見出し画像

凸型大学フィルハーモニーの思い出

 それは彼が30代半ばのことだった。ある晩、携帯電話に見たことも聞いたこともない女性からの着信があった。「凸型大学フィルハーモニーオーケストラのトランペットパートの○○といいますが…」凸型大学、略して凸大とは彼が住む町凸型にある大学ではあったが、横浜市の大学と仙台の専門学校にしか通ったことのない彼にとっては、特に縁もゆかりもない。どうして自分に?と不審に感じつつ話を聞くと、今度の定期演奏会で、エキストラとして、トランペットパートを手伝ってほしいとのことだった。聞けば、その大学のトランペットパートの学生たちはほとんど大学に入ってから楽器を始めた初心者ばかりで、毎回本番にはエキストラを呼んでいるとのこと。いつもは凸大の音楽専攻科の学生にお願いしているのだが、たまたま今回出れる人がいなかったこと。それで代わりに彼が紹介されたとのことだった。「なんで私の連絡先を知っているのか」と不信感丸出しで尋ねると、地元のプロオーケストラのトランペット奏者から聞いた様子。当時彼
はその方に時々レッスンをお願いしていたので、その先生つながりで電話番号を聞いたらしい。彼は電話口の学生に、「私は音大に通ったこともないし、ましてオーケストラの経験もほとんどない。だから大事な定期演奏会でエキストラの役をちゃんとお引受けできる自信がありません」と正直に話した。事実、彼にとっての唯一オケ経験と言えるものは小学校時代、しかもその時は打楽器とホルン担当だった。 何の曲をやるのか尋ねると、チャイコフスキーの組曲「白鳥の湖」、交響曲第六番「悲愴」! 一曲目のシベリウス「フィンランディア」は音が低いし、トランペット目立たないので自分たちだけで頑張ります(?)と。ただでさえきついチャイコフスキー二連発は、オケ初心者の彼には荷が重すぎる上、二曲とも一番を担当してほしい、しかも白鳥の湖では大きなソロもありますと.…。断りたかったものの、もう他にお願いできる人がいないと言われてしまい、本番前の練習にできるだけ混ぜてもらうことを条件に、彼はエキストラの仕事をお引き受けしたのだった。
 それから数か月、仕事帰りに時々大学に通い、久しぶりの学生気分を味わいつつ練習に参加させて頂いた。まったくオーケストラ初心者だった彼は、合奏の初めのチューニングの時、弦楽器と管楽器が時間差でオーボエのA音に合わせることすら知らず、弦と一緒に音を出してしまい、早々とやらかしてしまった。吹奏楽とは違い、パート譜を移調読みするのも初めてであり、ミスを防ぐため、彼は恥ずかしげもなく全部の音符に階名を鉛筆で書きまくったのであった。後から知ったのだが、この学生オケの定演でエキストラに呼ばれているのは地元プロオケ奏者や音大レベルの経験者ばかりで、彼らはパート指導の役割も期待されていたのだった。彼を呼んだ学生達はさぞかし期待外れだったのではないだろうか。もっとも彼は学生たちより一回り年上だったのに、童顔のためか「○○さんは学生の中にいても全然違和感ありませんよ」と言われていた(嫌味?)ので、指導などできず、最初から最後までパートの一員として学生気分を満喫させてもらったのだった。
 定期演奏会当日、なんとか本番も終わりに差し掛かり、アンコール曲は弦楽合奏だったので管楽器奏者は曲に合わせてペンライト(のようなもの)を手で振ってステージを盛り上げていた。彼は学生たちと一緒に手を振りながら、いつかまたオーケストラやるぞ、と心に決めたのだった。
 しばらくしてから、その演奏会のDVDを頂いた。彼が一生懸命吹いた白鳥の湖のソロの間、カメラは彼以外の全然関係ないパートをずっと追っていた。しがらみを感じたけれど、ちゃんとギャラももらったし、まあ仕方ないなと。それから十五年以上経過し、その間にはいろいろなことがあった。それでも、今年の春から、ようやく近隣のアマチュアオーケストラに参加するようになって、やっぱりオケはいいなあ、と。これから何曲経験できるかわからないし、いつまで楽器を吹けるかもわからない。だから彼にとっては、毎回の合奏がとても貴重なひと時になっている。欲を言えば、できれば、もう少し人が増えて欲しい。いつかこのオケでチャイコフスキーできるかな?
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?