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新潟県中越地震の遺構などを見てきました

新潟県中越地震とは

2004年(平成16年)10月23日17時56分0.3秒
震央:37゜17.5'N、138゜52.0'E(新潟県中越地方)
震源の深さ:13km
地震の規模(M):6.8
被害:死者68、負傷者4,805、住家全壊3,175、半壊13,810
最大震度:7
(新潟地方気象台HPより)

あのときは、遊びから帰ってきて、部屋で寝っころがっていたんじゃないかと思います。
当時は名古屋市内にいて、震度2程度だったと思うんですが、免震装置がある建物だったので、揺れが収まるまでに時間が掛かったこと、怖かったことを思い出します。
思うところがあって、新潟県中越地震について触れようと思い、いくつかの場所を訪ねてきました。

震央

まず、川口きずな館を訪れました。

中越メモリアル回廊


地震発生からの時系列、特に地震発生からの細かな部分、それから「きずな」についてのメッセージが印象的でした。

時系列が切ない
あなたにとって「絆」とは

そこで知ったのが、震央メモリアルパークの存在でした。
ちょっとわかりにくかったんですが、今でも水田であり続けていることが、不思議なような、ほっとしたような気持でした。

あの水田が震央
近くにあったパネル

旧山古志村

地震により芋川が堰き止められ、水没した村。
地震に伴って、山は崩壊し、姿を大きく変えたと聞いています。
わたしが見た旧山古志村は、まだその爪痕を残しているようであり、地域、集落全体が自然に帰り始めているような気がしました。
それが寂し気であり、胸が締め付けられるようでした。

この立ち枯れも?

木籠集落

木籠は「こごも」って読むそうです。

石碑

木籠集落は、まさに芋川で発生した地すべりで水没した集落で、遺構として残された2軒の民家は、土砂で埋まった状態です。

花が切ない
高台には新たな住宅
パネルです


遠くから見ると、まだ人が住んでいてもおかしくないように見える民家。
でも土砂に埋まっている。
そのときの様子を想像して、とても悲しい気持ちになりました。

ひとつひとつの場所、展示などで思ったより時間を使ってしまったため、他にも行きたい施設はあったけど別の機会に行くことに決めて帰路に。
今回はここまでです。

昨日の能登半島、珠洲市を震源とする地震が発生しました。
災害は忘れぬうちにもやって来る。
亡くなられたかたのご冥福をお祈りします。
また、被災された方々に、お見舞い申し上げます。

では。

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