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音楽の原理2 :言葉、音楽、音の関係

これは、先の投稿「音楽の原理」の続編である。

そこで書いた通り、音は物理的には空気の振動である。その微細な振動を知覚出来るのは、人間が耳という器官を持っているからに他ならない。
音波は鼓膜で知覚され、音として認識される。その中でも、一定の条件が整った時、音は音楽になり、言葉になる。
では、その条件とはなにか?そして、音と音楽、言葉にはどのような関係にあるのか?

音波の種類と表象の強度

音波と表象の関係性

上図は、その問いに対する仮説を示している。
音は単なる空気の振動に過ぎないが、人間は認識の過程で、そこから得られる表象の強度により、言葉、音楽、雑音などに分類しているのではないか。

表象とは、現在の瞬間に知覚してはいない事物や現象について、心に描く像のことである。そして、表象の強度とは、ここで新たに定義する概念であり、ある事物が表象を想起させる力の強さとして、ある音が「現在の瞬間に知覚していない事物や現象について、心に描く像」を強く想起させる場合、表象の力が強いといい、逆に「現在の瞬間に知覚している事物や現象」しか想起させない場合、表象の力が弱いとする。

グラフでは、横軸に音が想起させる表象の強弱をとり、明確な表象が想起される音を右側に、表象が想起されずらい音を左側に配置した。そして、そもそも人間が感知すらできない周波数の音波を、超音波もしくは超低周波、として最左に置いた。
また、図のグラデーションは、音、音楽、言葉といった音波の分類に明確な境界はなく、連続的に繋がっていることを示している。

通常、言葉、音楽、雑音は、異なるカテゴリーに属するものとされており、別々に扱われている。言語は会話で用いられるものであり、音楽は音楽家により創作される作品であり、雑音は事物から物理的に発生するものであるとされる。

しかし、「表象の強度に従って分類される空気の振動(音波)」、と捉え直すことで、異なるカテゴリーに属すると考えられているこれらを同一平面で考え直すことができる。

言葉

いうまでもなく、音の中で、最も強く表象を想起させる音は、「言葉」である。
例えば、「sakura」という音が発声され、日本語を理解できる人が感知した場合、「桜」の木や「桜」の花を想起されるだろう。言葉により、意味をより明確に伝える事が可能となり、抽象的なメッセージも伝える事ができる。

声色

言葉の次に、強い表象を想起させる音として、「声色」を配置した。
同じ言葉でも、それが発声される声色により、想起される表象は違ってくる。
例えば、「sakura」が大声で叫ばれた場合と、小声で呟かれた場合はどうだろう。もちろん、その二つの音は別のものを表象する。「桜」を指すことは同じで
あっても、大声で叫ばれた「桜」は驚き感情や多くの人に桜の存在を伝えようとする意志を表象しているかもしれない。一方、小声で呟かれた「桜」は、桜にまつわる記憶を呼び起こして、思わず発生してしまった独り言かもしれない。
また、優れた俳優であれば、一つのセリフを何通りにも声色を変えて演じ、様々な表象を伝えることが出来る。

発声による表象は、言葉ほど明確なものではなく、文字通り「ニュアンス」(言葉などの微妙な意味合い)の差しかない。その意味で表象の強度は言葉より弱い、と想定される。

声色よりさらに抽象的な表象を想起させる音として「音楽」がある。
音楽は、言葉ほど明確な意味を受け取れないものの、メロディやリズム、調性などの規則性を音に付与する事で、何らかの表象が与えられている。
様々な音楽が、巷に溢れている通り、音楽は様々な表象を与えることができる。
また、図では、より強い表象の力を持っている言葉を用いる音楽「歌」と、言葉を用いない「器楽」を分類した。
歌は、言葉を使うため、器楽と比べて表象の強度は強い。
例えば、同じ「SA-KU-RA」という音でも、それが発せられる音の旋律やリズム、重ねられる和音により意味は変化する。
高音から低音に移行する旋律なら、暗く印象を低音から高音へ移行する旋律なら明るい印象を与えるし、それが発せられるリズムによっても異なる印象を与える。

器楽

器楽は、歌を伴わない音楽である。
器楽は、歌と比較して、言葉がないため抽象性が高く、歌ほどの明確な意味は認識できない。
ただし、「歌」同様に、「器楽」もメロディやリズム、調性により、様々な表象を表現出来る。

環境音・雑音(ノイズ)

人は、他人に何らかの表象を伝えるために言葉や音楽を利用する。一方、表象が得られない音波を、単に音という。
表象とは、「現在の瞬間に知覚していない事物や現象について、心に描く像」である。音は「現在の瞬間に知覚している事物や現象」しか心に描かない音波であるため、表象の力は音楽よりも弱いとする。

雨の音、風の音、鳥や動物、虫の鳴き声、人の足音などの音波は、「現在の瞬間に知覚している事物や現象」だけを知覚させ、それ以上の表象を想起させない。

また、音のうち、不快にならない音を環境音と不快をら感じる音を雑音とに分類した。
音が雑音になるか否かは、音を聞いた主体の捉え方による為、その境界は曖昧である。
小さな雨の音であれば、不快に感じることがなくても、鉄板に叩きつける大音量の雨音なら不快に感じるかもしれない。
あるいは、隣人が大音量で流した聴きたくない音楽なら、表象を想起することなく騒音になることもあるだろう。

超音波、超低周波

聞き取ることが出来る音波は生物により異なる。
人の可聴域は、20Hz-20,000Hzであるが、犬は65Hz-50,000Hz、猫は60Hz-100,000Hz、イルカは150Hz-150,000Hz、と言わている。
人の可聴域からはずれる周波数の音波を、超音波もしくは超低周波という。周波数が高く可聴域から外れる音波を超音波、低く可聴域から外れる音波を超低周波という。

グラフでは、知覚すらできないという意味で、表象の力が弱い雑音の外側に、それら二つの音波を位置付けた。

グラデーション

グラフのグラデーションは、それぞれの音波の種類には、明確な境界がないことを示している。
言葉は、明確な表象を与えるものの、声音によりその表象も変化する。

また、朗読される詩など、声がある規則性を持って、話された場合、歌に近くなるだろう。

歌でも、理解できない外国語の歌詞の場合、言葉による表象の力は弱まり、声は器楽に近い効果になる。

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