見出し画像

身体ラボ 「ていたらく」 。  四つ足の驚くような可能性

12/23は、身体ラボ「ていたらく」でした。龍門寺さんの本堂をお借りして、ただ立ってみることを一日通して経験してゆくワークショップ。

ただ立つだけで、今まで知らなかった動きとか呼吸の仕方とか、新しい何かを覚えてもらうわけではないから
「〇〇をやります」
と言い切れなくてもどかしい、何をやるのか説明を試みると、
まずは立ってみて、そこから安定して立てている「感じ」を自身の内に探っていく。内を探るから外側の形が誰もぴったり一緒というわけにはならない、それまで培ってきたわたしの癖があるし、力が入ってしまうところも抜けてしまうところもそれぞれ異なる。だから、外側(つまり僕)が直すことはほとんどない、あくまでわたしが味わう他ない。同時に「感じ」は一人よがりになりやすいから、誰かに押してもらって立てているかいないか、確かめてゆくそれがラボならできる。

この「感じ」が現れる姿勢とは、どうも全身がくまなく参加していく(している、と言えないのは僕自身がまだまだ部分のみだから)傾向が現れているときで、そういうとき、いつもより楽に立てている実感がある。正確に言うと、楽に立てているのでむしろ実感が、ない。
ただ直立してるだけでその「感じ」を掴むのは難しい、なぜならその状態を僕たちは忘れてしまっているからで、普段どれだけ力んでいることか。小さかった頃の身体に戻ることができればいいが、それは稀なことだろう。その状態になる一つの方法が、四つ足というわけなのです。
四つ足になったり、立ち方が勝手に安定する言葉を発したりして、状態を味わう。だから言ってみれば、
「立つ、を味わいます」
になるのかな。

あじわう?
そうです、味わう。
あじわう、
味わう。
それだけ?それでかねとるの?そんなのいますぐにでもできるよ。

感覚するだけなら誰だってできる。と言えば、それはほんとそう。ただその精度の違いには気づく必要がある。いや別に必要もない、いやあるんだけど、

僕の精度はまだまだ決して、全然高くない。謙遜ではなく多くの人がすぐに僕の精度にはたどり着く。本を開かずにただ持つだけという「本を読まない読書会」でも、本に触れたら色が観えたという人が現れたが、どんな風に色が視えているか聞いてみると、その人は僕なんかよりよっぽど高い精度で色を観ていた。だがその読書会が来るまでは、小学生の頃から本に触れてきていたのにも関わらず自分が本を手に取ると色が変化することに、三〇年近くまったく気づいてなかった。
そんな僕が他の人より高い精度で役に立てるものというと四つ足なので、そこからの気づきを伝えながら、身体へと向かう会が「ていたらく」の内容です。

四つ足は慣れないと結構すぐに疲れる、特に肩や腕はきつくなるので、直立で色々試して感じを味わうのを主にしていたのだけど、ずっと腰の痛みを気にしてる仕草が気にかかった、他にもずっと頭に上がりっぱなしの人もいた、つまり僕だけの意向ではなく、その場の要請によって四つ足で立って歩いてみて、そこから二本足になるをやることになり、すると終わったときに
「腰痛が消えてる」
喜んでくれたので、ほっとした。腰痛が消えるとか病が癒えるとかそういうことはあくまで結果であってそこを目指すわけではないけれど、驚きや納得があることでまた興味も生まれてくるから、来てよかったと思ってもらえる結果が生まれて良かった。
腰痛が消えるのは多分、四つ足になると肩や腰が消えてゆくからなのだと思う。
四つ足で歩く身体を味わっていると、驚くほど多くのことに気づく、それらを一つの言葉にしてみると、

身体の地図が変わる。

地図が変わるのは肩はここ、とか足はここまで、というのが変化するということ。それはでもそれだけではなくて、例えば同じ水の集まりでも川、池、湖、海ははたらきが異なる、そこから生まれるものごとも変わる、身体も地図が変わるとその役割というかはたらきも変化してくる。四つ足の地図は二本足の直立の地図よりも身体が活き活きするというか、偏りが小さくなってゆく。そして気持ちの向かうところが変わる、

気持ちを向ける
気持ちが向かう

この二つには似てるようで大きな隔たりがある、四つ足は気持ちが向かうところが変わる。それを感覚して、そのまま二本足へと移行すると地図が変わったままで立つことができる、するとなぜだかわからないけれど、ただその姿勢で立ったときよりも随分強くなっていて、かつ楽に立てている。
慣れてない人にはその感覚はとても小さいので拾えない、だから何が変わったかわからない、相手に押してもらうと初めて変わったことがわかる。そのとき、その感覚を味わうことでそっちに慣れていく。少しずつ精度が上がっていくように。

これは二人以上いるからできることで、ラボをやることで僕にとっても初めての気づきもあった。今まで四つ足での感覚を味わうのは一人でやってきたことだったから。
今回、複数人で四つ足から二本足に立っての歩行をやったら、普段の歩き方で歩いてみたときと比べて、驚くほどその「場」が静けさに包まれていることに気づいた。一緒に歩いた人たちも皆、そのことに気づいていた。

「普段、どれだけがちゃがちゃ歩いていたのか、と愕然としたね!」

自身の身体がバラバラに歩いていた、というだけでなく四つ足からの移行は頭が静かになる。その静けさは頭の中だけに収まらず、体の外側の空間にもおよんでいたのだ。
この変化は、みんなにも一度ぜひ体験してもらいたいなぁ!

ラボを終えて帰ったら家でも言われたのだけど、翌日、友達のところに遊びに行ったとき「どうしたの!?なんか、すごいスッキリしてる!」と驚かれた。僕もまた、身体ラボの恩恵を受けた一人だった。


◾️今回の主な内容

1部:

1. 背面に気持ちを向ける必要性の体感
   背面に気持ちが向かう言葉を唱えると強くなる
   正座をしてあるお経を唱えると押されなくなる
   背面に気持ちを向けたままで相対すると振り回されない
   妄想を始めると、押されたら弱くなってしまう

2. 四つ足になると1が勝手に実現される。
   四つ足になって歩いてみる
   四つ足からゆっくりと立っていく →  押されても安定して立てている体感
   四つ足から立ち上がり、途切らせないように歩く →  歩き方どころか場まで
   静まる

2部:

1.   四つ足で歩く
   午前よりもさらにみっちりと四つ足で歩き、その感覚を味わう
2.   四つ足から立ち上がる
   四つ足の感覚のまま立って、相手に押してもらう → 耐えられなくなる直前
   で加圧を止めてもらって力みを抜く →  さらに加圧、力みを取るの繰り返し
3. 四つ足からの立ち上がりで抜けやすい両手の感覚を途切らせない
   四つ足から立ち上がる → 両腕を押さえてもらい、感覚を途切らせないまま
   手を挙げる。途切れてから挙げる時との違いを味わう
4. 正体した立ち方から、少しだけ手を横に上げると重心がもう動くことを体感
   手 → 首 → 目線
   膝を曲げる →  そのままで移動しないでいられるように上半身でバランス
5. 4で立ち、身体の力みを緩めていく(楽に立ってるときの感じを味わう)

   

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?