【10日目】託されたバトンに唾を吐きかけぬよう、必死に大事に振り回す

こんにちは、こんばんは、

おはようございます!

外に出れない日常をこの上なく愛する大学生、キツツキです!


今日は最悪のニュースが流れてきてしまいました。こんなことが起こっていいだろうのか。こんなことはいつでも起こっていて、今回は見えやすい存在だけだったのか。自分の身の回りには起こっていないけれど、東京に住んでいる誰かの親父はこうなっているのかもしれない。中国に住んでいる知らない誰かは、家族全員こうなっているのかもしれない。そんな気分になりました。僕の家族にはまだ出ていないけれど、誰かの家族には出てしまっているのかもしれない。そういったお話です。

志村けんさんが今流行中のウイルスによる肺炎で亡くなられました。70歳だそうです。僕なんかは一度も喋ったことがないただの一般市民ですが、かなりのショックを受けました。死ぬとはどういうことか。それが近い場所であり、遠い場所でもあるテレビの中のスターがこういった事態になって、初めて身に染みて分かったような気がしました。

僕はそれほど死というものに触れあっていません。小さい頃お世話になっていた親戚のおじいさんが亡くなった時もそれほど実感が湧きませんでした。本当に亡くなったのか。この世からいなくなってしまったのだろうか。小さい頃にかまってもらったかすかな記憶だけが残っていて、大きなってからは学校が忙しくて会えてませんでした。

でも、これもまた言い訳でしかなくて。会える時に会えなんてよく言われる言葉ですが、今回の志村さんの訃報から、改めて会えるうちに会っておこうと思いました。こう考えてみると、生きているうちに会いたい人は山ほどいるなー。有名人もそうだし、親戚の人もそうだし、友達もそうだし。

とはいえ、なかなか難しい問題です。自分の勉強のためにも時間は使いたいし、といってもこうなってしまってからは、いつでも会える存在ではない友達や家族に会いたいと思ったりもしますし。どうしたものだろうか。今は外に出ることを国としてそこまで推奨していない状況だと思うので、やることが明確だとは思うのですが。これが解除されたら、色々と行動を起こすべきなんだろうなと思います。それまでは自分の能力をを高めれるだけ高めておきます。よしよし。たくさんの本を読み、筋肉を鍛え続けようか。

死ぬことばかりを考えていてもしょうがないでしょうが、死ぬことを頭の片隅に置いておかないと、今の日常を全力で走ることが出来ないんだと思います。将来のことを見据えながら、今できることに全力で取り組むことが、今回の訃報から改めた感じた僕のやるべきことでした。


今日は朝にがっつり筋トレを行ったので、本をむさぼり読もうと思います。休憩がてら、5分間の瞑想を挟みながら。今日、明日は、かなり前に買って積読の状態になっていた「幸せになる勇気」を読むために、それを続編とする「嫌われる勇気」を読み返し、復習しながら、さらに理解を深めていきたいなと思います。

「嫌われる勇気」はかなり有名な本なので読んだことがあるという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。アドラー心理学を哲人と青年の対話をベースとしながら分かりやすく紹介している本です。アドラー心理学はかなり面白いですよね。原因論から目的論に移行することによって、人間はいつだって変われる、ということを誰にでも理解しやすいように教えてくれます。考え方の本は何度読んでも人生の積み重ねによって新しい発見があるので驚かされます。現在、三分の一ほど読んでみたんですが、そこまではっきりと内容を覚えていなかったのにもかかわらず、自分の考え方と一致する箇所が何個もありました。以前に読んでから、いつの間にかこの本に影響されていたのだなと思うと、なんだかうれしくなりました。もっと読んで、理解を深めていきたいなと思います。楽しみです。


今日はこんなところでしょうか。

誰かが亡くなった時、その他大勢の人はそのことを胸に生きていかなければいけないわけで、それが積み重なったものが今だとすれば、ただただ僕は今この一瞬を精一杯生きていこうと思いました。こんな世の中だからこそ。

それではまた明日。お相手はキツツキでした。


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