友達がいないときにどうしたか

友達がいないと、ひとりの時間が増える。
それはいいことも悪いこともそれぞれある。

この記事は「友達の作り方」を指南するものではない。その時間をどう使うかについて、自分を例として上げるものだ。
何かひとつ好きなものがあれば自分の救いになるし、もしかしたらそれをきっかけに繋がりができるかもしれない。
私はそれが音楽だった。

息をするように会話ができる人間には才がある。
根本的な、もしくは容易な直し方がわかっているならこんな文章は書かない。


私は何か共通点がなければ致命的に世間話ができない。
興味がない話を続けることに苦労する。どうでもよすぎる天気の話すら当時はできなかった。話かけること、話を続けること、それらは訓練だった。
周りの根気強さに頼るほかない。努力する機会を設けていただけるのは運でもある。

以上が論旨。以下は変遷である。
たいした話はしていない。何かのきっかけになれば。

①クラスからなんか浮いていて、お笑いを観たり音楽を聴いたりしていた

見出しの通りである。他にない。

中学の話。
学内で唯一どこの部活にもクラブにも属さない生徒だった。運動が大嫌いだったから運動部は論外で、他の文化部の雰囲気がどうも嫌だったからだが、なんで放課後までこんなにも集団行動すべきなのか意味がわからんとも思っていた。
もう浮いていた。

周りが部活動に勤しんでいるなか、唯一の帰宅部である私は中央玄関の鍵を誰よりも早く開けていた。
時間があるので、もともと好きなバナナマンやラーメンズのDVDを観つつ、お小遣いやお年玉で買うCDを聴いていた。親に買ってもらったものもかなりあった。
アルバム1枚3000円の重さを感じて、同じCDをひたすら再生する。

ロックバンド!バナナマン!ラーメンズ!以上。
TVでの露出がほとんどない人たち(今やバナナマンは大スターだが当時は今ほどではなかった)を好きになっていたので、したい話ができずに浮いていた。
今ならインターネットでいくらでも外界と繋がれるが、当時はその手段がほとんどなかった。

しかし、まだこのときは、なんか浮いていた、である。
決定的に友達がいなかったわけではない。ただいまいち趣味が合わなかった。ひとりだけラーメンズを好きになってくれた友達は今でも連絡を取ることがある。

私はこれをとてもすごいことだと思っている。当たり前ではない。
やはり好きな物事を共有できることが前提としてあった。

②相変わらずの高校生活

そのまま高校へ進学した。
そしてとにかく学内に友達がいなかった。
入学式に行き、あっこれは無理だな、という肌感覚。知らない人しかいない場所に放り込まれて、すぐコミュニティを作れるなんて、あまりにも生存本能が強すぎやしないか?だって誰が誰なのかも知らないじゃん。

帰宅して開口一番に「もう友達づくりを諦めて勉強する」と親に言った。
自意識過剰な思春期、さすがに昼休みをひとりで過ごすのはまずいと焦った。そしてなんとかお昼ごはんをいっしょに食べることができる友達はできた。今は互いにほとんど動向を知らない。
もれなく「はい2人組作って〜」ができなかった。私も体育や理科の実験の時間とかで困った。
思い出せない。なんでそんなことするの?しんどい。

そんな友達のいない高校生活をどうやり過ごすのか。
とにかく本を読むか好きなバンドの曲を聴く以外ない。
だるい授業中には制服の袖にイヤホンを通して何かしらの曲を聴いていた。
そのときにサブスクリプションサービスがあったらどうなっていただろう。たぶんきちんと音楽と向き合わなかったと思う。
私は変わらず、ずっとアルバム1枚3000円という重さを背負っていた。アクセスの不自由さが己の引き出しを形成していった。

買ってもらったWALKMANにプレイリストを作り、延々と聴いていた。
よくリピートしていたのはlostage「SUNDAY」とhal「六階の少女」、NUMBER GIRL「TUESDAY GIRL」、ハヌマーン「猿の学生」だった。
高校時代には今でもちっとも戻りたくはないが、当時聴いていた音楽は今でも聴いている。そこだけはよかった。

そして変わらず、ロックバンド!バナナマン!ラーメンズ!以上。そういう毎日だった。
バナナマンはバラエティ番組に出始め、ラーメンズは本公演以外の舞台にも多く立っていた。
懸命に追っていた。ラーメンズの本公演「TOWER」が最後に見るラーメンズなんて考えてもいなかった頃だ。
いつも同じものを好きな人と話したいとずっと思っていた。

③大学入学後のこと

大学に入学させてもらえた。すごい。
大学はもう義務教育ではないので、当たり前ではない。

高校生活では叶わなかった音楽の話をどうしてもしたかった。
入学してそのまま軽音学部の門を叩いた。
前述の通りしょうもない高校生活だったので、さすがに大学では友達がほしかった。
新歓の時期ということもあり、軽音楽部もとても間口が広かった。他者との関わりに乏しい人間にはありがたかった。

しかし、ここでも初めはとにかく人と喋ることができなかった。
話し方が、話しかけ方がわからない。さてどうしたものか。部室で前述のハヌマーン「猿の学生」のイントロのベースラインを弾いていた人がいた。
ここでは?と思った。会話のツールとして、これまで聴いてきた音楽が役立つときがきた。「ハヌマーン、いいよね」。

もう、これだけだった。これで友達ができた。受容してくれたその人もハヌマーンはすごい。



だいたい、こういう流れでそのまま社会人になった。
成人になってから振り返り、これらが何を示すのかを辿ると、冒頭で述べた以外にとりあえずひとつの答えが出た。

初対面の人にタメ口で喋るな。


不遜であることが私の欠点であると気付くのは、もう少し先のことだった。
結局、どこかで一歩ばかりはがんばらないといけない。


あと、友達は選びなね。
ほんとそのままでいいんで。

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