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地域ってなんだろう、わたしたちは確実に貧しくなっている予感

今日も元気に区の保育課から「事実確認」の電話が入る。
うちの園の子達がふれあい緑地で遊んでいたところ、たまたまいあわせた親子連れの方からの電話があり、その内容について園に確かめたい、と。
・上半身裸で遊んでいた
・道路に飛び出しそうで怖かった
園からは、そこにいた保育者に確認のうえ、以下(主任が)区に答えた。

→1人の子が服を脱いだのをきっかけに確かに5人くらいの子が裸になった。職員は服を着るように声かけをして関わっていた。実際その間は短く、みんな服を着て帰って来た。
→入り口入ってすぐの車止めがいつも集まる目印になっているので今日もそこで点呼した。外に出ないようにしっかり職員数名で見ている。
(もう少し中で集まるようにすれば、公園に入る人の邪魔にもならないし、道路へ出ちゃうかもの危険も少し減る?かもだから少し中でやってみようかと話した)
→区の担当者さんから、車が突っ込んでくることもあるのでと、言われたので、「それを言ってたらキリがないですよね」と返しちゃいました。あちらも「そうなんですけどね、、」と。

まあまあ、これはこれとして、なんでわざわざ区の保育課に電話するんだろう。隣り合わせてなにかご迷惑の場合はちゃんとあやまる、でも自分たちではコミュニケーションしてこない。「通報」しているつもりなんだろうか。

まあまあ、これはこれとして。
夕方、園にいると、迎えにきたお父さんから「園の外で、おじいちゃんとおばあちゃんが「園の人呼んできて」と言ってる」とのこと。外へ出る。昼間のこともあり、やれやれまた苦情かな、とめんどくさいからオレ(園長)対応するわ、と思って外へ。

そこにいたのは、買い物用のカートをもったおじいちゃん、それにおじいちゃんにつかまってようやく立っているおばあちゃん。

おじいちゃんに話を聞くと、おばあちゃんがひとりで買い物用カートを押していて、夜道だし危ないし、ちょっといっしょに付き添ってほしい、とのこと。おじいちゃんとおばあちゃんは見知らぬ人同士のよう。

それで一緒に歩いていく。買い物カートをおれが転がし、おばあちゃんの右手をにぎる。おじいちゃんは、おばあちゃんの左手を。そんなふうに両側からおばあちゃんを支えながらゆっくり歩いていく。園の前の道路を渡る。かなりゆっくりなので、どんどん車はくるが、なんとか渡る。

「あたしはね、95なのよ、すごいでしょ」と渡りきったところでおばあちゃん。
「すごいね、おばあちゃん、どこいってたの」とおじいちゃん。
「・・・・」おばあちゃんはなにも答えない。
「すみませんねぇ、こうの整形外科の裏だから、あー、神様仏様、こんな親切な若い人をつかわせてくださって」とおばあちゃん。

こうの整形外科は園から見えるくらいの近さ。そこまでゆっくり歩いていく。途中の道路もなんとか渡る。
「いつもここ渡ってるの、おばあちゃん、たいへんだね」とおじいちゃん。
「・・・・」おばあちゃんはなにも答えない。
「あたしはね、三茶のところまでね、電車に乗って水泳いってたのよ、ちょっと前はね」とおばあちゃん。

そんなふうに歩いていく。こうの整形外科の前の坂をのぼり、裏へ回る。このあたりかな、と歩いていくけど、
「そこを右ね、そこすぐ左、ここの道がねぇ、けっこうあるのよね」とおばあちゃん。
ずっとずっと歩いていく。おじいちゃんがときどき、「おばあちゃん、どこなの?おうちは」と聞くけどどんどん無言で歩いていく。

そんなふうにして、もうとっぷりと暮れた道を三人で歩いていく。結局、かなり経堂のほうへ歩いたほうにおばあちゃんの家はあった。一人で暮らしていることや、お茶を飲んでいきなさいね、今度は、などなどおばあちゃんとひとしきりおしゃべりして、別れる。

さて園に戻ろうと思ったら、今度はおじいちゃんが「これであなたともご縁ができました、うちは正光院さんのところだからちょっと寄っていって」とのこと。それで今度は夜道を二人で歩いていく。

「若く見えてもね、もう85なんですよ」とおじいちゃん。
「うちの父も同じ歳ですねぇ、お仕事はなにされていたんですか」
「電気の仕事をね、いまはやめちゃったんですが、世田谷の国道の、ほら交番のところでね、いまは息子がやっております」
「そうですか、うちはふとん屋で、もともと母が下馬の生まれでそこでふとん屋をやってまして」
こんな感じでいろいろ話しながら、おじいちゃんの家へ。ご挨拶して別れる。

近所で起こった2つのこと。
比べられることじゃないのかもしれないけれど、なんだか俺たちの世代はずいぶん貧しくなっている予感がした。
世代でくくっちゃいけないのかもしれないけど。先回りして言うと。

貧しさの正体はまだ見えない、でもひしひしと私たちをとりかこみ、すきあれば心に忍び込んでこようとする。それは貧しさに応答することそのものがまたべつの貧しさを増幅していくような類の貧しさに思える。
夜道で95歳の右手は確かにあたたかかったし、そのあたたかさは少しの間、私の左手に残っていた。

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