M君との対話 No.3 ー 想像について、僕が考えたり、してること

アートハウスに戻ってきましたね、最近は描く方は、絵はなんか少し速度がゆっくりと言うか、なんかね、ここ一ヶ月半くらい少し文章の方に気持ちが向かっている感じと言うか、絵は描いてるけど前のように一日一枚とかではもうぜんぜんなくて、それどころか三日とかかけて一個作ったりとかするようになってて、で、前はパステルだったじゃないですか、今はアクリル絵の具を使って、それで遊んでる感じで、あとキャンバスを探してて、キャンバスほしいなって思って、でも買うのももったいないし、金かかるのも嫌だなとか思って、リサイクルショップとか、いらないキャンバスないかなとかみんなに訊いたりしながらで、絵の具ももらったものしか使ってなくて、だからある色でしか描けないんですよ、でもそれで僕は初めて気がついたんですけど、絵の具って12色とかで普通に売られてるじゃないですか、学校で使う絵の具も12色からスタートするでしょ、あれ、誰があの色に決めたのかなぁって、ひとつの制約って言うとちょっと強すぎるんだけど、その時点でなんか自分でないところのものが入り込んでいるわけじゃないですか、だからこの12色にした人ってなにを思ってこの12色にしたんだろうって思って、僕は42年経って初めてそれに気がついて、それで今、僕のところにあるのは僕の奥さんが20年ぐらい前にキング堂って文房具屋さんで買ったやつで、セールになってて、自分が好きだなって思った色だけをばらばらに買ってずっと取ってあって、使わないからあげるってくれたやつを使ってるんですね、だからそうするとキャンバスも別にキャンバスじゃなくていいじゃんて言うか、普通のキャンバスと、誰かの絵がもう描かれたキャンバスを知り合いがくれて、僕はそこに上描きして、それでもうそのふたつだけで終わっちゃったから、じゃあこれからどうしようかなって思って、それで廊下に置いてあった板を持ってきてそれに描いたりだとか、ほんとに、今は遊んでる感じです、

 だからいきなり話に入っちゃうけど、作品として残す、残る、みたいなことはいろいろと考えるところがあるなぁと、だから僕が描いた絵があるじゃないですか、それはいちおう写真に撮って記録には残しているんですけど、描くキャンバスがないからその上にまた別の絵を描いたりしていて、でも普通はそれをもったいないって思うじゃないですか、けどそれもひとつの実験ですよね、結局なぜ残すのかってことへの実験で、だから残したいっていう気持ちと描きたいって気持ちは僕の中では別のもので、僕たちって描きたい気持ちの中にそれを残すことも含めて捉えがちだけど、でもそれこそちっちゃい子どもを見ると執着ないんですよね、ぜんぜん、ぐわーっとなにかを描いて、椅子の上に描いちゃったりだとか、誰か親とかに見せて、あぁいい絵ができたねって言われてもう次に行っちゃうみたいな、だからなぜ残したいと思うのかってのが、純粋にただ残したいと思っているからなのか、あるいは作品ていう形を知っているからなのかとか、いろいろそうゆうのは実験ですよね、そもそも絵を描きたいって時にすぐ色絵の具とかを使うことを前提に考えちゃうけど、僕はよく思うんですよ、そうゆうのがなかった時に自分はなにをするのかってことを、例えば小説を書きたいって言ったらそれは小説という形式があるから小説って言うじゃないですか、自分ではそれを自然な欲求だと思っているけど、だけど仮にその前提に小説の形式がなかった場合はただ書きたいっていう気持ちだけが残るんですよね、するとその時に書く文章の形は一体なんなのかとか、それはなんらかの表現の形式が生まれた時には、おそらくその形式を作った人にとっての必然性が確かなものとしてありましたよね、だからその形式を使うってことは、僕たちの身体の中にその時にその形式を作った人の身体性と言うか、感性と言うか経験を、もう一度自分の中に立ち現しているということになるんですよね、きっと、僕は武術の稽古をやるようになって、型にはちゃんとした意味があるってことがようやくわかってきて、なので形式はなんでもいいってわけではなくて、そもそも僕は飯田で生まれて、この狭い範囲の中で暮らしてきてるから、おそらくこの土地の環境的な影響を相当に受けてるんですよね、それは絶対に影響してるんですよ、だから例えばここにタップダンスが生まれる余地があったのかとか考えて、それはね、生まれ得ないだろうなとか、だからなにかをしたいと思った時に、自然の方からなにを選ぶかが求められると言うか、ね、

 だから僕が既存のものに囚われていないと言うよりも、囚われていた自分を発見していったんですよね、あぁこれにも囚われていたかとか、いまだに絵とか描いててもやっぱりうまい絵を描きたいなとか、あるので、今は主に文章と絵を描くってのがあるわけだけど、例えばこの本、『人は必ず死なない。』(2022年)は2019年に書いて、こないだ中をもうちょっと変えて読みやすくして、文庫サイズに作り直したんですよ、しかもね、僕はMくんのこの《手紙》を読んで、この『人は必ず死なない。』じゃなくて『世界と繋がる芸術論』(2022年)の方がすごく繋がりがあるかもなって思っていて、でも僕は文章も絵も身につけていったって言うよりも、これは全部真似ですよね、やっぱり先にそうゆうことをやっている人がいて、そもそも言葉自体が誰かの作ったもので、僕たちはそれを使って自分が新しいものを生み出しているつもりでいるけれど、同時にそれは、その言語とか道具とかを使うことによって、それを生み出した人の経験を自分がここでもう一度フィードバックしてると言うか、そうゆうところがあるのかなぁと思っていて、それこそ絵を描く時に僕は具体的にこの人の絵をちょっと真似してみようとかしていて、それでいきなり、例えばダヴィンチでも誰でもいいんですけど、もしも絵なんてものを見たことがなくて、ゼロからいきなりああいうものを描いたってなったら相当すごいことだけど、そんなわけは絶対なくて、僕たちは常にゼロではなくて、作るということはその人がそれまでに経験したもの、見たもの、聞いたものの俎上にあるんだよなって僕は思っているんですよね、

 それで『世界と繋がる芸術論』は一番最初は月一の連載で書いたんですよ、みんなでフリーペーパーを作っていて、ひと月に原稿用紙6枚分書いて、自分で勝手に連載を始めて、その最初のとっかかりは《どうしたらアートになるのか問題》っていう問いを自分で立てて、僕はアートに関する勉強はいっさいしたことはなんですよ、そうゆう学校にも行ってないし、本もほとんど読んだことがないんだけど、ある時に、確か森美術館だったと思うんだけど、ピカソの絵とねむの木学園の人たちが描いた絵が一緒に展示されてるのを見た時に、ピカソとその人たちの絵はなにが違うのかってことを思って、ねむの木学園の人たちの絵はそこに飾られてるってことは作品として見られるだけの強度があると思うんだけど、ぱっと見たところ、僕はピカソを知っちゃってるから本当のところはわからないんだけど、なにも知らないで見た時にそれらはなにが違うんだろうかとか思って、それで違うとしたらその違いはどこから生まれているんだろうかっていうのが気になったのが最初だったんですよ、そしたらどうやったらアートはアートになるんだろうかって勝手に考え始めて、それでその時に読んでたある精神科医の人の本にまさしくそのことが書いてあったんですよ、原始美術と、子どもや動物の描いた絵と、それから精神疾患のある人の描いた絵、芸術家が描いた絵は、それぞれ決定的に違うところがあると書いてあるんですね、その違いはある種の達成があるかないかみたいなことで、僕はそうゆうところからこの問題に入って、どうしたら芸術になるのかなぁって考え始めて、それが結局4年間続いて、2年を過ぎた頃に武術に出会って僕の興味が身体っていうものに移っていくんですよ、そうしてそれまでは概念で捉えていたものを身体的に見ていくっていう方向性が僕に生まれた時に、それこそMくんが問題としていることでもあるんですけど、僕は芸術そのものから離れていったんですよね、どうしたらアートになるのかとか、芸術になるのかっていう問いそのものから離れていって、創造ってなにかっていう方向に向かっていっちゃって、それでAIのこととか、植物の知性について考えたり、生きること、死ぬこと、そうゆうところまで問題がどんどん広がっていってその連載は終わるんですけど、4年間かけてだらだら、そうゆうのを書いてたんですよ、その時に考えて文章を書いていくことと、実際に絵を描き始めることとが一緒にあったんです、その芸術論を書くようになって、武術と出会って、その後半の三分の一くらい書いたところで今度は絵を描くようになったんですよ、それまでは文字と思考だけで棲み分けてたものを実践として絵を描くようになったんですよね、だからある意味じゃ自分で書いてたその芸術論が僕に絵を描かせてくれたんだよなぁって感じですよね、

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