見出し画像

自分と息子達のスポーツの道 No.2

本当にやりたいスポーツが出来なかった中学時代。でもしだいに軟式テニス(今はソフトテニスだけど当時は軟式テニスって言ってたのでご容赦ください。)にのめり込み、最後にはこのスポーツやって良かったと思えた中学時代となった。

高校に進むにあたって、2歳上の兄が通う公立高校を選んだ。兄は1年の冬にチームのエース後衛となり、全国選抜高校軟式テニス大会、今でいう全国選抜高校ソフトテニス大会へ県代表としてコートに立った。

激戦区愛知で私立を撃破しての優勝。そして全国大会出場。本当に凄いこと。自分にとって誇りであり、尊敬する兄、自分もそこで軟式テニスをやって、エースとして全国の舞台に立つ‼️と決めた。

この学校に行くために自宅から通うことはほぼ不可能。当時は、定期バスが走る道路まで親が送り迎えしてくれる時代じゃなかった。そのため中学卒業を期に下宿することが普通だった。親元を離れることは2人の兄達も通ってきた道なので、むしろ自分は当たり前でワクワクしていた事を思い出す。何しろ信号機があって、本屋、飲食店、ユニーもある。自分にとっては何不自由のない都会に来たんだという喜びが大きかった。(田舎者で恥ずかしいw)

高校では軟式テニス一筋。最高成績は団体県大会ベスト4、個人ベスト16。全国に繋がらない大会では団体東海大会優勝、個人県3位。プチ自慢です。

今でも忘れられないのは、インターハイ出場がかかった県大会個人戦ベスト8をかけた戦いです。相手は私学全国大会準優勝の県No.1チーム。ゲームカウント3-1、ゲームポイント3-1のマッチポイントを握りながらまさかの大逆転で夢を逃してしまった。あと1ポイント獲ればインターハイ。多少のポイントくらい失っても大丈夫。という油断、そして追い詰められていく焦り、何よりも相手の開き直ったプレーに、自分を見失ってあれよあれよという間に逆転を許し、負けてたという感じでした。この経験は後に子供達にソフトテニスを教えるにあたり凄く役に立っている。

何にしても自分の夢を叶えることが出来ず部活を引退することとなった。悔しくて悔しくて、なかなか軟式テニスが頭から離れなかった。夏休みを挟みやっと気持ちの整理もつき、軟式テニスを真剣にやるのは高校までにしようと決めたというか、自分の心に言い聞かせた覚えがある。

それ以外では校内の体育祭1500m、長距離走大会で走ったくらいかな。皆んなが嫌がる中、この頃は中学時代と違い、よしっ、俺がやってやる‼️という感じでした。中学時代に陸上、駅伝をやった事がテニスに生かされていた事を実感し、走ることへの嫌な気持ちは無かった。誰にも負けたくない。という気持ちも強かった。

そして軟式テニスをやるためだけに高校に行っていたし、勉強は全くやらなかったので就職する道を選んだ。

高校時代は下宿先にはデレビがなく、ドラマやお笑いも見てないし、スポーツも観戦しませんでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?