やさしくなりたい
今日、裁判の証人になってほしいと依頼された。
原告も被告も知人で、なんかもう泥沼なやつ。
想像しただけで目眩がした。巻き込まないでくれよと思った。
その場に立ったら、どれくらいたくさんの感情が流れてくるんだろう。
依頼は断った。ランチにうなぎをご馳走してもらったのに、断った。
すごく困っているのも分かってるし、何度も頭を下げれたけど断った。
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自分で言うと変な感じだけど、たぶん僕は子どもの頃から感受性が強い。
当たり前に感情は数値化して見ることができないし、他の人と比べたこともないんだけど。
幼稚園の時の写真を見ると、泣いてばかりいる。
誰か他の子が泣くとつられて泣いちゃうから。
それを泣き虫だと呼ばれるのは悔しかったけど、どうしようもなかった。
感受性が強いってのはなんだか素敵な響きに聞こえるが、得をしたと思ったことは無い。
芸術的センスに恵まれているわけでもない。
人の気持を汲んで先回りした行動もしない。
ただ他の人のマイナスな感情、怒りや寂しさみたいなものが、自分の中に必要以上に流れ込んでくる。
もちろん自分自身の感情がマイナスになることもよくあるけど、他人から流れてくるものはひどく暴力的で、止めることができない。
だから僕はいつも、本当に申し訳ないけど、情緒が不安定になっている人は視界から外してしまう。無意識にでなく、意識的に外す。
やさしい人間なら、その人から目をそらさず見て、感情をきちんと受け入れて、欲しい言葉をかけてあげられるだろう。すごいよなぁ。
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やさしくなりたい。
なりたいという願望はつまり、自分がそうではないことの証明だ。
足が速くなりたいと願う人は足が速くないし、お金持ちになりたいと願う人はお金持ちではない。
他人から見ると十分なようでも、本人が満足していなければその願望は消えることはない。
でも、やさしくなりたいだなんて言うくせに、なるための努力もしてない。
どうやったらなれるのかも分からない。
やさしい人のやさしさをたくさん自分に流し込んで、いつもいっぱいにしとけばなれるだろうか。
ブックオフに攻略本でも置いてないかな、探しに行ってみよう。
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