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時刻表に乗る~信越本線の今をゆく~vol.1

1.信越本線の栄枯盛衰

 信越本線
 かつては、高崎ー新潟間 327.1㎞ の大幹線であった。
 しかし、北陸新幹線(長野新幹線)の長野開業に伴い、「並行在来線問題」(後述)から、平成9年(1997年)に横川ー軽井沢間11.2㎞が廃止。同じく平成9年(1997年)に軽井沢ー篠ノ井間65.6㎞がしなの鉄道に移管。さらに、平成27年(2015年)北陸新幹線金沢開業に伴い、長野ー妙高高原間37.3㎞がしなの鉄道に移管、妙高高原ー直江津間37.7㎞がえちごトキメキ鉄道妙高はねうまラインにそれぞれ移管され、現在信越本線として残っているのは、高崎ー横川間29.7㎞、篠ノ井ー長野間9.3㎞、直江津ー新潟間136.3㎞の3か所に分断されてしまった。

 往年の信越本線は、大阪ー上野を結ぶ、特急「白鳥」(上野編成)、上野ー金沢を結ぶ特急「白山」、上野ー福井の急行「越前」、上野ー金沢の急行「能登」(長岡経由の時代もあり)、そして一番本数の多かった上野ー長野の特急「あさま」など、数多くの名列車が走り抜けた、まさに特急街道であった。

 そして、そのすべての列車が通過したのが、日本鉄道屈指の難所である横川ー軽井沢間の「碓氷峠」である。

 信越本線のルートの一部はもともとは、東京ー京都を結ぶ幹線としての候補ルートのひとつであったが、大きな問題として、「碓氷峠」の問題が立ちふさがった。標高差553m、最大勾配66.7‰であり、地形的にも、スイッチバックやループ線などで対処できず、さらに当時の機関車では単独で坂を上ることが可能な能力のものがなく、明治26年(1893年)に横川ー軽井沢間が開業した際は、「アプト式線路」という、通常のレールの他に、第三のレール、それも、専用の機関車に取り付けられた歯車がかみ合わせられるようなギザギザの形状のレールを備えたものを用いた路線となった。

アプト式レール
[使用写真]フリー素材 https://www.photo-ac.com/
撮影者:スイエンレイさん
アプト式時代の橋
[使用写真]フリー素材 https://www.photo-ac.com/
撮影者:ジョーナカさん

 その状態では、輸送力には限りがあり(機関車がけん引できる貨車や客車の車両数が限られる)、長い間輸送の障害として、国鉄の頭を悩ませる区間であった。
 しかし、70年後の昭和38年(1963年)、「EF63形」機関車の登場で、ついにアプト式線路を廃止し、通常の線路の敷設が可能となり、新線が建設された。

EF63形機関車
[使用写真]フリー素材 https://www.photo-ac.com/
撮影者:NYPさん

 専用の機関車が必要な状況は変わりなかったが、アプト式線路がなくても碓氷峠の急勾配を上り下りができる能力を備えた機関車が開発されたのである。アプト式時代は単線であった路線も複線となり、輸送力は限りがあるとはいえ大幅に向上した。
 EF63形機関車は、電車の勾配下側に連結され、上りの際は後方補機として、電車を後ろから押し上げ、下りの際は、特殊なブレーキの性能により、電車の坂下りを補佐した。
 その後、34年にわたり、勾配を上り下りする電車をEF63形機関車は支え続けたが、平成9年(1997年)北陸(長野)新幹線が開業し、それ以後の整備新幹線開業すべてに影響を与えている「並行在来線問題」により、輸送の難所である、横川ー軽井沢間は廃止されてしまった。

 東海道・山陽新幹線(東京ー博多)、上越新幹線(東京ー新潟)、東北新幹線(東京ー盛岡)(盛岡開業まで)で開業してきた新幹線に並行して走る在来線は輸送量が多いこともあり、新幹線が開業してもそのまま国鉄・JRが維持していたが、北陸(長野)新幹線以降に開業しているすべての新幹線は並行して走る在来線について、地元自治体などが出資する第三セクター鉄道への移管もしくは廃止が必須となっており、これを「並行在来線問題」と呼んでいる。横川ー軽井沢間はその中で廃止となった唯一の区間となってしまったのである。

 今回は、そんな信越本線の栄枯盛衰に心を傾けながら、現在のそのルートを時刻表に乗ってたどっていきたいと思う。旧街道・中山道の沿線も一部重なっているのでそのあたりも楽しみである。

次回へつづく


〔参考文献〕
・JR時刻表2024 7月号 (株)交通新聞社
・全国鉄道地図帳 昭文社
・駅名来歴辞典 国鉄・JR・第三セクター編 石野哲著  JTBパブリッシング



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