見出し画像

わたしたちが生きているとは?

この歳になって、残り少ない人生、読書のテーマ、考えることを絞ることにした。これまで読んできた本の背表紙を見ながら決めたテーマは、ひとつは生命とは何か?人生とは何か?。もうひとつは、国家は消滅するのか?愛国心とは何か?

もっと早く考えることを絞るべきだったろうが、過ぎたことは仕方がない。

昔読んだ本を読み直し、気になる新しい本を買って読んでいる。

下は次の3冊である。

1988年発行の『精神と物質』ーー1987年にノーベル生理学医学賞をもらった利根川進さんと立花隆の対談。立花隆が相当専門的に勉強して臨んでいるので、内容はだいぶ専門的である。

『唯脳論』は、1989年発行の解剖学が専門の養老孟司が脳の機能と構造について、これまでに分かっている事実と発表された理論をもとに、脳の機能が私たちの世界と自分自身の把握と認識に重要な役割りをになっていると、彼の推論を詳しく書いてある。

『WHAT IS LIFE』は2020年、ノーベル生理学医学賞をもらったポールナースの研究内容を分かりやすく説明し、DNA等の機能から生命とは何か、彼の考えをまとめたもの。

簡単に端おってまとめると、利根川進も、ポールナースも、遺伝子学、分子生物学が進むと生命の秘密がわかるだろうと結論の方で語っている、あるいは書いている。

私はノーベル賞をもらって、気持ちが昂り、これで世界の一部である生命とは何か?人間とは何か?わかりつつあると思い込んでしまったとしか思えない。

DNAの分子構造が分かると、人間がどのように今の精神と肉体の構造と機能を持つようになったかが分かると二人ははっきり語っている。

利根川進との対談で、聞き手の立花隆の返事はそれに納得していない彼の思いを表して曖昧に終わらしている。

分子生物学者は木を見て森を見ない傾向がある。素人の私は専門的知識がないバカだが、彼らはある種の専門「バカ」だと思えてならない。

一方、養老孟司は脳の解剖学のこれまでの歴史的発見と彼独自の推論で、脳や人間の肉体の構造と機能を分けて考え、脳とは何をしているか彼の推論をまとめている。

人の死とは何か?それは明らかになっていないという考えがその底にある。脳死後も皮膚は生きており、脊髄の神経も生きていて反応する。人間は、完全に肉が腐敗し骨から外れて、はっきりと死んだと言えるという。

脳の機能、それはあらゆる神経からの情報で世界と脳自身を認識あるいは推測することであると彼の考えはまとめることができるだろう。

そして、外部からの情報を受け取ることのない脳の神経は互いに情報を交換する。それが人間の意識であるというのが養老孟司の推論である。

推論で終わるということは、その先にまだ人間が理解していない、あるいは明確にできないことがあると認めていることである。

人間はこの世界と人間自身について、まだ、爪の先が伸びることを知って、どのようにしてきちんと爪の先はまた爪であって歯や髪の毛でないようになるかを分かったレベルである。

すると、ここまでの、そして現在でも、分子生物学と解剖学的推論では後者の方が真実に近いといえる。

どうして分子が集まって考えるようになるか、自分という意識をもつか、死ぬとその意識はどうなるか、そういうことはまだ私たちには分からないということが真実だから。

今日はここまで、この先は推論のそのまた先の推論になると思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?