounterparts「Eurogy For Those Still Here」、完成された前作を形作っていた規範を自ら破壊し更なる創造の地平を拓いたbrakence「hypochondriac」。いずれも、オールタイムベストな傑作を残した後に、それとは違った場所から自身の創作を見つめて、新しい一面を見せてくれた。
 これからもやっぱり、進み続け変わり続けようとするアーティスト達をサポートし続けていきたいですね。

■ASMR的な音響がポップミュージックの世界に持ち込まれたのは、Billie Eilishの国際的成功がきっかけだったのだろうか。「音フェチ」的な音響表現は、現在では多くのジャンルで用いられるようになった。Alien Book Club「Desecration of the Whispering Salamander」は、スカパンクをベースにした楽曲に、妙に"近い"音を織り交ぜることで、独特の肌触りを実現させている。Daniela Lalita「Trececerotres」の前衛アートポップにて、冷たくも生々しいクワイヤがやけに恐ろしく感じるのは、その立体感によるものに違いない。King Garbage「Heavy Metal Greasy Love」のふくよかなアンサンブルにハッキリとした「隙間」を認識できるのは、そして「隙間」が埋められていくことに快を感じられるのは、何故なのだろう。聴取環境の変化や技術の発展が新たな音楽の滋味を産み出すのは、きっといつの時代にも起きていたことなのだろうけれど、やっぱり興味深くて面白い。

■1枚だけ余っちゃった! 生演奏でジャズとヒップホップの静謐だけど親密な調和を図るAvantdale Bowling Club「TREES」も素晴らしかったです!

■以上!

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