見出し画像

見つからない集団主義への逃げ方

これは何度も書きそうだが、とにかく高校生活が嫌だった。
振り返ると気が付く。思春期以前と思春期真っ只中だったころの記憶をほぼなくしていることに。
具体的にいうとだいたい10代前半から高校生の終わりまで。

あの過剰な集団主義は高校を卒業すると終わる。
あの日の自分に声をかけられるなら、それまでは持ち堪えてほしい、大丈夫だから、と伝えたい。

高校生活。
思いやりも配慮もまったく理解できなかったおめでたさ。とにかく他罰的であった。
まいにち「この乗っているバスが横転して私だけ助からないかな」と、今更口にするのも憚られるようなことを想像した。生きようとしていてえらい。
ほとんど誰とも話さず、話せず、ひとりでやり過ごすにはしんどかった。
どこまで耐えたらいいのかと思った。

例えば席替え。
くじ引きの際にはなるべく窓際のいちばん後ろがよかったが、そんなところはなかなか当たらない。
仲間内で席の取り替えが行われているのを横目に、だるいな、どこでもいいだろ、と思って「目も悪いし、前に行って授業ちゃんと受けよっと!」と、誰も選ばなかった教卓前に腰を据えることができた。
ここはだいぶよかった。ほとんど黒板しか見えない。板書がよく見える。
ノートを借りる人がいなかったから授業に向き合わざるを得なかったとも言える。 

私はめちゃくちゃ殺気立っていた。
過度なコミュケーションを取らせようとしたり、コミュニティを作らせようとする閉鎖的な学校教育に常に腹を立てていた。
個人主義は浮く。それを個性として認めてもらえない空気だったと、あのときも今もそう捉えている。
どいつもこいつもだせえな、と過ごした。

自分。
他人を下に見ていた自分もそうされていることを伝えてくれる正しくて賢い誰かの存在を信じることもなかったし、そんな人はそもそもいなかった。
声に出していなかったから。知らせていなかったから。

「そんなんだからおまえはだめなんだ」という言葉を見知った顔が言うのを、新しい関係性を、遠い場所から人格を否定されるのを、話半分にでも聞けたらよかった。
未来なんていうものに興味がない、今をやり過ごすことしかなかった。どんな想像もできなくなった。
過去の自分は殺されなくても死んでいき、ぐずぐずのメンタリティはどこかに置いてきた。
確信がないまま輪郭がぼやけて、穏やかに、確実になくなった。

夕暮れ間近の美術室の前で私はいろんなことを言いかけてやめた。
笑えるくらいのものになったから文章にしている。
虚無の時間のやり過ごし方、合ってたよ。音楽を聴いて文庫本を読んだ。

そういえば、高校卒業後、同じ中学から同じ高校に進学し、一度も同じクラスにはならず、また仲良くもなかった元同級生に、
「みんなに良さを伝えてあげられなくてごめんね ><」
という手紙をもらった。こういうやつらに踏みつけにされていたような気がする。

こんなんばっかりか?人生。



学校生活でいちばん楽しかった瞬間は「生物の授業での実験、ビーカーに入れたじゃがいもに過酸化水素をかけると泡がめっちゃ出たこと」だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?