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まわらない20分間

悩み相談を聞くことに向いていない。嫌とか苦手じゃなくて、向いていない。30年以上も生きていればそれなりの数の相談を受けてきたし、それらしい答えを相手に押し付けるでなく置いておくことくらいはできる。
でもどうしようもなく向いていないと思う理由は、「相手と同じ重さで受け止められない」から。まったく同じ重さで感じるのは無理なんだろうけど。その人が心から苦しんで、必死になって伝えてくれたことすら真剣になれない。「家族」「恋愛」「仕事」「お金」「コンプレックス」それらの悩みを「夜ごはん何食べよう」「字幕と吹き替えどっちで観よう」「チョコのアイスとフルーツのアイスどっちを食べよう」と同じくらいの程度で受け止めてしまう。

それでいいと言ってくれる人がいる。深刻になり過ぎず、ほしい言葉を探すでもなく、ただヘラヘラしていてくれるから話しやすいのだと。だけどやっぱり、それでいいとは思えない。決定的に優しくない。

この春から、人と話す機会が今までの人生で一番と言えるくらいに減った。家に籠もるのは苦にならない性格だけど、弊害がある。言葉を選ぶ速度が明らかに遅くなったし、精度も落ちた。久しぶりに人と会って話すと痛感する。「言うべきこと」「言いたいこと」「言った方がいいこと」「言わない方がいいこと」「言っちゃいけないこと」「言うべきじゃないこと」この線引が曖昧になってしまった。境界線を見極めることが大人だと思っていたのに、まだまだ未熟だった。アルコールのせいじゃなくて自分の実力不足。誰かの言葉に救われるようなことは、なかなか起こらない。いつだって救えるのは自分自身だ。でも、誰かの言葉に傷つけられることはいくらだってある。ティッシュを破るよりも人を傷つける方が簡単なんだから。

コインランドリーの乾燥機を眺めながら、一緒に頭の中の言葉もぐるぐる回る。乾くまで20分。「考え事をする時は答えを出すまでの時間を設定しろ」と昔の上司にこっぴどく教わったことを思い出す。20分だけ集中してみよう。呆れるくらい、集中してみようと思った時こそ余計なことを考えてしまう。コカコーラゼロって誰が飲むんだろう?カロリーを気にする人はコーラなんて飲まないんじゃないか。猫のエサはあと何日分あるっけな。今日は何曜日だっけ。金曜ロードショーで好きな映画をやってたから金曜日か。

「あんま驚いてないし、嫌いにもなってないし、引いてもない。態度を変えるつもりもない。今はそうでもこれから先はわかんないでしょとか言われても、未来の気持ちなんて想像してもわかんない。変わらないよなんて無責任に断言できる勇気も覚悟も持ってない」
あの人が泣きながら話してくれたことに返した言葉は、きっと正しくなかっった。ほしい言葉と違いすぎてびっくりしたと笑ってくれたけど。
「あなたの誠実さを理解できる人はあんまりいないから、私にしときなよ」

20分が経っても脳内はじっとり湿っていた。清潔でふわふわのタオルが憎らしかった。

悩み相談なんてしないでくれよ、楽しくてくだらない話だけしていようよ、そう言ってしまえたらどんなに楽だろう。そしてどんなにつまらないだろう。面倒なことに向き合うのを避けてばかりだったから、未熟なままなんだ。相手と同じ重さで受け止められないことも、境界線がぼやけてしまったことも、認めてちゃんと努力しよう。完璧な人間なんていない。わかっているけど、「完璧な人間なんていないと開き直って努力をしない人」にはなりたくないんだ。



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