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【ショートショート】じゃすと(2)(933文字)

あの子、大丈夫かしら。。。
普段、児童には「廊下を走らないで!」と口酸っぱく言っている洋子が、小走りに廊下を急いだ。

あの曲が、朝から、耳の中をぐるぐる駆け巡っている。
これ、「イヤーワーム」、あるいは、「ディラン効果」と言うそうな。
「イヤーワーム」、英語では、「ear worm」。細長い虫の意味である。

単調なリズムがリフレインされる。前向きな考えをしているときに何気なく起こる現象である。なんと、約9割の人が週に1度ほど経験しているそうな。ぼーっとしている時や単調な作業をしている時、あるいはストレスを感じている時にも起こるという。

I've Just Seen A Face


じゃすと・スィーナ・フェイス
とても速いテンポである。夢中で英語を勉強していた学生時代、歌詞カード片手に、練習していた曲だ。学園祭で、どうしても歌わなければならず、かなりのストレスを感じながら、練習を繰り返した。

じゃすと・スィーナ・フェイス
笠寺先生が、小学三年生の男子児童を連れてきたときも、児童のベルトを緩め、顔の汗を拭きとっていた時も、ずっとこの曲が流れていた。新任の洋子には、こうした突発事故での手当ても、まだストレスの元であった。更に、月曜日の朝は、朝礼が行われている間に、教頭と憂鬱な打ち合わせがある。

じゃすと・スィーナ・フェイス
「じゃすと 9時になったら戻っていいよ。」
私は、児童にそう言い残して、部屋を出て行った。
児童は、少し眠っていたようだ。

じゃすと・スィーナ・フェイス
児童の怪訝な表情は、寝ぼけているからだと、その時は、思った。
しかし、教頭と話しているうちに、その表情がもっと確かなものを求めている強い眼差しと共にループし始めた。もちろん、BGMは、あの曲である。
洋子は考える。
「じゃすと 9時になったら戻っていいよ。」
そうか、小学三年生。

じゃすと・スィーナ・フェイス
保健室の10メートルほど手前で、洋子は、立ち止まった。
児童が、引き戸を僅かに開けて、左右を用心深く伺うと、するりと抜け出した瞬間を、洋子は見た。
一切振り返ることは、無かった。
一目散に廊下を、駆け抜けた。
一度も立ち止まることなく、階段を駆け上って行った。

洋子は、踵を返し、教頭との打ち合わせに戻った。
まだ、あの曲が流れていた。


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