【天声人語】いつの時代も”肩書き”に酔う人はいるものだ【感想】

今日の天声人語は、こちら。

いつからだろうか。
リーダー、課長、部長などの役職に就くことを好まない人が増えた。

「責任を取りたくない」
「自由に働きたい」
「部下を持ちたくない」

こんなネガティブな思考が増え、「役職に付きませんか」という会社からの声掛けは「夢への一歩」から「絶望への肩叩き」に変わってしまったように感じる。

「名刺で仕事をするな」というアドバイスは、私ももらったことがある。
必要なのは、”肩書き”による仕事ではなく「その人だからこそ」の仕事だ。

”私”だからできることは何か。
これまでに積み重ねてきた経験をどう活かすのか。
その人ならではの価値をどう提供するのか。
本来の”肩書き”に求められているのは、そこではないのか。

年老いた古い人間は、役職にこだわる。それは、少し間違っている。
役職になんてこだわっていない。やりがいや責任感は、必要ないのだ。
彼らは、権力とお金が欲しいだけ。
老後を心配しなくていいくらいのお金と、いつまでもチヤホヤされるという権利が欲しいだけなのだ。

「老害」という言葉は、こんなところにも転がっているのか。
今回の天声人語を読んだとき、素直に思った。

とある先生は「老人は集団自決した方がいい」なんて言ったが、私はそれに反対だ。ただ、いつまでも仕事場にいられても困る。
「若者を育てよう、次の芽を育てよう」と思ってくれる人に、残って欲しい。

厳しい時代を生き抜いた人たちの経験は、今の若者にはない。おそらく、経験することもできないだろう。その経験と、現代の流れを掛け合わせれば、私たちはAIに負けることなく、まだまだ頑張れる。

でも、「社長にさせろ」「権力と金をよこせ」という人たちなら、集団自決させても良いんじゃないかと思う。
いつまでも、存在されては困るから。

【あなたたちのような人たちが、若者たちを昇進という道にマイナスイメージを植え付けたという事実は受け入れてください。】
こんなメッセージは伝えておきたい。

今、若手の社長ややり手と言われている人たちの中に、誰かに憧れて社長を目指したという人はあまりいない。
今の社長や古株を見て反面教師的に起業したり、「あぁなりたくない」という思いが強いのだ。

私も、これから歳をとる。
今、33歳。気づけば40歳になり、あっという間に定年だろう。
いつか60歳、70歳になったとき、良い意味で「古株」と呼ばれたい。
今の古株の多くは、「古株」というより「古カビ」が多いかもしれない。

そうならないように。
自戒を込めて。

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