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「青山誠と学ぶ保育基礎講座ほいくきほんのき」に寄せて その7〜「対話っぽい」のやめませんか?

「青山誠と学ぶ保育基礎講座〜保育の読む、書く、見る、対話する」に寄せて。
今回は、対話っぽいのやめませんか?というお話。

政治の動向や、保育界の流行りなんかもあり、いま子どもとの対話に注目が集まっています。
でも正直いって、対話っぽいけど対話にはなってないものも散見されます。

対話ってほんらい、痛快であったり、苦々しかったりします。
それは自分がずらされるから。

子どもという他者と対話するならば、そこで自分がいままで思っていた価値観や、感じかたをずらされることがあります。
いつもいつもじゃないけれど、そういうことがたまに起こることが、少なくとも起こる可能性を含んでいることが対話の要件といってもいいでしょう。

ずらされるって、痛快な時もあり、ちょっと苦い味のするときもあります。
自分の「これまで」を覆されるから。

前回のお話で、「先生」のまま対話はむずかしいかも…ということをお伝えしました。
対話っぽいものの典型は、大人の側が伝えたいことを問いの形式で子どもたちに投げかける、というもの。

たとえば、おとなが
・ちゃんと座ってご飯を食べて欲しい
・ちゃんと話を聞いて欲しい
・ちゃんと片付けをして欲しい

という内容を、対話っぽくして投げかけるときに、
・ねえねえ、ご飯って立って食べていいのかな?どう思う?
・あのさ、話って聞いた方がいい?聞かない方がいい?
・片付けしない人っていい子かな?
とか子どもに投げかける。

そうすると子どもは
・立って食べちゃいけないんだよ
・聞いた方がいいよ、だって大事なお話してるから
・いい子じゃないよ、ぼくはちゃんとやってる、いっつも
とか答えるわけです。もう、答えるほかないわけです。

こういう対話っぽいもの、やめませんか。
おとながなにか伝えたければそのまま伝えればいいのです。
・ご飯は立って食べないで
・話をきいてほしい
・片付けして
上記の「内容」に私は必ずしも同意しませんが(いや、言い方かな…)、対話っぽく言うよりはよっぽどすっきりしていませんか。
対話っぽくして、子どもに「言わせる」よりも、おとなが伝えたいことはちゃんと自分で言いたいことを引き受けて、伝えればいいのです。

そうしないと、対話っぽいものをくりかえすうちに、子どもたちは「いい子ちゃん発言」しかしなくなり、自分で感じたり、考えたりすることをやめてしまいます。

このあたりも基礎講座で最初にふまえておきたいことのひとつ。
より詳しく事例で学びたい方は、ミーティング勉強会へ。

ミーティングがどんなものか、ざっと知りたい方はnoteで公開しているマガジンをお読みください。

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