料理できるようになりたいけれどコンプレックスが邪魔をする
気になる記事があったので読んだ。
私も料理にコンプレックスがある。できることなら料理をせずに生きたいと思う反面、料理ができるようになったらどんなにいいかと思うこともある。
私の場合は高校時代、夕飯当番だった時に弟に散々文句を言われたのが原因の一つだ。量が少ない、味が薄い、またこれ?など、食べるだけの弟は文句を言い放題。それをきっかけに私はだんだん料理が嫌いになってしまった。苦手意識もそこで産まれた。
大学生になってからも料理は苦手だった。男友達が家に来た時にオムライスを作ることになったのだけど、上手くできなかった。味は悪くなかったと思うのだが見た目がきれいじゃなかった。たまたまその相手が料理上手だったこともあり、「俺の方がもっとうまく作れる」「練習が必要だね」などと言われたのだった。確かにその通りだったのだけど、繊細過ぎる私はそこで深く傷ついた。
それから私は「料理苦手、できない」といってできるだけ料理から距離を取った。その後病気の影響で手の震えが止まらなかったり頭が回らなかったりしたので余計に料理ができない理由ができた。今は手の震えは治まっているので理由にならないのだけど。
ずっと母と一緒に暮らしているので母に甘えて料理を避け続けている。それではダメだと思って今年になってから気まぐれにたまに料理をしてみたりもしたけれど、苦手意識の根深さに改めて気づかされた。料理が怖くて苦痛だった。
何で怖くて苦痛なのか、考えてみれば、理想像のレベルが高すぎることと、ずっと料理を避け続けてきたことで技術が身についておらず、それがストレスに感じるからだと気付いた。
今は母と二人暮らしなので料理に文句を言う人はいない。母はちょっとくらい失敗してもおいしいと言って食べてくれる。だから練習するにはいい環境ではある。ただ、やはり苦手意識が強すぎて気が乗らないのであまり料理する気になれない。
母は料理ができるほうだ。父と暮らしていた頃は毎日たくさんの料理が並んでいた。父は食べる専門の癖に料理にうるさい人だったように思う。父と別れてから母子家庭になって忙しくなったこともあり、文句を言うのは弟だけになったので少し手を抜くようになり、弟が家を出てからはかなり質素になった。それでも母の手際よく料理する姿は変わらない。私にはできないな、と思ってしまう。それで余計に自分の料理はダメだなと思ってしまう。
気持ちよく、楽しく料理ができたらどんなにいいだろう。私は不器用で手際も悪くどんくさいと思い込んでいるから、人に料理しているところを見られたくない。見た目がきれいに作れないから作った料理を人に出すのも恥ずかしい。私は極端に批判を恐れている。そして実力に見合わない理想を掲げている。そのハードルを越えられたなら、どんなにいいことか。
完璧を求めずに練習を続ければ、いつか克服できるのかな、と少し思う。果てしなく遠い道のりのように思うけれど、少しずつ、最初から全部こなそうと思わないで、まずはメインの一皿を作るところから始めればできるかもしれない。副菜はお惣菜でもなんでもいい。そんな風にしたら、いつか克服できるのかな。
そして前述の記事でこんな企画がある事も知った。
この配信を見たら、私の中で何かが変わるかもしれない。そんな一縷の望みをかけてリマインダーをセットした。料理、いつか好きになりたい。
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