時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #16 函館本線⑤
歌志内線・深名線
それぞれの役目を全うした両路線
歌志内線は、北海道炭礦鉄道として、幌内炭鉱の次、明治24年(1891年)に早くも全通しました。
歌志内炭鉱は年間70万tの石炭を産出し、昭和38年(1963年)には国鉄4番目の黒字路線になるほど、石炭輸送で活況を呈しました。
しかし、北海道の他の炭鉱鉄道と同様、石炭炭鉱の閉山が相次ぎ、輸送量が減少、赤字路線に転落していきました。
最後は、国鉄再建法の第二次特定地方路線(輸送密度2000人/日未満)(1002人/日)に指定され、昭和63年(1988年)その役目を終え廃線となりました。
昭和63年(1988年) 3月号時刻表
砂川発歌志内行き(621D)
砂川発5時33分ー歌志内着5時59分 所要時間26分
1日8往復
深名線は、雨竜ダムの建設資材を運搬する路線として計画され、大正13年(1924年)深川ー多度志(たどし)14.0㎞が開業、当初は雨龍線を名乗りました。
その後徐々に路線を延伸し、昭和7年(1931年)雨竜ダムの南端にほど近い朱鞠内(しゅまりない)までが開業し、幌加内線と名称を変えました。
ちなみに、深名線の沿線は、北海道歴代積雪量ランキングの1位に名を連ねる幌加内(324cm/日)(2018年2月25日)、3位に朱鞠内(311cm/日)(1982年3月10日)などの町が並ぶ北海道有数の豪雪地帯を通っています。
昭和12年(1937年)には、名寄方面から初茶志内(はっちゃしない)(のちの天塩弥生)まで名雨線が開業、4年後の昭和16年(1941年)に、天塩弥生ー朱鞠内が結ばれ深名線として全通しました。
ダム建設という当初の目的が果たされると、もともと人口希薄地帯であり、有数の豪雪地帯である深名線沿線は輸送量も少なく、ディーゼルカーが貨物列車の貨車をけん引していたこともあったそうです。
常に大きな赤字を計上する深名線でしたが、周辺の道路事情が悪く、雪にも強い鉄道は地域の足として重要な位置を占めており、廃止を免れていましたが、平成7年(1995年)についに廃止されバスに転換されてしまいました。
昭和63年(1988年) 3月号時刻表
名寄発深川行き(944D)(朱鞠内-深川は928D)
名寄発16時00分ー深川着19時00分 所要時間3時間
下り名寄方面は全て朱鞠内止まり
(一部幌加内止まりもあり)→朱鞠内発名寄行き
上り深川方面も上記944D以外は全て朱鞠内止まり→朱鞠内発深川行き
函館本線の現在地
ここまで函館本線とその系統支線を見てきましたが、函館本線そのものが、北海道における最重要路線であることは間違いのないところだと思います。
しかし、函館本線も区間によっては苦戦している線区もあります。
例えば、長万部ー小樽の通称「山線」と呼ばれる区間については、北海道新幹線札幌延伸と同時に廃止されることが決定しています。
函館ー長万部については、北海道新幹線の並行在来線という位置づけとなり、新幹線札幌延伸の暁には、経営分離され第三セクターでの運営となることも決定しました。
小樽ー札幌については、札幌近郊の通勤通学路線としての地位を確立しており、そのまま存続することとなっています。
札幌ー旭川については引き続き、都市間輸送の重要路線としての地位を継続することになります。
JR北海道は、国鉄の民営化の当初から、自社のみでは経営が困難な会社であることは言われつづけており、昨今では線路の保守点検不足による事故などを引き起こすなど、経営体質そのものも問題視されています。
しかし、観光資源に恵まれた北海道を地盤としている会社として、できることはまだまだあるはずです。
われわれ利用者側も、会社任せにするのではなく、国や周辺自治体を巻き込んで、北海道における鉄道の新しい在り方を模索していかなければならないのかもしれません。
函館本線編 了
〔参考文献〕
・JR時刻表2024 7月号 (株)交通新聞社
・JTB時刻表1988年3月号(復刻版) JTBパブリッシング
・全国鉄道地図帳 昭文社
・駅名来歴辞典 国鉄・JR・第三セクター編 石野哲著 JTBパブリッシング
・日本鉄道旅行歴史地図帳 北海道 [監修]今尾恵介・原武史 日本鉄道旅行地図帳編集部[編] 新潮社
・鉄道ジャーナル 2021年4月号