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ボランティア活動の意義~ワールドシップオーケストラで感じたこと

わたしが参加しているワールドシップオーケストラ(以下WSO)が、フィリピンの子供たちのためのクラウドファンディングをしています。なぜ、なにを、フィリピンの子供たちを支援したいのか。私のWSOでの経験を通じて共感していただければ、是非ご支援いただきたいです。もちろん、私も少しばかりですが支援しています。

https://readyfor.jp/projects/music-for-children

長いですが、最後まで読んでもらえるととってもとっても嬉しいです。
(昨夏から温めていた文章を基に書いているので、変な文脈だったらすみません)

目次
・なぜワールドシップに参加するか
・いままでのプロジェクト
  ~2016夏タイ、2017夏インドネシア
・2018夏フィリピンプロジェクト
・アジア最大級のスラム街トンドのこと
・トンドで出会った青年ディーンのこと
・トンドの子供たちの未来について
・ボランティア活動をすること
  ~ボランティア=施しじゃない
・ワールドシップに参加すること

・なぜワールドシップに参加するか
2016夏タイ、2017夏インドネシア、2018夏フィリピンと3回のプロジェクトに参加してきました。
社会人のみじか~い夏休みをなんやかんやと今まで毎年ワールドシップ(以下WSO)に捧げてきました。笑

なぜか。

2018夏のプロジェクトで、その答えが少しだけ見つかったような気がしたので、いままでのプロジェクトについてあまり投稿していなかったけれど、今回はそれをシェアするべく筆を執りました。(筆じゃなくて、指なんですけどね)(ここ笑うところですよ)

・いままでのプロジェクト
さて。
WSOに初めて参加したのは2016夏タイ。
大学時代に後輩が参加していて楽しそうだったので入社したばかりなのに1週間休みを取って参加しました。
意外かもしれませんが、私は人見知りをこじらせていて、知り合いがほぼいない中で参加したのは結構不安でした。
けど、タイメンバーは楽しいヤツらばっかりですぐ仲良くなれたし、タイという国も現地スタッフは面白いしご飯は美味しいし酒も旨くて最高でした。笑
数え切れない子供たちのキラキラした顔、有り得ない程の大歓声、建ち並ぶ美しいビル群のすぐ裏に広がるスラム街、魂が絞り出されるんじゃないかっていう位の熱の籠もった音楽、、、毎日が刺激的で、また来たいと思わざるを得ない経験でした。

そして、2017夏インドネシアプロジェクトに参加。
インドネシアプロジェクトでは「自分に何ができるか」をずっと考えていました。
WSOの中で音楽的にプロジェクト的に自分にできる役割は何か。
WSOが現地の子供たちのために出来ることは何か。
インドネシアでは、音楽で誰かの人生を変えられることもある、と少しだけ実感できる経験がありました。
そのへんのことは、昨年WSOの参加者の声で書かせていただきましたので、こちらも読んでいただければ泣きますm(__)m
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=801999466673417&id=300537720152930

昨年までに、WSOに2回参加して、どちらもとても充実したプロジェクトでしたが、私には心残りがありました。

それは、フィリピンに行っていないことでした。

・2018夏フィリピンプロジェクト
フィリピンは、子供たちの反応がとても良いとか、アジア最大のスラム街で楽器を弾く子供たちと出会えるとか、マニラのプロオケと共演できるとか、過去に参加した人から色々話を聞いていて、なんとなく憧れがありました。

なので、2018年は部署移動したばかりだったけど、休みをねじ込んで行きました。笑

今までのプロジェクトでは、国内練習や現地到着までの期間に、自分の楽器をまだ持ってなかったり、社畜だったりで、納得がいくような音楽が出来る体制を作れていなかったので、そういう意味でリベンジしたかったという理由もありました。

そして迎えた2018夏フィリピンプロジェクト。

なんと、出発日に台風が直撃…
9/4の夜に関空から飛ぶ予定が、9/3時点でヤバそうな台風が直撃の予報で交通機関も運休予定が続々、LCCなのでキャンセルの連絡も直前までこなさそうだし、まず関空までたどり着けないのでは……
と、9/3は仕事も手に着かず、意を決して、新しく福岡から夜飛ぶ便を新しく取って、新幹線が止まる前に朝7時半に家を出てギリギリで福岡入り。
福岡空港で飛行機を待つ頃には、関空水没のニュースが流れていました(*_*;
何もせず関空に行っていたら、確実に閉じ込められていました。

あの時の私は「絶対に現地で音楽するんだ!!!」というめちゃくちゃ強い気持ちがあって、それに突き動かされてほんとに意地でフィリピンに行くことが出来ました。

現地に着いてから、台風の影響で遅れてきたメンバーや、結局来れなくなってしまったメンバーがいることを知って、自分が無事来れたこと、今ココで音楽出来ていることが、めっちゃ奇跡的なんだなと、ブワッとなにかがこみ上げてきて、このプロジェクトを絶対成功させねば、と一人決意を新たにしていました。

・アジア最大級のスラム街トンドのこと
・トンドで出会った青年ディーンのこと
フィリピンにはアジア最大級のスラム街・トンド地区があります。そこでは、恵まれない子供たちがトンドチェンバーオーケストラ(以下TCO)として楽器を練習しています。将来、音楽家として生きていくために。これはエルシステマという活動理念に基づいているのですが、詳しくはクラウドファンディングのページにて…

私達もTCOの子供たちと一緒に練習・演奏をしました。

そこでコントラバスの青年、ディーン君に出会いました。めっちゃ普通の(イケてる)学生っぽい彼は、コントラバスを初めて数ヶ月。キレイとはいえない楽器、ほとんど毛がない弓、いつ換えたのかわからない弦、湿度の高い屋外バスケットコートでの練習……そんな状況でも一生懸命弾く彼の姿に心打たれました。合奏で隣で弾いたり、パート練習をしたり…… たった数日だったけど、みるみる吸収していく彼を見るのが嬉しくてとても幸せな時間でした。

何か向かうモノがあって、それに向かって一生懸命努力をするって、実はなかなか出来る経験じゃなくて、そんな経験を私たちは音楽を通じてさせてもらっている。それをTCOの子供たちに少しでも伝えられていたらいいな、と思いました。

・トンド子供たちの未来について
今回、トンドの子供たちの家庭訪問もさせてもらいました。
トンドは、観光でふらっと行けるところではないので、現地スタッフについて集団で。

そこに広がっていたのは驚くほど普通の日常でした。

綺麗とは言えないけれど、カラフルな家々。屋台やクリーニング店、ゲーセンやネカフェなど様々な商店。バイクや自転車。笑顔で遊ぶ子供たち。
もっとどんよりしたところを想像していたので、正直、逆の意味でショックでした。

ですが、トンドの中でも最貧困地区である「ハッピーランド」に足を踏み入れた瞬間から空気が変わりました。
信号もない幹線道路を大量に走るトラックの間をすり抜けて渡った先にあった、ハッピーランド。
まず街並みが一変しました。先ほどまではコンクリートや木造の頑丈そうな家だったのが、廃材やトタン板の壁、シートのようなもので覆われた屋根、言ってしまえば「ゴミ」で出来た家に。コンクリートや砂地だった道は、ゴミが踏み固められたような湿った道に。

そして案内されたのはTCOの青年の家。彼の家ではゴミの分別をして生計を立てているとのことで、家の前には大量のゴミ袋が積まれてありました。入口らしきところからさらに屈んで奥に進んだ1室が家族で住む家だそう。私は時間の都合で中までは見れませんでしたが、そこが家だと認識するのは正直少し難しかったです。

別の女の子の家も見せてもらったけど、2人とも悲壮感があるわけでは決してなくて、「ここが自分のうちだよ!みてみて!」という感じ。女の子の方の家は中を見せてもらって、とても狭い2階立て長屋のような感じだったけど、好きな韓流アイドルや日本のアニメのポスターが貼ってあったり、かわいい子猫を飼っていたり、少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに見せてくれた。

トンドに住む彼らにとっては、そこで生まれそこで生活することは当たり前で、その中では彼らなりに幸せに暮らしている。
だけど、その街の外から出て暮らすこと、やりたいことや夢を持つこと、そんなことは出来ない。というか、そういう選択肢があることを彼らは知らない。
彼らには彼らの仕事、ゴミを拾って分別したり、廃棄の食料品を加工して売り直したり、にんにくの皮を剥いて出荷したり……があって、それを見て多くの人がそれを当たり前の日常、自分の進む道だと思っている。
そんな分厚い分厚い経済的・精神的な城壁の中で、彼らは彼らなりに幸せに生きている。

本当に、ショックでした。

でも、日本に住む私たちも同じように自分たちのことを分厚い城壁に囲わせているのでは、と感じました。
義務教育の中学が終わったら、高校に進学して、大学受験をして、就活をして、正社員で働いて、結婚して、出産して、定年退職をしたら退職金と年金をもらって慎ましやかに寿命を全うする。そんな「当たり前」に囚われていないか?「当たり前」から外れる人のことを咎めたり排除したりしていないか?
個々人の自由選択が奪われているという意味において、それはトンドの子供たちと同じなのかもしれません。

だからこそ、その壁を破りたい。
夢を見るって、すごいんだぞ。
ってことを、子供たちに教えてあげたい。

そんな意義が、この活動にはあります。

・ボランティア活動をすること
私にとってワールドシップが人生で初めてちゃんと参加したボランティア活動でした。その後、西日本豪雨の被災地ボランティアに参加したり、大学時代のゼミの同期のボランティア研究を思い出したりしてみました。

ボランティア=施し、だと私は勘違いをしていました。
でもボランティアってきっと、する側・される側に上下なんてないんです。
助け合いって言うと大げさだから、おすそ分け、とか実はそんなレベルなんじゃないかと。
「やってるんだから喜べ」じゃなくて、「よかったらどうぞ」の精神。

だから、私はワールドシップで音楽をするとき、真っ先に自分が楽しむようにしています。もちろんただただ海外旅行気分で楽しむのではなく、音楽的にガチで楽しんでます。
その向こうにいる現地の子供たちに本気を届けたい。楽しんでもらいたい。
1000人の子供たちに対して本気でやって、たった1人の人生になにか良い影響を与えられたとしたら、それはそれはとてつもなく素晴らしいことじゃないでしょうか。

最近、サンジャポで爆笑問題の太田光氏が「どん底で全ての感情を失っていた俺はピカソの絵に救われた」と言っていたそうです。芸術ってまさにそうだと思うんです。
闇の中にいても、キラリと光るものがなにか一つ見つけられたなら、人はそこから這い上がることができるんです。
きっと人によって光るものは違う。絵かもしれないし、人かもしれない。誰かの光るものが音楽だったらいいな……そんな気持ちで私は東南アジアに出かけています。だから、全員に届かなくてもいいんです。人生変えれなくてもいいんです。「よかったらどうぞ」でいいんです。

これが私にとってのボランティアの形だと思います。

・ワールドシップに参加すること
今年の夏、私はもう一度フィリピンに行くことに決めました。

トンドの子供たちがとても印象的だったから。そして、昨夏出会ったコントラバスの青年にもう二度と会えないんじゃないか、ととても不安だったから。

決して幼くはない彼が、コントラバスを続けていけるのだろうか。
一度「やりたい!」と思ったことを手放すのはとてつもなく苦しいことです。
コントラバスを好きになってくれた奏者が、1人減ってしまうのを私は見たくありません。
家庭の事情でTCOを去る子は決して少なくないのです。

そして、このTCO自体も金銭的に存続の危機に直面しています。
こういう活動は一度やって、ハイ終わり、とはいきません。
根気強くやってこそ初めて成果がある。

だから私はまたフィリピンに弓を担いで行ってきます。

子供たちに夢を見続けさせてあげるため、夢を叶える場所を奪わないため、ぜひご支援をいただけませんか?

「よかったらどうぞ」のお気持ちで。

https://readyfor.jp/projects/music-for-children

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