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【映画】「女神の継承」レビュー

昨年観た映画の中で最も体力を削られた映画、女神の継承。
この度めでたく円盤化されたのでレビューを書く。
目を背けたいが離せない壮絶な描写の数々。徹底されたビジュアルも見せ方も、圧があって熱量も高い。すばらしい鑑賞体験だった。


比類なき怒涛の恐怖エンターテイメント、狂乱の儀式が、はじまる

祈りの先にあるのは希望かそれとも絶望か。
祈祷師一族の因果を廻り、新たな恐怖がやってくる。
女神の継承 公式サイトより


上記は公式サイトのトップページから引用した文言だ。
まさにこれ。「比類なき」「怒涛の恐怖エンターテイメント」「狂乱の儀式」、すべてが作品の要素を表している。
この物語はタイの祈祷師一族の日常のドキュメンタリーから始まる。
序盤の日常的な儀式の映像は冗長とすら感じるが、それがいつしか狂乱に変わっていく様が観られる。

「モキュメンタリー形式のホラー、土着信仰、エクソシスト、ゾンビ」どれかのワードに引っかかったなら満足できるだろう。
「よくぞここまで」と言わざるを得ない熱量には星4以上の評価がつけられるべきだとすら思っている。
当作品はモキュメンタリー映画の中でも一線を画しているのではないだろうか。


■ちなみに、モキュメンタリーとはドキュメンタリー形式のフィクションを指す。
ホラーのジャンルだと『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』が有名だろう。少し前にNetflixで評判になった『呪詛』もそうだ。
(ちなみに私は『REC』を激賞している。スペインのゾンビ映画で、一人称視点と三人称構成のバランスが良い。上映時間も85分と短いので足がかりとしてこの上ない。)

①女神の継承


まずタイトルが最高である。
ポスターのビジュアルと「祈りの先に、救いはあるのか。」のコピー、韓国ホラーの名作である『哭声』の監督ナ・ホンジン氏が手掛けた作品と聞いて、これは!と思い、映画館へ足を運んだ。

私はアリ・アスター監督の『ヘレディタリー』が好きで好きで堪らない。あの作品の軸も継承だった。そして同監督の『ミッドサマー』も好きだ。
あまり前情報を入れずにいたので、「女神の継承というタイトルだからタイ版ミッドサマー feat.ヘレディタリーみたいな感じだろう」と思って観に行った。
全然違った。
ちっともミッドサマーでもヘレディタリーでもない。どうしてそう思ったんだろう。『哭声』の監督が作っているのに、そんな訳がなかった。


②比類なき怒涛の恐怖エンターテイメント


ホラー映画は観客の恐怖を煽り、その感情の煽動はエンターテイメントである。
おもしろそうな作品を積極的に観ると大体ホラーかスリラーになる。
エンタメ性に極振りしたホラーはカタルシスを得られることが多くある。

当作品は上記の要素を抜群に含んだ作品だった。
グロテスクでホラーで感情を煽るエンターテイメント。
「もうやめてくれ」とすら思う描写の数々に目を背けたくなった。自分で望んで観に行っているくせに座席に磔にされている気分だった。

とにかくジャンプスケアの使い方が巧い。
タイミングの狙いどころがうまい。来てほしくないところで来るし、来てほしいところにも来る。

モキュメンタリー系のホラーには欠かせない手ブレのジャンプスケアは多用されすぎると鬱陶しくなる。
臨場感が伝わりはするが必要以上に使われると見づらく、あざとさにうんざりする。画面酔いもする。
しかし、当作品には無駄がない。
作中にはドキュメンタリー映像を撮影するカメラマンがいる。そのカメラマンの根性たるや尊敬を禁じ得ない。


私はスプラッタやグロテスクな描写があまり得意ではなく、選ぶ映画にたまたまそういうシーンが入っている場合が多い。
当作品はふんだんに盛り込まれていた。

③祈りの先にあるのは希望かそれとも絶望か


宗教を主軸にする作品で避けられない題材、このコピーに興味を持ったので観に行った。
主人公たちは狂っていく姪(娘)を助けたい一心で元に戻るよう祈り、神に救いを求める。
「祈りの先にあるのは希望かそれとも絶望か」、この物語の肝はここだ。
題材にブレはない。整合性が取れているように見える。
我々には知らない文化なので口の出しようがないというのもある。

序盤、複数の住民がお祈りのために祈祷師の家を訪れ、まじないをかけてもらうシーンがある。それは彼らにとって日常的な行動だった。
その住民たちを含め、登場人物たちがどれだけ信心深いか、そこだけでは判断できない。

救いは日々を生きる中で避けがたい、また、なくてはならない存在である。
心の拠り所として何かに寄りかかることは少なからずある。いわゆる「推し」とはそうだと思っている。
たとえば藁をも掴むような物事に対して「うまくいってくれ」と願うとき、その願いは祈りと言い換えられる。
それが叶った場合は救われたような、また叶わなかったら絶望に程近い気持ちになることもあるだろう。
自覚があろうがなかろうが、日々の中に光を見出すならばそれは祈りだ。


主語が大きくなるが、日本人は自らを無神教とする人が多い。
多いが、初詣に行ったりお参りをしたり、お守りを買ったりする。これらは日常生活においてなんら不思議なことではない。
「行動=信仰」という考え方がある。
我々がイベントとしてライトに行うそれらが、信心深いことだと思われることもある。神に対してアクションを取っていることには違いないからだ。
程度はあれども、手を合わせて、何かを求めている。
その考えは作中に出てくる登場人物たちと重なってくる。

果たして、祈りを捧げれば捧げるほど救いが得られるのか?
普段から信仰心を持っていなければ救われないのか?
そもそも、その祈りとは何を指すのだろうか。
ラストに向かうまでの展開で、先に指したコピーは回収される。
私は納得した。自己解釈の一致や不一致は関係のない、良い作品だった。

「ホラー映画が苦手な人に薦めたらしばらく口聞いてもらえなくなるだろうな」とも思った。


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