本が読みたい

中高生の頃、乾いたスポンジが水を吸うように本を読んでいた。大学生くらいまでも読めていたかな。でも最近は本があまり読めなくなってしまった。集中力が持たないのだ。そして本を読むに至るまでのエネルギーが足りない。しかも過去に読んだ本の内容は往々にして忘れてしまっている。記憶力も残念なことになっている。大学生の頃夢中で読んだ村上春樹の本も内容から雰囲気までスッポリ抜けている。薬のせいなのか病気のせいなのか単に頭を使ってないせいなのか歳のせいなのか、分からないけれど衰えを感じる。まだ三十代も半ばだというのに。

書見台を置くために机の上を少し片づけた。行き場のない本たちが山積みになっていたのをどかした。しんどいほど泣きまくったBL小説が出てきたりした。これは覚えてる。今まで読んだBLの中で一番泣いたやつだから。やっぱり感情の起伏が記憶に結び付きやすいのだなと思う。まぁ他の本だって読んで感動したりしたんだろうけど忘れてしまった。これを覚えていたのは強烈すぎる体験だったからだ。(因みにその本は凪良ゆう著の「ショートケーキの苺にはさわらないで」である。アンドロイドとの恋愛という時点で私の好みど真ん中なのだけど、箱ティッシュを抱えながら読んだ本はそうそうない)

読みたい本は無限に出てくる。商業出版も同人誌も山のようにある。実際積読が部屋に山になっている。ただ読むスピードが亀以下で追いつけない。積読ばかり溜まっていって実際読めていない。読みたい本リストもどんどん増えるが消化できず、いつの間にか入手困難になった本さえある。

私のあこがれの人物で二階堂奥歯という人がいる。「八本脚の蝶」の著者であり故人なのだが、この人はものすごい量の本を読んでいる。そこにすごく憧れる。私も息を吸うように本が読みたい。もっと軽やかに本が読めたなら。

気まぐれに小説を書いたりしている私だが、圧倒的インプットの少なさを感じる。「読まなきゃ書けない」というのが常識のようにあるが、私が書けないのは圧倒的に読まないからである。それでも昔の貯金を切り崩すようにちょっと書いてみたりしているけれど、上達とか継続とかを目指すなら読まないとできないと思っている。

本が読みたい。でもエネルギーが足りない。躁鬱は躁の時以外は慢性的なエネルギー不足の状態なので、何か行動するにも躊躇することが多い。本を読めるだけのエネルギーが欲しい。どうしたら手に入れられるんだろう。やる気欲しさにエナジードリンクを飲んでみたりしてもいまいちブーストがかからない。躁になったらなったで余計なことばかりしてしまうので本が読めてもデメリットが多いのだけど。難しい。人生って難しいな。

JavaScriptの勉強を始めた私に「プログラムはなぜ動くのか」という本を贈ってもらった。ありがたい。とりあえず目次だけ読んだ。興味と目標がある分野なら少しは読めるはず。細切れの集中力を駆使してなんとか読み進めたい。

ああ、でもなんだかいまは小説が読みたいな。さくっと読めるやつか、読んだことがあるやつか。少し本の山をあさってみよう。思い立ったが吉日。そのまま読めたなら、なにより。

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