「欲望の見つけ方」ルーク・バージス著 を読んで、上手に欲しいものを欲しいと思う自由を手にする方法を考えた。

こんにちわ。
今日も気持ちの良い秋晴れです。

さて、時々感じることですが、
ずっと欲しいと思っていたものを手に入れた瞬間冷めてしまうことはないでしょうか。

昔、ある芸能人が念願の高級車を手に入れたけれども、
「俺はこんなものが欲しくて頑張ったんじゃない」と、
酔ってバットで車をボコボコにした、
というエピソードを聞いたことがあります。

私は自分が物欲が強い方だと感じていて、
買い物も好きです。
でも時々、買った途端、あんなに欲しがっていたに、、、、と
燃え上がった物欲が急速に冷めていくのを感じます。
あんなに欲しかったのに!
お金を払ってこんなこと感じたくないのに、感じてしまう。
こんな不条理を解決したくてこの本を読みました。

  • 本当に欲しいものを欲しがるにはどうしたら良いのか。

  • 簡単に手に入るものが減ったり(例えば庭付き新築一戸建てとか)、欲しくても手に入らない(例えば100億円とか)経験が増えてきてるけれど、これは人生に失敗したということか。

  • どうしたら自分が幸せになる欲しいものを見つけることができるのか。


まず、この本では「欲望の模倣」という行動がいちばんの鍵になります。
これはフランス人のルネ・ジラールが発表した模倣理論に出てくる言葉です。

他人の欲望するものを模倣する「欲望の模倣」とは、例えば次のようなケースが挙げられています。

  • 同級生が卒業後、高収入の仕事に就き、それを見て自分も収入を上げたいと思う。

  • 会社の同僚が家を買ったので、自分も欲しくなる。

  • facebookで、知り合いが旅行して楽しそうにしている投稿を見て、自分も3年前に登った山頂からの眺めの良い写真を使って、今日登ったかのように投稿した。

”同級生の欲望を模倣する私”の図

私と欲しいものの間に第三者の誰かがいて、その誰かが欲しがる、だから自分も欲しがる、という三角関係があるという指摘です。
著者は、そういう欲望の媒介者なしに直接何かを欲しがるのは、喉が渇いたから水が飲みたい、とか眠いから寝たい、のようなケースであると指摘しています。
社会的に良いポジションや、お金に関する欲望は、ほぼ必ずと言って良いほど第三者が存在し、私たちはその人物の欲望を模倣します。

もちろん、本当に収入を上げることが優先順位が高いのであれば問題ないですし、本当に家が必要で買ったのであれば問題ないのですが、
もしも、他人が手に入れているから、という理由で欲望したのであれば、満足を得られないのです。
本書では、欲望の模倣についてこう説明されています。

  • 人は誰かの欲望を模倣(まね)するもの。

  • 何かを欲望するとき、必ずモデルがいる。そのモデルを模倣することで欲しくなる。モデルなしで欲望することはできない。

  • 欲望は、モデルとなる他人と自分との間の空間に生まれる。

では、なぜこの欲望の模倣がよくないかといえば、
著者は次のように指摘します。

  • 思考停止し、反射的に他人の欲しがっているものを欲しがるようになる。すると、本当に欲しいものを欲することができなくなるから。

  • 時には手に入らないものまで求めてしまうから。

  • 情熱と失望の繰り返しに閉じ込められてしまうから。

  • 自分が模倣できる他人は、大抵近くにいるので、狭いムラ社会で相手より多くを得る競争が発生する。この競争は終わりがないし、勝っても誰も満たされることがないから。

狭い空間での競争は、不毛です。
職場で、誰々が〇〇のブランドの時計をしているから、自分も同じ高級品路線で、別のブランドの服や時計を買いたくなる、みたいなものです。高級品を身につけることで立派なビジネスマンと見られたい、という欲望を模倣していると言えます。
本当にそれが欲しいのであれば、時計を買った時点で完結し、満足するでしょう。
もし欲望を叶えても、むなしさを感じてしまったら、
本書に書いてある方法で欲望を見つめ直した方が良いと思います。

では、どうしたらこの欲望の模倣をコントロールすることができるでしょうか。
上手に欲しいものを欲しがる能力を身につける方法を見ていきます。
私の理解できた範囲ですが、お役に立てたら嬉しいです。

ポイントは下記です。

  1. 自分を支配している模倣の力に気づく。

  2. 充足の物語=核となる動機づけの原動力、を見つける。

  3. 新しいモデルを見つける。

  1. 自分を支配している模倣の力に気づく。 

 初めのステップは、「自分は誰かの欲望を模倣している」という事実を自覚することです。
 と言ってもすぐに自覚するのは難しいので、いくつかポイントをあげてみたいと思います。
 AとBの二つの欲望があった時、どちらがより本当に欲望しているかを確認するために、仮にその欲望が満たされた時を想像します。そして、死ぬ時にどちらがより心静かになることができるか、考えます。
 例えば、
 A 来週の会議である部署の問題点を指摘したい。
 B 来週の会議で課題の解決策を議論してアクションを決めたい。 
 Aは問題を指摘することで自分の視点の鋭さみたいなものを誇示して評価を得たい(集団のメンバー全員の欲望)という気持ちがあるといえます。
 一方で、Bでは問題解決の具体的な1歩を決めて、協力して前進したいという、チームワークを欲望していると言えるでしょう。
 いずれもが実現できたと想像して、死ぬ時にどちらがより心静かに感じることができるかという視点で両案を比較します。
 この場合、Bがより自分にとってはしっくりくる場合、B案がより深い欲望であり、人生の充足に寄与する選択肢だといえます。

2.充足の物語=核となる動機づけの原動力、を見つける
 より本質的な欲望に忠実に行動するためには、充足の物語を見つけることが有効です。
 充足の物語の条件は次の3つを満たすものになります。
 1 行動であること(所有、何かを得ること、他人から及ぼされる影響な   どではないこと)
 2 自分でうまくやったと思っていること。
 3 充足感をもたらすこと。

 評価される、何かを手に入れるなどを動機として行動するのではなく、”毎日8000歩歩く”や、”毎日2時間勉強する”などの動詞が含まれた目標を持つということです。
 他にも例を挙げると、
 ・30日間文章を書いてブログを更新した。
 ・朝食をきちんと食べた。
 ・会社のオフィスをきれいに掃除した。
 などが挙げられます。

ここがめっちゃ大事ですが、
規模や誰かの評価ではなく、
自分が満足感を得られているかです。

私の場合は、
・英会話の練習をした
・土曜日の朝にスタバに行って本を読んだ
こうしたことに、大きな満足感を得られます。

自分の軸で満たされる時間を持てているかだと思います。

3 充足感をもたらすこと
 毎日充足した気分で過ごしたいものです。

ミシュラン3つ星を獲得したシェフの話が紹介されています。

「私はこのレストランの評価を他の組織に委ねるためにこの仕事を選んだのか。この先15年、ストレスとプレッシャーにさらされて生きていきたいか」

 欲望の模倣という、終わりのないゲームに参加して、疲れ果ててしまったのです。
「私たちは常にもっと求める社会に生きている」
このシェフは、この「もっと求める」模倣の欲望のレースから身を引くことを決め、ミシェランの編集者にリストから外すように依頼したそうです。

 この本を読んでいると、どうして人はそれほどまでに(モデルとなる)他人が望むことを真似して欲しがるのだろうか、と不思議に思いました。
 著者によれば、
 私たちは常に形而上的欲望(カッコいい、有能だ、自信がありそう)を満たすモデルを探しているようです。
 そしてSNS上にはそのようなあらゆるモデルが溢れている。だからSNSを見ると、他人と同じように「かっこいい」、「自信にあふれた」自分を投稿したくなる、らしい。

一番の疑問、どうやって理想のモデルを持つか

例として、ケネディ大統領のアポロ計画についての演説が紹介されています。
「われわれはこの10年のうちに月に行くことを選び、その他の目標を成し遂げることを選ぶ。それが簡単だからそうするのではなく、それが困難で、その目標が我々の最高水準のエネルギーと技能を組織し、それらを図るのに役立つからそうするのである」

狭いムラ意識の中で、誰が人気者になるか、どれだけムラびとの関心を集めることができるか、に集中すると、どんどん模倣の欲望が広げられ、消耗戦がエンドレスになっていきます。
それを避けるためには、
狭い枠から飛び出して、ムラの外にある理想的な世界、
欲望するに値する真実
を指し示すことができることが、必要で、
それができるのが優れたリーダーだと言っています。

では、そのような外にある欲望を持つためにはどうしたら良いのか。
それは自分との対話ということに尽きると思います。
自分が何を求めているか、感じている違和感は何か、ということを精神を集中させて考えることが一番大事なことだと思います。
著者のおすすめは、3日以上のまとまった時間をとってあらゆる情報を遮断して静かに心を見つめることです。
歩き続けることも効果的なようです。
外からの刺激をシャットアウトして、ひたすら自分と向き合う時間を持つことで、本当は自分が何を求めているかが見えてくる、そう著者はいいます。

なかなか3日という時間を取るのは難しいですが、
冬休みにでもやってみたいと思いました。

著者は最後にこう言います。
「私たちは選択を迫られている。無意識に模倣的な生活を送るか、懸命に濃い欲望を育てるか。後者の場合、きらきら光る周りの模倣的なものをつかみ損ねる可能性に悩むことになるかもしれない」
でも、それでいいと思います。
なぜなら、そういうきらきら光るものは、「私たちを行きたい場所に連れて行ってくれないから」です。

いったい真の欲望とはなんでしょうか。
ジラールは「すべての真の欲望」は「常に物質の世界を超えた何か」だと言います。
例えば、
「もし誰かがハンドバックへの欲望をもたらすモデルの影響を受けたとしたら、その人が求めているのはハンドバックではない。それによってもたらされると考える想像上の新しいあり方である。」

この例で挙げられている「ハンドバック」は、私にとっては新しい手帳、新しい服、新しい皿、etc、といろんなものに置き換えることができると感じました。

そこでふと思ったのですが、
私たちが本当に求めているのがモノの背後にある”新しいあり方”であるなら、それを手に入れる手段を意識的に選択することもできるんじゃないでしょうか。
新しい皿を手に入れたら、もっと満たされた気分になるんじゃないか、と感じていたならば、満たされた気分になる方法は、その皿を入手する以外にもあるはずです。
例えば、今ある皿を重曹でピカピカに磨いて見るとか、
そうすることで気持ちよく食事ができるように思いますし、
新しいものを買うことだけが満たされる道ではないとも言えると思います。

きっと、「自分はどういう在り方をしたいのか」ということと、
そのモノを手に入れることを分けて考えることで、
自由が広がるように思います。

レオナルド・ディカプリオさんが主演していた、「Don`t Look Up」というNetflixの映画で、最後に「私たちは既に全部持っていたんだ!(We already have all!)」と、言っていたように記憶しています(違っていたらスミマセン)。
巨大な隕石が地球に向かってくることを発見したレオ氏演じる科学者とその周りの家族や友人の話です。いろいろ策を講じても、最後にはどうしても隕石の衝突を避けられず、いよいよ隕石が地球にぶつかりみんな消滅するとなった夜(つまり人生の最後の夜)に、人はどんな行動を取るかというのがテーマの一つです。
その夜、主人公たちは何をしたか。
家族と同僚とその恋人と、自分の家のいつもの食卓を囲んで食事をしました。そして言ったのがこのセリフです。
「私たは、既に全部持っていたんだ (We already have all)」
欲しいもののために必死になって努力したり働いたり、
あったかもしれない今とは違う人生を夢見て、
束の間のロマンスを追いかけたりしたけれど、
結局、幸せを感じる場所、人との関係など、自分はすでに全部持っていたんだ、と主人公が気づくところでエンディングです。

きっと、”自分がどういう在り方をしたいのか”というのは、既に知っていて、いや、知っているだけではなく、
叶えたければいつでも叶えることができるのではないかと感じました。

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