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まずは私が、私の最推しになる

有料コンテンツができるソーシャルメディアは全部有料にしてみよう、ここ数日でそう思い立ちました。

ここで誤解しないでいただきたいのは(そもそも、誤解するほどのイメージを私に持ち合わせてもいないだろうけど)、有益な情報を発信するわけでも、自分の知識やキャリア、肩書きなどに自信があるわけでも、ただただお金稼ぎたいわけでも(いや、これはなくはないが(笑)、そこはポイントではないから華麗にスルーします)、そこではなくてですね…

「無料」ってものが、なんか不思議になっちゃったの。

ちなみに、この「無料」っていうのは私の感覚を表現するには正しい表現じゃなくて、ここでいう「無料」というのは「有料」という選択肢があるうちの「無料」ってことで、「無料<有料」って構図がなんというか、しっくりこなくなってきたんです。

実は私、ちょっと自己愛強め人間に思われそうで言いたくないんだけど、自分の投稿(文章だけでなく、音声や写真も含む)に一番気づきを得られたり、共感したり、励まされてます。そんなの本人が発信してるんだし、当然じゃない?って思う人がほとんどだろうけど、私の場合、外に出た瞬間、どこか別人格というか、「じぶんの一部」ではなくて「じぶんという誰か」になってる感じがするんです。どこか客観的に、俯瞰的に私を見ている、そんな存在。私の内側から発信したもののはずなのにね、ちょっとおかしいけど、そんな感じ。

で、ですよ。
わたし最近思うんです。今こうやって書いている、こういう何気ない日々の経験とか感情とか、こういうことも、有益な情報や知識(有料コンテンツ)と同じくらい大切な、価値あるものなんじゃないかなって。つまり、「わたしがわたしを価値づけ」するために、有料と無料があるプラットフォームでは有料にしよう、そう思ったんです。

私が私の、一番のファンになる。
まるで推しを応援するファンのように、私が成長するために、成功するために、まずは私が、私を全力で応援しよう。認めよう。というか、そうしたっていいじゃない?って思ったんです。

もちろん、評価や結果は外からのフィードバックです。自分でするものではないですよね。だけど、実は世の中は自己評価であふれています。自分が気づいていないだけで、自分の世界は自分でつくっているから。

と、いいつつも、やっぱりそれを自覚して、行動に移していくって結構勇気のいることなんですよね。周りの目とか、評価とか、正直気にしちゃいます。だけどね、この不安は今の段階ではただの妄想です。やってみないとどうなるかわからないし、自分がどう感じるかもわからない。もし、本当につらかったら、やめればいいだけです。だって、誰に頼まれたわけでもないし、契約を交わしているわけでもないから。こういうことこそ、勢いではじめてもいいことですよね。

そして、慣れないことをはじめるときには、帰る場所というか、逃げ道も大切だと思っています。今回の場合は、InstagramとかXみたいなフリーなプラットフォームです(有料サービスもあったらすみません)。私にとって発信することは、もはや生理的欲求なので(笑)、一か所に偏らないのは、生きるためにもとっても重要です。

さて、ここまで書いて、私はちゃんと実行に移せるのでしょうか。ちなみにこの投稿は本日2本目、またまた仕事の合間に書いてます(笑)。ちなみに、この2本の元の原稿は、昨日の、これまた仕事の合間に書いてたものでした。その時は、ばぁーーーっと思いつくまま書き出して、どんどん最初と違う方向に話が流れていって、大まかに二つの内容に分けられそうだったから、途中で分割させて、それぞれ下書き保存していたんです。そしたら、今日このようなかたちになりました。ほんと、不思議ですよね。自分でも何考えてるのか、こうやって「見える化」することでわかることが多いです。そして、そのたびに「へぇーーこういう考えがあるんだ」とか他人事のように思うので、やっぱり私は、私のファンなんだと思います。ちゃんちゃんっ。


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