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AIで英語学習が不要になる?

翻訳機はすごく便利ですね。先日母にプレゼントしました。母には退職後に旅行に行く機会もあるでしょうから。旅行先で必要になる文章は簡単な定型文が多いですし、最近の翻訳機は十分に有能でしょう。

一方で、この様な翻訳機の進化によって英語学習が不要になるとは思えません。私がそう思う理由は3つあって、「2020年から小学校の5、6学年で英語が正式科目化」「言語学習が異文化理解の入り口になる」「翻訳機能の限界」です。

2020年から小学校の5、6学年で英語が正式科目化

これは既に決定しています。小学生のうちから英語の科目で成績がつくようになります。だから、良い中学校に入るために英語学習が必須になります。そして、小学校での英語学習は中学での英語学習の基礎になるので、より良い高校に入るためにも早期の英語学習が重要になります。社会からの要請として英語学習の早期化・強化が現実なのです。

言語学習が異文化理解の入り口になる

語学学習とは何か、それはその言語の背景にある文化に浸かることです。東京や大都市以外の地域において、日本はまだまだ異文化に触れる機会が少ない国家の一つです。今後グローバル化が進む中で、たとえ日本の田舎に住んでいたとしても世界の動向を知り、世界と向き合う姿勢が大事になってくるでしょう。英語学習を通じて国外に関心が向く。国際交流をすることで初めて、他文化に自分の意識が向き、互いの違いを認識し、受け入れる土台のようなものが心の中にできる。中国語を学ぶことで中国文化についての理解が深まり親和的になります。国同士の関係とは別の次元で個人間の関係ができることで、草の根の異文化交流がはじまり、様々な考え方を許容できるようになります。韓国人の友達がいたり、韓国旅行に行くことで、韓国の情報が入り異文化理解が進むのです。私は自身の経験上そのように思います。

自動翻訳機を手にしても異文化について理解できません。それを使わないといけない。例えば一つの言語を習得するのに5年かかるとして、その5年間というのはその言語に関する情報に触れまくる。異文化に囲まれる。その投資した時間分だけ理解力が増すのです。自動翻訳機を5年使い倒すくらいの目的があればいいと思います。それが例えば小学生の時の英語教育でもいいと思んです。言語学習が異文化理解の入り口になると思います。

翻訳機能の限界

私は専門家ではないので詳しくないですけど、自動翻訳ってたくさんのデータをもとに抽出された翻訳が出てくるはずです。例えば旅行においては必要な文章は限られているからこそ正確な翻訳が出てくると思うんですね。電子辞書は単語と意味が結びついて正解がはっきりしているから価値がある。でも、翻訳機が人間が理解するように文章を理解することはできない、と思うんです。それができる翻訳機ってもはや人間ですよね(笑)。文脈とかニュアンスは翻訳機には分かりません。可能性が無限に開かれており、正解がその時々場面場面によって違いますから。

英語教師をしていた頃の夏目漱石が、「I love you」を「我君を愛す」と翻訳した教え子を見て、「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですねとでも訳しておけ」なんて言ったという逸話があります。おそらく当時の日本人は「私」「あなた」に向かって「愛している」なんて言わない。きれいな月を共に眺めているときの心の寄り添いの感覚を漱石は日本人の文脈で「好き」ということなんだろうと言っている。そういう翻訳って、いつまでたっても翻訳機には難しいし、翻訳機にそういう役割を求めてはいけないと思うんです。日本語の多様性とか表現の美しさが失われないことを考える方向性と、言語を単純化させて正確な翻訳ができる日本語の方向性って、真逆で、でも両方とも価値があります。別問題なんですよね。両方やればいいと思います。混同してはいけません。

異文化を理解し包摂し、という方向を考えたとき、翻訳機が完全に翻訳できる世界というのはあまりに文化を甘く見ていると思います。文化はもっと土着していて、多様で、興味深い。英語を学ぶというのは英語の文化を知ることであり、中国語を学ぶということは中華を知ることであり、そうである以上は翻訳機が語学学習を完全に代替するということはないと考えています。

ビジネスとか旅行では翻訳機は神!

つまりケースバイケースです。Google翻訳を最高に利用してビジネス展開されている方はたくさんいる。

テクノロジーが進化すればするほど、地道に英語学習に励み、英語を使いこなせる人材の価値がさらに高まることになります。翻訳機に使われるのではなく使い倒すために、英語学習を続けることに価値はあります。

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