プレゼンテーション1w

「英語化は愚民化」レビュー①

英語教育に反対する論客、施光恒氏の著作をレビューします。今Amazonを見てみたらレビューの数と評価の高さに驚きました。

この衝撃的なタイトルはマーケティングによるものです。衝撃的なタイトルのほうが興味を引きやすいんですね。もちろん英語教育の強化によって日本社会が影響を受けるわけですが、何事にも良い面と悪い面が必ずありますし、良い悪いの判断基準は個人の価値観によって異なります。本著はその「悪い影響」に焦点を絞った本です。

今日のnoteでは著者が「英語教育で壊されるもの」として挙げている5点と、それに対する私の考察を書きたいと思います。

英語教育で壊されるもの①:思いやりの道徳と日本らしさ

日本語では、状況に応じて適宜、自分を指す言葉を柔軟に使い分けなければいけない。自分の周りの状況を先に良く知り、その後、そこでの自分の「役割」が認識されるという順番になる。
(中略)
自身の主張や欲求を、状況や他者の観点に照らして、お互いにより望ましい形に事前に調整し合う。そして各人には、場の複雑な状況や他者の観点を鋭敏に読み取るための「思いやり」「やさしさ」、自分を客観的に見つめ、必要であれば自身の認識や考えを修正していくための「反省」の能力が求められる。これらが日本人の道徳になりやすいのだ。
一方、英語の一人称は常に”I"だ。これは英語の世界観では、常に自分が出発点、あるいは基準として、そこから周囲を認識するというものの見方になる事を示している。
(中略)
自己は最初から中心に位置するので意見の衝突が前提とされやすい。そこで、英語圏では互いの自己主張のぶつかり合いを事後的に調整する法律、ルール、コンプライアンスが強調される。

私の考察

なんだか、今の吉本の騒動に照らし合わせると面白いですね。時代の流れとしては英語化の流れの特徴を見ることができます。コンプライアンス遵守とか契約書だとか。個人の権利が強調される流れがあります。大企業はもう既にこの流れに乗っている。「そうしないと時代遅れだ」という雰囲気が確かにあります。

著者の言うように、これからは自己主張のぶつかり合いが増えていって、訴訟の件数も増えていくと予想されています。なあなあで済ますのではなく、「パキっと出るとこ出て決着しましょう」という価値観が大きくなってきている。僕世代なんかでいえばそれが当然の時代の流れだとも思っています。離婚件数だって増えるでしょう。これは確かに、個人の権利が日本において広く認められてきている証左といえるかもしれません。それが一人称”I"に由来するという論理は面白くはありますが根拠に欠けると思います。が、総じてこれらが西洋から輸入された考え方の枠組みであるという点は同意します。

ただ、個人の権利が大きくなる事と、他者への思いやりが小さくなる事とを、相関で表現するのは疑問が残ります。本当にトレードオフでしょうか。

英語圏の人を見ていると、確かに「自己主張」があり、「交渉力」が重要なスキルと考えられていて、「規則」によって折り合いをつけるという文化です。裁判は折り合いをつけるための手段であり、日本人ほど重大に受け止めていません。

英語圏の人と個人的な付き合いをしていて、決して「思いやり」がないとは思えません。相手に対する配慮がある人はたくさんいるし、むしろオープンマインドで尊敬できる人がたくさんいます。正直というか、はっきりしている。私は彼らと「付き合いやすい」と感じるのもまた事実なんです。ファースト・ネームを呼び合う習慣は、人と人の距離が親密な印象を受けるのでとてもいいと思う。

著者の言う、日本古来の「思いやり」とか「やさしさ」はそれほど価値があるのでしょうか。それは結局、個人の主張や願い、少数派の希望を空気で押さえつけ、リーダーが政治を行い易かったということではないでしょうか?グループの運営側の利益になるだけではないでしょうか?  

あ、もう私のこの考え方が「運営側」と「労働側」という西洋的な考えですね。著者の言う「日本古来の人々」は自分が所属する集団を信頼していたのでしょう。運営側も労働側もなく一緒だったのかもしれない。しかし組織が肥大化し、組織の透明化が求められる時代の中で、「本当に信頼できるのか?」という疑念が生まれ、それを無視できなくなってきてます。

母語としての日本語、第二言語としての英語

日本の古来からの良い部分を維持しつつ、他文化のいいところを取り入れて進化させていく。母語としての日本語を維持しつつ、第二言語としてたとえば英語を勉強すればいい。英語圏のいいところを吸収して、日本の「思いやり」と「やさしさ」を進化させればいい。ちょっと理想論が過ぎるでしょうか。

一つ言えるのは、日本以外の言語を学ぶことで初めて、日本や日本語を客観的に見れるようになるということです。良いところと悪いところがはっきりと相対的に見える様になる。建設的な言語議論を交わすために、そして、適切な自己批判をするために、いつだって目線を外に向けて学び続けたほうがいいに決まっています。

つづく

※本書の「英語教育で壊されるものシリーズ」は全部で5つあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?