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自分と子供達のスポーツの道No.10

No.9からの続き 次男の話

新人戦県大会個人戦はハイジャパンカップの、そして団体戦は、春の全国選抜高校テニス大会の予選を兼ねている。この年、次男の高校は団体戦で県準優勝となり、新人戦のベスト8校による団体インドア大会に駒を進めた。

そして、このインドア大会の練習のおかげで次男は本当に急成長した。フットワークが格段に良くなったのと、最後まで諦めずにボールを追いかけることがしっかり身についた。そして初めて団体戦のメンバーに選ばれ優勝目指して戦った。残念ながら優勝を逃し全国の舞台を経験することはできなかったけど、最後のインターハイ予選に向けてかなり自信がついたことと思う。

迎えた高校3年の春、あっさりと県大会出場を決めた。危なげない試合運びと、堂々としたプレーに、一時期もがき苦しんでいた次男の姿はなかった。

そして、県大会。団体戦のメンバーには選ばれなかったものの、個人戦でのインターハイ出場を目指した。ドローが発表され、ベスト8までの対戦相手を見ると、何と2回戦に新人戦の県大会を優勝し、春の全国選抜大会の舞台を踏んだ学校のエースペアと対戦することが分かった。次男はそんな強豪相手との対戦が決まったものの、勝つことを信じ練習に励んだ。

大会当日、1回戦は緊張よるミスにより、落としたゲームがあったものの、落ち着いてからは安心して観ていられた。この1勝は今思えば県大会初勝利だった。もっと喜んであげても良かったと思うがあの時は、勝って当たり前と思うくらい実力があったと思う。

そして迎えた大一番。誰もが県No.1チームの勝利を疑わなかったと思う。試合が始まる前の練習乱打では次男のクロスに絞った球を窮屈そうに返す相手の後衛を見て、私はひょっとしたら、と思ったのを今でも忘れない。試合が始まると幸先よく2ゲームを先取、そして3ゲーム目もカウント2-1でリードしたもののデュースを繰り返した末に奪われる。そしてこの状況を知った相手校の監督がベンチに現れた。少し試合の空気が変わり、ゲームカウント2-2と追いつかれ、最後はそのまま振り切られ、負けてしまった。最終的にはこのペアが県大会で優勝するわけだが、この大会を通して2ゲーム以上を奪ったのは、次男のペアだけだった。

勝てそうな試合ではあったが、最後は力の差を感じた。でも、次男はめちゃくちゃ頑張ったと思う。中学校時代は県大会に出場したこともなく、高校でも全くの無名の選手ではあったが、県大会後にその優勝ペアに、「お前との試合が1番きつかったよ。」と言ってもらえたという話を聞いた時には、本当に自分のことのように嬉しかった。

次男は高校生活の中で、このソフトテニス部の仲間たちと一緒に切磋琢磨したことが宝となっている。そして真剣勝負の世界から引退した。

今でも当時の仲間たちと、ローカルな大会に出場しソフトテニスを楽しんでいる。

実をいうと野球も大好きで、ソフトテニス部引退後は、自分が通う高校の野球部を応援に行ったり、高校球児だった弟の応援にも一緒に行ってくれた。

プロ野球観戦はもちろんWBCを観戦するために東京まで行くほどの野球好きだ。


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