自己表現と面接。
私は思う。
謙遜こそが美だと思われているこの日本社会において、
面接という自己アピールの機会がどれだけやりづらいか。
先日、高校受験以来、
私にとって3年以上ぶりの面接をしてきた。
面接という場はとにかく緊張する。
見知らぬ相手。固い空気感。
自分の苦手な、目上の人とのコミュニケーション。
全てが完全アウェーだ。
私は幾度となく言っているが、対話が本当に苦手だ。
自分の思っていることの言語化を瞬時に行うのがとても下手だ。
友人との何気ない会話ですら困難に感じるのに、
面接ともなるとハードルは見えないほど高く聳える。
本当にしんどい。
私の人間としての弱点を語るのはここまでにして、
日本社会の話をしたい。
今我々の暮らす日本社会では、
「謙遜こそが美」である。
そういう風潮が間違いなくある。
若者を筆頭に、皆が皆、
頑張っていても、「別に頑張ってないよ~。」とか、
褒められても、「そんなことないよ~。」とか、
感謝されても、「大したことしてないよ~。」なんて言う。
私だってよく言ってる。
尚且つ、私もそうだが、
謙遜する人は明らかに自分下げが激しい。
一昔前の私は本当にそうだったと思う。
君もそうかな。
でも、謙遜をする人ってやはり社会としてウケがいい。
日本社会の実情だと思う。
だからこそ、私も私の周りも謙遜をよくする。
日本という国における社会化がなされている証明である。
じゃあそんな人間が面接にて自己PRを求められたらどうなるか。
詰みますね?
面接という場。
頭真っ白になっている状態で、
いつもやってきていない表現、
もっと言えば「故意に避けてきた表現」を求められるの、
あまりに無理がある。
少なくとも私には無理だった。しんどかった。
日本社会に馴染んでしまったが故に、
「どこまで自分を認めればいいか」が迷子になってしまう。
私はこれが出来る。私はこういう人間だ。
とか、普段から敢えて口にしなかった。
「私は大した人間じゃない」と、他でもなく私の発言によって洗脳されてきた。
それ故、
今の私は「面接でこの発言したの、やりすぎたかな…」と猛省しているのである。
どこまでが正解なのかわからない。どうしようもなかった。
皆も面接の経験は少なからずあると思う。
面接の直前や直後で、私と同じ考えに至った人はそう少なくないはず。
分かるよ~その気持ち。心底分かる。
私と仲のいい人間は、
本当によく謙遜をしている。
よく自分下げをしては病んでいるのを見る。
それってメンタル的にもったいないのでは?と思う。
もちろん謙遜したくなる感情推移は大いに分かる。
でもその上で、
どんなに狭いコミュニティにいても、
そのコミュニティ内で相変わらず謙遜をする人をよく目にする。
その限りなく狭いコミュニティでは、
少しでも自己表現をしてほしいなと心から願う。
今後の社会で訪れる自己PRに向けての練習だと思ってもいいし、
何より君は本当は凄いのになという歯痒さが、
どうしても私の中で生まれているが故の私のエゴである。
私も少しづつ、
過剰な謙遜を抑えなければと思っている所存。
もちろん関係性が低いほど謙遜してしまうが、
面接本番は圧倒的に距離感も関係性も皆無な人間とのやり取りなので、
大学生であるうちにどうにか直していきたいなと思う。
これを書いていて、
とあるクラスメイトとのやりとりを思い出した。
多少の恋バナをしていた時。
一人の男子が、もう一人に向かって、
「でも○○モテそうじゃない??顔もノリもいいし。」
と言った。
多分私が言われていたら、
「いやいや~全然そんなことないよ~、全然××の方がモテるよ~。」
って多分言うと思う。多分というか絶対。
でも言われた彼は、
「やっぱそう思う??だよね~~」とノリノリで返していた。
面白い男だ。
僅か数週間の関係性でしかない彼の発言に、
私は少し呆気に取られていた。
いやでもそうだよな。
このくらいの自信を持って生きる方がいいのだろうなと思う。
流石に彼ほどの自信を持つには、
まだまだ長い年月がかかると思うが、
私もゆっくり彼くらいの自信家になってゆければと思う。
その為にはもっと自分を知る必要があるし、
もっと自己表現を積み重ねる必要があるなと。
note、いっぱい書こうね。
これを見てる君も、
少なくとも私の前くらいでは、素直に自分を認めてほしいな。
私の前だったら、人の目もないし、
なにより私はバカになんてしないさ。
それでも無理って言う人は多分少なからずいる。
そんな人たちに、
「君のここ、ほんとに凄い。」「君のこういうところが好き。」
と言える人間に私はなりたい。
君の凄いところを、私が沢山見つけたい。
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