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【1月10日ワールドミッションレポート:🇪🇬エジプト「最悪のゴミの街、福音によって変えられる(5)」】

アブーナ・サマーンが奉仕する教会は、力強い神の導きのもと拡大し続けた。

1990年、最初の洞窟が3,000人を収容する講堂に改築され、働きは軌道に乗った。この教会では、エジプトのすべてのキリスト教の教派が歓迎された。岩を削り出された美しい教会と彼らの奉仕の場は拡大し続け、平和なオアシスには、現在6つの洞窟教会と25,000人を収容する大聖堂がある。近くには特別支援センターと11階建の最新鋭の病院がある。
さらには、そこからおよそ130km東の、カイロとアレキサンドリアを結ぶ砂漠の道であるワディ・アル・ナトルーンに、アブーナ・サマーンは千人を収容できるカンファレンスセンターを設立したのだ。

カイロのタハリール広場にあるカスル・エル・ドバラ福音教会の牧師で、サマーンの親友のサメ・モーリスは「彼は本当に信仰の英雄と呼べる人です。何千、何万もの人々をキリストのために獲得するため、彼はゴミ収集人たちの中で生活し、彼らの一人として奉仕して、己の人生を放棄したのです」と述べた。

ローザンヌ運動のダグ・バーズオール氏こう言った。「私が初めてゴミの村を訪れたとき、その光景と鼻をつく悪臭に苦しめられ、卒倒するかと思いました。しかし、彼に会ったとき、私はさらに驚かされたのです。私の目に入ってきたものは、圧倒的な愛と憐れみ、そしてイエスの香りでした。私はその場を決して立ち去りたくない思いに駆られたほどです」


しかし、その歩みには決して小さくない代償を伴なった。それは彼が広範なミニストリーを展開する上で遭遇した多くの財政危機、物的危機、法的な困難よりもはるかに大きなものであった。アブーナ・サマーンが多くの人に知られ愛されるようになった後、彼はコプト教団の一部の指導者たちから「あまりにもプロテスタント的だ!」と非難を受け反対されるようになった。こうした非難は、彼と彼の群れを大いに落胆させたのである。

しかし彼の葬儀では、コプト正教会は彼の功績を大いに称えたのだ。ユアニス司教は目に涙を浮かべながら、神に賛美と栄光を返し、アブーナ・サマーンの働きに感謝と哀悼を捧げて弔辞を述べ、参列の人々を驚かせた。

ユニアス司教は「この歴史的な規模の集まりが、この世を去るあなたへの見送りだとしたなら、天国に迎えられるあなたの歓迎は、どれほど一層大きな歓待となったことでしょう 」と述べたのである。


当初「ゴミの街」での奉仕に恐れさえ抱いた一人の植字工に過ぎなかった若者が、自分の召しに従い、献身の決意に立ち上がる時、世界中に轟くような大きな働きとなって実を結んだ。

神が全地をあまねく見渡して探しておられるのは、福音の前に自分を完全に放棄して、ことごとく屈服した「たった一人」なのではないだろうか。


願わくば、主なる神が、中東の代表的なイスラム国の一つであるエジプトで、第二、第三のアブーナ・サマーンをお見つけになられるように。エジプトの福音化のために祈っていただきたい。

(イスラム86.7%, コプト教会11.6%, プロテスタント0.9%, カトリック0.4%, その他)

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